一生

人生観と死生観

静思ー年越し前

2010-12-31 15:11:07 | 哲学
12月31日ー曇り一時晴れ
 ついに2010年の最後の日ー大晦日の日を迎える。大掃除は出来るだけ簡単に済ませ、ひと息ついて心の整理にと深呼吸して夕べを待つ。今年はどんな年だったか、わが家では一年の10大ニュースをまとめる習慣があり、30年以上続けている。喜びも悲しみもノートブックに書き留められて家族の歴史となっていった。
 ふと思う。この日の時間は流れること早く、そして気がついてみるとその時間に何かが挟まっているみたいな感じを受けるのだ。妙な言い方と訝る人もいるかもしれない。言い換えれば、忙しい中にわれに返るといった感覚といったら分かりやすいかもしれない。いっとき、静思のときがやってきたのだ。あの近代を開いた哲学者のデカルトは考えた。われとは一体なにか。われとはこの社会の中にあって小さな存在、しかし限りなく貴重な存在ではないか。われ思う故にわれ在りーの言葉はデカルトの言葉として有名だが、私は考え、そして言うとすればデカルトのようにはならない。私は思う、わが生きることをーそれが私に実感で、昔旧制高等学校に入学したころからの私の人生の底流となっているのだ。生きる、わかっても、わからなくても人は生きる。その中には深い意味があることをますます思うこの頃である。

今こそ大きな目標に

2010-12-30 17:06:21 | 人生人間
12月30日 晴れ後曇り後雨
 一年の最後の大掃除を明日にひかえ、今日はその前の小掃除にということで、ふだんはあまり掃除をしない二階の片付け。やっているうちに枝葉のことが次々起こる。額に入れて飾れば格好がつく史料など時間をかける気がしないので、今まではズーッと放置していたが、この際思い切ってやってみると、小記念館風にすっきりする。こんなことをやっても、見る人もないので自己満足するだけになるが、たまには自分を褒めて勇気付けることもよいだろう。しかしそれは無常の風が吹けば空しい業になることは百も承知だ。
 しかし政治の混迷は否定すべくもない。政権政党の民主党がここまでもたついて身動きが取れないとき、しびれを切らした世論の不満が噴き出ている。菅首相は慣らし運転から本格運転に、つまり仮免許から本免許に移った積りかもしれないがあまりにも印象がよくない。野党の攻撃は厳しく、あれやこれやと連立を試みてもうまく行かず、よろよろ歩きの体たらく。これでは将来展望が開けてこない。首相が1年ももたない国は諸外国から軽く見られても仕方がない。今こそ大きな目標を持って国難ともいえるこの政治外交の荒波を乗り切ってもらいたい。それが出来なければ週刊誌が取り上げているように、度胸のよい小沢氏でも担ぐしかない。ヴィジョンのある政治家いずこにありや?

年賀欠礼ー人生のまとめとは?

2010-12-29 11:40:37 | 哲学
12月30日 晴れ時に曇り
 年末。もう今日と明日と明後日だけの2010年。行く年を惜しむのは愚かな感傷かもしれない。しかし年賀欠礼のハガキが舞い込むとき、そうは言っておれない。亡くなった人の想い出は時に胸を刺す。あの猛暑の日に恐らくは苦しんで死に面したかもしれない。また長年の病の苦しみの最後の時にかの世を望み見て、この世の人の知らぬ喜びの幻を見たかも知れない。死は偉大なXである。
 それにつけても人生の残り少ないときに何らかのまとめを記し、子孫、後世の人たちにささやかながらも贈り物を残すべきではないか。それが彼らに対する愛情の証しではないか。もちろん何もせずに爽やかに世を去ることもよい。掻き消えるようにというのも死のあり方かもしれない。だがそれはかの世を信じない人たちのもので、ある意味気の毒なことだ。神に召されたものは最後のときまで証しをするのだ。
 私はある決心をした。エッセイ集の続編を残す。ブログからも抽出する。こうして私を、私たちのグループ、いのちの尊厳を考える会などを支えてくれた人々には感謝したいものだ。

年の瀬の実感

2010-12-28 19:37:22 | 哲学
12月28日 晴れ
 御用納めの日。この年も暮れ行く。昨夜はフィギアー・スケートのエキシビションを見たが、日本選手の成長振りは目覚しい。今の世の中就職難や烈しい競争、老年ともなれば無縁社会、孤独死などの様々の問題があるが、スポーツの世界は爽やかな話題がつぎつぎに出てくる。若い世代につき悲観的になる必要はなさそうだ。
 しかし私個人としては色々な工夫をして、この年を乗り切り、そして次の年の希望を作るのだ。挫けてはならない。時間に追い立てられるように年末を迎え、そして新年を迎えるのが恒例のこの頃だが、新老人の会に入り、創ること、愛すること、耐えることに、望みを持つことを付け加えた私としては、何かすがすがしい気持ちで時を過ごすべく、新年につき進む。

