一生

人生観と死生観

新入生からのアンケート

2007-06-30 14:25:01 | 哲学
6月30日 曇り
 新入生からのアンケートが届いた。東北大学が創立百年を迎えるので企画されたものであろう。伝統と学風についてである。こうした問いはそれ自体悪いとはいえないが、問う側の自己満足ないし自惚れにつながってはいけないものである。
 私はすべての人にこれから大事なこととして次のようなことをあげたい。
  SENSITIVITY  情報社会における受信力
  VITALITY    これからの動乱する歴史社会における適応力
  SERENDIPITY  実生活空間におけるチャンスをとらえる力  

ブログ礼賛

2007-06-29 09:26:23 | 哲学
6月29日 雨
 ブログの意味を誤解するなかれ。勝手に自分の思いを綴れ、匿名だから無責任天国。下品も、犯罪的告白も言いたい放題。規制する手もない。そのような飛びっきりの自由を実現したブログは現代的も現代的、これをとやかく言っても仕方がない。
 それよりもブログの特長を生かした営みこそ重要だ。私はブログを将来の著作の習作にしようかと考えてことを始めた。アイデアはよく私の頭を過る。忘れてしまうのはもったいない。夢は夜見て朝には忘れるのが大半。しかし残っているのもあって、なかなかの面白さ。手帳に書くのはちょっと億劫でも、ブログなら書けるというのもある。そんなブログの世界を作り上げるのはどうだろう。
 こうして私はブログ礼賛主義者になった。ブログ哲学のはじまり、はじまり。

エジプトのミイラ

2007-06-28 09:42:35 | 歴史
6月28日 晴れ
 朝から暑い。四国は雨が降らず、水不足。なにか地球に異変が起こりそうだが、人はのほほんと構えて、一向に切実味がない。まあ自分ひとりが騒いでみてもどうにかなるわけでもない。
 ところで新聞にエジプトの女王のミイラが科学的検査にかけられ、身元判明。ハトシェプストとという3500年ほど前の女王だ。幼い子どもが一人前になる前に国を治めたという。左手を握りしめたまま眠りに眠って今日に至る。
 それにしても人間の歴史で民主主義の統治が普及するまでになんという長い時間がかかったことであろう。

お金

2007-06-26 16:39:10 | 生活
6月26日
 宝くじに当たって大喜びして、結局すってんてん、当たらなかった以前より不幸になった人の話が新聞に出ていた。お金はないと困るが、あり過ぎてもうまくない。人間は賢いようでとてつもなく愚かである。自己コントロールが利かないのだ。
 でも私はお金は使うべきときに使うよう心がけている。自分の先は何年か。もうそんなに長いとは思われないから、社会のために、友のために、子孫のためになにか永続するプレゼントを残したい。今度のいのち像十周年に関する本もそのひとつ。
 お金は使いようだ。よい人が良いアイデアを出せばその効果は何倍かになる。私の周りによい人がいるので、ほんとに大助かりだ。よい人は一種の連鎖反応でよい人を集めてくれるのだ。

自惚れ屋

2007-06-25 20:57:13 | 生活
6月25日
 人間は自己中心であるのが普通。したがって多くの人は自惚れやであると思いきや、常識が働いて自惚れは程よくおさまる。私は余り自分を利口と思ったことはないが、時として自分のアイデアに夢中になり、よい考えが浮かんでくるとまるで自分が天才のように思ってしまうことがあるらしい。子どもっぽいことだがそれで自分が幸せになるならそれもよいではないか。
 ここ十年私が関わったニッポニウム再発見の経過を思うと、余り運がよすぎて空恐ろしくなることがある。セレンディピティーは私に強くはたらいた。幸せものの私に今日私の労作の文の掲載された雑誌が届いた。ああ。

2007-06-23 10:08:07 | 生活
6月23日
梅雨の中休みは快晴。しかし暑くなりそうだ。
 春は曙、夏は朝、秋は夕暮れ、と来れば次は冬、こんな暑いときには寒い冬の夜炬燵にあたりとりとめのない話に過ぎるひと時を思うのがよさそうだ。
 新潟市で過ごした少年時代、みんなの生活は貧しかった。ストーブはなく、また都会ゆえに囲炉裏もなかった。炬燵であっためた身体を布団にもぐりこませて、それで寝るのだ。朝起きるとき耳たぶが冷えて痛いほどだったなあ、そんな思い出がふっと浮かぶ。

