一生

人生観と死生観

景気占いとカルタ

2008-12-31 09:32:42 | 哲学
12月31日 晴れ
 いよいよこの年も最後の日、大晦日だ。景気は秋ごろ突然悪くなり出し、マスコミは連日失業者や企業の苦境を伝えることに専念している。元はといえばアメリカの借金ずけ経済の破綻だった。何時かこうなると経済学者ではない私でも分かっていたーというと予言者のようで、偉そうに聞こえるかもしれないが、私は若い頃に貧乏に苦しんだ時期があって、借金しない経済再建を重視して、そんな暮らしを家族にも友人にも唱道したことがある。けちな親爺だと思われていたらしいが意に介さなかった。山形県の小国町にある鈴木スケ美校長の独立学園高等学校で彼の経済哲学に共鳴した。この国の景気は麻生首相のいう回復までに全治3年どころではなく、その2-3倍はかかるはずだが、負けちゃいけない。朝の来ない夜はないのだ。
 カルタはこんな時に一番の遊びだ。それも日本伝統のカルタがよいと私は思う。小倉百人一首は古風なみやびを堪能できるし、江戸カルタは江戸庶民の知恵を味わえるのだ。しまってある戸袋の隅の箱を開けるとき、日本人が積み上げた伝統の古きよき香りがただようではないか。要は贅沢をせずに楽しむことだ。

大都市の孤独

2008-12-29 09:38:22 | 哲学
12月29日 晴れ
 大都市はいかめしく小さな個人の前に聳え立つーそんなイメージをくっきりと教えてくれる東京の年の暮れの夜である。犯罪、堕落、喧嘩、暴力的振舞い、カメラは奥深い闇のほんの一部をとらえるだけだが、人間の作る社会の恥部をさらけ出す。
 それに比べ、私たちが現に暮らす家庭のささやかな光はなんとつつましく平和に満ちていることだろう。とはいえ忍び寄る社会の動乱の前触れはこの光をもおののかせるかのよう。私たちも遅かれ早かれ死の恐怖の前に立つことだろう、老いはだれをも容赦しないのだから。
 ああ、大都会の孤独から人は地の闇の中の人間性の原点を知る。神の国はいずこ?

孫は可愛い?

2008-12-28 19:44:47 | 哲学
12月29日 晴れ
 孫は可愛いというが、本当はケース・バイ・ケース。若い者は未来を持つ。老い先短い者はその未来を羨ましい思いで見つめ、そして少しは手助けしてやりたいと思うが、やれることは少ないのが常である。
 天は自らを助けるものを助ける。いわゆる根性のあるものが長い人生レースの勝者となる。ただ人の美徳は単なる勝ち負けだけで決まるものではない。本当に意義ある人生が何であるかその人なりに一生かかって証明するのである。幼いときに蝶よ花よともてはやされても本当に大成するかどうかは分からない。
 ただ年長のもののつとめは、一寸したことでもものを考えるヒントを与え、若者の水先案内をしてやることに尽きるのではないか。

言葉の不思議

2008-12-27 15:40:34 | 哲学
12月27日 晴れ
 寒い日が続く年末。地球温暖化というかまびすしい声も忘れそうなこの頃だ。
 さて言葉は人と人を結ぶに無くてならないものだが、どうして発生したかは謎が深い。精神医学者は両性間のコミュニケーション起原を想定する人もあるらしいが、どうもそれは原始的過ぎて、はっきりした言語になりにくいように思う。人が共同作業をやったり、秩序社会を作ったりするときに明瞭な言葉が必要となるわけで、言葉は社会生活の必要に応じて発生し、進化したと考えたいが如何であろう。
おれとかお前などの人称代名詞の発生は古いはずだが、日本語ではわれがお前と同じになったり、貴様が敬語から蔑称になったりと変化が著しい。付き合いが生々しいと照れたり、遠慮があったり、その反対が働いたりなのだろうか。言霊のさきわう国は詩人の感性が融通無碍なのか。日本語は主語、述語の順が原則だが、その間に長々と副詞的な言葉が入って結論が何時出てくるかもどかしい場合がある。言葉は使いようだ。誤解できないような言葉が立派な文章の基本だ。

役に立つ人立たぬ人

2008-12-26 16:24:32 | 哲学
12月26日 晴れ 強風 寒い
 予報の通り風が強く、寒い一日となった。孫は通学にコートなし、襟巻きだけで車に乗り込むので、車の中をあらかじめ暖房することにするのだが、車はそんなに早くあたたまらない。こちらも防寒に務め、ひと時を過ごす。風邪を引いてはたまらない。
 さて私は孫のために通学の運転手を勤めているわけだが、隣に住む息子の嫁が4人の子どもを抱えてあまりにも忙しすぎるので、ボランテアでやっているのだ。役に立っていることは確かだが、私も後期高齢者だから、何時までもこの仕事を続けられるか分からない。もし80歳過ぎて調子が悪くなればやめることになる。役に立つ人から役に立たぬ人になる。その場合どういう対策が立てられるのか不明。車社会は便利なようでいろいろの問題がある。
 とにかく単純な運転手であれば役に立つ最低の役割を果すが、それだけでは時間がもったいない。10分ばかりの間に有用な会話が出来るよう、少しずつ用意する。
たとえば昨夜見たテレビについて、面白かった点、参考になること。感想と批評。それらが孫にとってどれほど役に立つか、役に立たぬか、将来の問題だ。ここで最低限は、彼がずっと後であんなこともあったと覚えてくれることだが、どうなることだろう。