一日一日を大切に

2010-12-27 15:14:10 | 哲学
12月27日 晴れ一時曇り
 いのちの尊厳という言葉は、坊さんとか、牧師さんとか、学校の校長先生が言いそうな言葉だとしてちょっと敬遠されそうな言葉だが、私たちが十数年やってきた「いのち像を囲む集い」は音楽祭と講演会があって、特に音楽祭は天上の音楽を地上に下ろしたような感動を参加者に与え続けている。音楽祭といっても大袈裟なものではない。十数人の女子中学生と先生、それにソプラノ歌手が歌ってくれる新緑の宮城県中央児童館の行事なのである。
 一日一日を大切にということは時としてありきたりの道徳的お説教のようだが、本当は道徳を越える意味がある。一日一日いのちを生きる。そのいのちは人の思いを越えたはるか昔から続いている。いのちにはドラマがあり、時として不思議が伴う。いのちはまったくよく出来ている。造化の神が投じたことばーいのちの原理、ロゴスのことを思ってみる。(新約聖書 ヨハネによる福音書)このいのちは光であり、真理であり、あらゆる生物を生かすものである。一日一日私たちは生かされている。このいのちをそれぞれ生き抜くことこそ私たちの使命なのだ。

何故犬の寿命は人より短いか

2010-12-26 15:41:15 | 哲学
12月26日 晴れ
 犬は人に忠実な動物である。忠犬ハチ公のことを思い出す。主人が亡くなったあとも駅に迎えに行くなんて
ほろりとさせられ、そこで感動した当時の人が渋谷駅前に銅像を建てた。別の例も多い。何時か見た介助犬のゴールデン・レトリバーが盲人の主人に献身的に仕えたことも感激的であった。この犬は何年かたって亡くなった。主人は涙を流したが、犬の寿命が尽きたことは承知していたから、諦めて次の介助犬を探した。
 昨日の毎日新聞で読んだ。25歳を過ぎた栃木県の犬がギネスブックで世界最高齢の認定を受けたそうだ。人間で言えば116歳くらいになるというから犬にしては大変な長寿だ。飼い主はこの犬が穏やかな性格で、あまりチヤホヤせず放任していたそうだ。写真を見ると俊敏という顔ではない。それで納得できる気がした。人間も神経を張り詰めていたら長生きなんか出来っこない。
 しかし何故犬は人間より短命なのだろう。ある人は人の体重といろいろな動物の体重を比べ、一方で人の寿命と色々な動物の寿命を比べて、体重と寿命に相関関係があると見た。たとえば象は体重が重く人より長生きするが、犬やネコは人に比べ体重が軽く短命だ。ネズミのような動物はもっと軽く短命だと。
 しかしこの論理はあまり納得できるものではない。男女の体重は男が大きいが、女より早く死ぬ。日本人では6,7歳も差がある。キャリヤー女性が増えると短命になるかも知れないが、今のところそれを証明するほどのデータはない。ただすべての生きものは死ぬことは確実で、生きている間くよくよせずに生命を楽しむ態度でおれば少しは長生きするだろう。寿命を定めるものは何か、それは今のところ謎という外ないだろう。


温泉つき住宅の効果

2010-12-25 21:00:44 | 哲学
12月25日 晴れ時に曇り
 クリスマスの日。今年は多事多難。しかしなんと言っても夏の暑さはこたえた。高齢者は暑さに耐えられず、いのちを落とした人もいるようだ。
 さて私は今温泉付きの住宅の団地の一角に住んでいる。もともと長患いの次男のために生活の場をここに移し、何とか改善を計りたかった。しかし家が出来て引越しの直前に次男は亡くなってしまった。温泉は贅沢そうに聞こえるかもしれないが、いわきは常磐炭鉱の跡地で、方々で温泉を掘り当てることが出来るらしい。そんなに贅沢な話でもないのだ。
 温泉は成分が硫黄を主体とする単純なもののようだ。くせのない温泉成分といえるだろう。病院では温泉療法の指導をするところもある。ノンビリと湯に浸かることができれば、多くの病気は治ってしまうだろう。病は気からという言葉があるが、精神と肉体は峻別できるものではなく、相互に関係するのである。
 この住宅ではお湯を沸かすということが必要ない。天然の温泉が配管によって各家庭の風呂場に送られてくる。それをためて人間が入ればよい。犬を入れたい人は小さな浴槽を作ればよいのだ。ゆっくりと、気の向くままに長く湯に浸かるのは良い気分である。来し方行く末、考えるともなく思う時間は貴重なものだ。長生きの条件は物事にくよくよしないことだが、まさにその条件はクリアされる。私は長生きする積りだが、しかし人の寿命は神のみぞ知る。
 温泉の維持費は月12000円ほどと聞く。1日あたり400円ほどだから決して高くはない。まだこの団地には空地がかなりある。このブログを見て心が動く人は見に来るとよい。東京からの列車は2時間でいわき下車。団地の住人は東京、横浜などの移住者も相当多いといわれる。ただし生活のために車を使う必要がある。歩いてゆける範囲の店は多くはないからだ。