個性的な日本人を育てる

2007-06-22 10:41:53 | 哲学
6月22日 関東東北 梅雨模様
 「化学と工業」誌に田丸謙二東大名誉教授の投稿を読む。タイトルは「日本の将来は現在の教育が決める」である。森嶋通夫ロンドン大学名誉教授や阿部博之東北大元総長らの意見ーすなわち詰め込み教育の弊害、個性的な自己判断のできる人間を育てることの必要ーに反応したものである。具体的な例としてご自分のお孫さんの例を引いて、アメリカで小学2年まで教育を受け、優れた才能の芽を示しつつあった子が日本に戻り、日本の詰め込め教育に毒されつつあることを嘆いておられるのである。
 中学1年をかしらに4人の孫を持つ身となった私も今の日本の猛烈な詰め込み教育の実態は憂慮している。大学序列化、受験競争が背景にあるのは言うまでもない。さりとて一人で抵抗してもどうにもならず、流れを観察するしかないことに半ばあきらめ、半ば観念している。
 ただこんな非個性的な日本人もまったく救いがないわけではない。少ないとはいえノーベル賞あるいはフィールズ賞(数学)をもらう人はいるし、そういう少数者に天が与えたまうたセレンディピティーも見えている。
 さらに言えば、セレンディピティーは必ずしも天才だけのものではなく、普通の人にも与えられる。気がつかないでいることが多いのだ。ひらめきは天才だけのものか、脳科学者茂木健一郎の言うところは大いに参考になる。
 「何よりも、ひらめきは一部の特権的な人たちだけがもつ能力であるという思い  こみを払拭する必要があるのです。」

帰宅

2007-06-21 11:55:12 | 生活
6月21日 曇り
 名古屋の学会から帰宅して以来、疲れて何もする気にならず、のうのうと過ごしている。体力、脳力の低下だ。
 よいこともあった。人は動かねば、ことに遭わねば本当の知識を広げることはできない。学会は出会いの場であった。
 お世話になったT 先生が亡くなったことを聞いた。淋しいことである。私の恩人なのだが、最期は認知症であったという。人に優れた才能の人でも、先は分からないものである。天国の幸せを祈る。

旅立ち前

2007-06-14 14:17:39 | 生活
6月14日 くもり
 これから雨になるらしい。梅雨模様の日本列島の雲行きは西から東へ変化しつつ、この国に季節相応の暑さと湿気をもたらす。
 旅は構想しているときが一番だという人もある。旅立ち前の慌ただしいときに、間に合わせの仕事をやってのけようとするのは愚かかもしれない。しかし私はそこに一種の幸せと詩情を感じている。之から西へ向かう。むかし都人は、白河越えに詩情をかきたてられた。その逆のコースをたどるのだ。
 旅はロマンを呼ぶとは限らないが、その心掛けでおれば収穫もあるかもしれない。行こう。ささやかな一人旅に!

ひらめきとセレンディピティー

2007-06-13 20:10:21 | 哲学
6月13日 晴れ 
 今日は充の命日。充がわが家の運命を変えた。それが私個人の人生の方向を変え、あらゆる面で私そのものを変えたといっても過言でない。人生にセレンディピティーが働く。これは私にとって自明のこととなった。
 ひらめき、それはセレンディピティーとも関係のあることだが、一瞬の間に分かる、物事が見える劇的なものと思われている。なるほど、ひらめきそのものは瞬間的かもしれないが、これに至る過程はいろいろあるだろう。賢い人にだけひらめきが来るとは限らない。普通の人間にもそれはある。夢は不合理なことが多いが、その夢にもひらめきの種がある。私がニッポニウムの写真乾板の解読に悩んだとき、うとうとと夢とも現ともつかぬその間、ある声のような,啓示のような一種のひらめきがあったのは事実だ。スペクトルについて考え込んでいた私に響いてきたのが、
    あっちじゃない、こっちだ。
あっちというのはスペクトルの右の部分、こっちというのはスペクトルの左の部分のことである。左には未解読で一寸手の付けようもないと思われた二つの鋭いピークがあった。そうだ。そのピークこそが重要だったのだ。眼が覚めて実際そのピークに着目して解いてみると、本物のニッポニウムのもの、すなわち75番元素のものであった。これでニッポニウムは75番元素と確定した。ドイツのノダックたちより小川正孝が17年も先んじて発見していたのだ。
 こんなことがあるから、科学はおもしろく、また一方で不思議な要素もあるのだ。セレンディピティーとはこういうものも含むと考えてよいだろう。ただしこんなひらめきはオカルトとは違う。直観だけで論理が伴わなければ、それは危うい。こうしたことを十分考えた上でセレンディピティーやひらめきを論じるべきである