神とは科学以上のもの

2008-12-25 18:44:09 | 哲学
12月25日 晴れ 
 クリスマスの日なので、神についての論議のひとつを紹介する。
 この地上のすべてのものは神のみ手の創造になるという宗教的世界観は、科学における宇宙の起原論やダーウィン流の進化論とは異なる。これは直感的なもので、聖書に記されるような内的観照とでも言うような感覚で、科学的説明は困難であるが、科学によって説明しなければ存立できないようなものではない。次元が違うといってしまえば簡単だが、それでは物足りないという人がでるだろう。
 人間の身体はすごく精妙に出来ている。インスリンが膵臓のランゲルハンス島から出て糖の細胞への取り込みに与る機構など実によく出来たものである。医学的にいろいろな筋道が立てられ、説明はされているようだが、この合目的的な機構を成立させているものは何なのか。大いに疑問がある。これは一例に過ぎず、科学的であろうとすることだけで、生物進化の過程の不思議は解消されない。微視的には科学のメカニズムで成り立っていても、巨視的にはある大いなるものの導きによっていると見る。後者に神の働きたまう場があるとする直観がここに生まれる。
 これは進化のデザイナーが存在するという説といくらか似ているが、もっと基本的なものである。神は単なるデザイナー以上のものである。

クリスマス・エブの随想

2008-12-24 16:46:44 | 哲学
12月25日 晴れ後曇り
 ついに今年も年末のクリスマスの時を迎えるに至った。穏やかに暮れる夜は不況に悩む人々の存在を知らぬげにただ粛々と進む。子供たちへのプレゼントはもう用意された。クリスマスの絵本と正月用のカルタ2種。世の中がどんなに暗くても子どもの世代を守ることを忘れてはならないのだ。小泉首相が引用した山本有三の米百俵の精神は日本人の心の心棒だ。どうやらそれをうろ覚えどころか、ほとんど忘れた政治家と官僚が右往左往している姿はみっともない。私は宮城県知事にもこのことを会見の席で発言した。経済優先の彼もぎょっとしたようだった。ほんとのことを言ったからだと思う。私の信念は正しいことを知る方が天におられる。
 今宵は心の糧になるようなエブの言葉を孫たちに遺したいものだ。

天皇誕生日

2008-12-23 17:00:31 | 哲学
12月23日 晴れ
 天皇誕生日の今日、晴れて穏やか。天皇は11歳の時に敗戦となって、昭和天皇との別れも覚悟せざるを得ないようなきびしい状況だったろうと察する。アメリカ以外は昭和天皇有罪に傾いていた戦勝国が多かったからである。天皇が絶対的な存在であった大日本帝国で、その名をかざされただけで逆らえるものはいなかったのだから、太平洋戦争に突入した責任は常識的に行って彼にある。しかし実質的に当時国を動かして戦争にもっていったのは軍部だから、重いい責任は軍部の指導者にある。アメリカのマッカーサーは政治的判断で天皇の責任を不問にし、東条英機らの責任を追及した。日本人の大多数はこれを受け入れた。天皇を処刑したならばどういうことが起こったか、恐るべき混乱が起こったことは間違いないであろう。昭和天皇が退位すべきという意見は側近の間にあり、筋論として正しかったであろうが、アメリカ司令部が取上げなかった。
 今の天皇は若いときにクェーカー教徒のアメリカ人女性を家庭教師に持って平和教育を受けたから、進歩的な思想の持ち主で真面目かつ学究的なようだ。自民党の右翼的な人物よりはるかに物分りがよい。今の政治家はこの辺のことを忘れてもらっては困る。

生きること、アイデアの実践

2008-12-22 15:44:08 | 哲学
12月22日 雨
 冬至を過ぎて日は少しずつ長くなりだす。クリスマスも新年もこのことに関係があり、主イエスキリストの誕生を祝うことが古代の冬至祭と結合したという。
 前向きの人生を送ることにし、過去に引きずられないことを信条に生きた人ガいる。Mさんという人で、台湾で事業を展開したが、失敗して多額の借財を負い、死ぬことばかり思っていたが、友人の勧めでキリスト教に入信した。それは劇的な回心であった。彼に訪れた新生の喜びは大きく、生涯は一変した。
 この人は実によいアイデアを思いつく。経営コンサルタントとして活躍したが、それだけでなく五行歌をよくし、さらに高齢者の施設の運営にも携わった。この人にとって生きるとはアイデアの実践であった。信仰者として最高の心の喜びを知った人に訪れる自由と、平安である。それは一種の奇跡であった。しかし突然の死は彼の行く手を遮った。惜しいことであった。
 彼の生涯を振り返り、まとめて追悼集を作る計画が進んでいる。

冬至のかぼちゃ

2008-12-21 19:38:08 | 哲学
12月21日 はれのち曇り
 冬至の朝は冷えたが日中は暖かいので助かる。朝まだ早い時間に救急車のサイレンが鳴り響くと、近所の犬がそれに合わせるかのように遠吠えを始める。近くに病院があるためで、救急車は時にしげしく、人の眠りを覚ますこともある。
 冬至のかぼちゃは風物詩になり、スーパーでも力を入れて販売にいそしむが、不況の風もここの売り場にはあまり強く回ってこないようだ。贅沢品でもなく日常の買い物が少し彩られるといった程度がよい。人間あまり立派なことをやらかそうとせず、ごく普通がいいことなのだ。そうして作られる平和な暮らしが少しでも広がるように、私は祈る。