聖母の横顔

2010-12-24 17:01:44 | 哲学
12月24日 晴れ時に曇り
 ついにクリスマス・イブの時を迎えた。今日受け取ったカードはドイツミュンヘンのフランツ・バウムゲルトナーさん、台湾の黄定加さん、それに藤澤光さんからのものであった。世を去った充の写真の前に飾ることにした。
 聖母マリアは信徒の尊敬―崇敬の対象である。初代の信徒たちは迫害のもとに、強い家族的集団を作った。私はその結合の強さを新約聖書から読み取ろうとしている。イエスを生んだマリアのまとまった伝記はない。しかしイエス・キリストが十字架上に処刑されたのちに、当時の社会状況から見てマリアは恐らくイエスの弟のヤコブに養われたことであろう。しかし十字架につけられたときに、涙のマリアを見たイエスは弟子のヨハネらしい人物にマリアを母と思えと言った。そしてその人物はマリアを自分の家に引き取ったとある(ヨハネ伝19:27)から一時的に彼女を世話したのであろう。ヨハネの家はイエスの家と親戚関係にあったもののようである。マリアは何時亡くなったかの記録はまったくないが、イエスの弟のヤコブのところで、多くの信徒の尊敬を集めた。のちに聖母とあがめられるようになったことから、白髪になるまでの年齢までは存命していたのであろう、と私は想像している。ルカ伝2章にあるように、イエスがベツレヘムで誕生したということを捏造記事と見る後世の学者(岩波キリスト教事典)がいるようだが、彼女にそのようなことをする理由はまったくない。学者は詮索しすぎてまことにおかしなことを言うのである。無責任きわまりないことだ。記録されているようにベツレヘムは宿屋が混んでいて、両親は馬小屋に泊まり、そこでマリアはイエスを生み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせたということは根も葉もない伝説とは信じられない。単なる伝説ならもっと上等なところに生まれたことにすればよい。この話は実話が反映しているに違いない。なぜ疑うのか。
 聖母は控え目な人であったようだ。出しゃばらずに静かに自分の運命を受けた(ルカ伝1:46マリアの賛歌)。彼女はわが子を失い嘆きの母となった。しかしイエスの教えは広まり、ついに全世界に広まった。聖母を崇め過ぎることはないが、その横顔を思い静かにこの時を過ごそう。(それにしても母は強い。わが子の危機に対してどんなことがあっても守り抜こうとするのだ。そんな母の面影はどの平凡な母にもある。私の母のことも思い出される。)

生きものーその行進

2010-12-23 16:11:01 | 哲学
12月23日 晴れ時に曇り
 天皇誕生日の12月23日、休日を楽しむ人は多いだろうが、何しろ年末のこととて心忙しい気分であろう。長男は孫を連れて山形県小国の基督教独立学園に日帰りでかけた。彼の母校であり、何かと故郷のように思っているらしい。ここはキリスト教の学校で全人教育をやってくれるところである。朝日新聞やその他テレビで紹介され、全国的に有名になったが、田舎の学校であるだけに受験に不利なことは間違いない。長男も中学校のはじめごろまでは宮城県でもトップクラスの成績であったが、この学校を志望して不利を覚悟で入学した。お蔭で大学入試には二度失敗して三度目に医学部に入ったのだが、悔いることのない高校生活であったようだ。アクセク受験勉強しない生活に憧れる人は若者には結構多いのではないかと思う。この高校は生活費も高くないし、何より先生と生徒たちの間、生徒同士の親密さは他に比類を見ないといってよいだろう。
 さて表題の生きものの行進だが、進化論の発生は18世紀にさかのぼり、有名なラマルクやエラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)らが論陣をはったのち、19世紀になってチャールズ・ダーウィンが近代的・合理主義的な進化論を唱えたのである。生物は生存競争によって進化するというのがその骨子である。ダーウィン自身はその説が英国国教会の教義に反していると非難されることを恐れて、容易に発表できなかったのだが、ほぼ同様な見解に達したウォーレスの未発表論文を見て、学者としての決断をしたのであった。彼はウォーレスに譲られた形で進化論を発表したのであった。ダーウィンは教会を離れ、不可知論者になり、聖書にある天地創造説は採らなかった。その後の烈しい論争を経て、進化論は科学の世界で一定の地歩を確立した。しかしダーウィンは生命の誕生のことまで言及はしなかった。現代の進化論はたとえばひところ唱えられた木村資生の幸運者生存(ダーウィンの適者生存に対して)のような理論も越えて進んでいるらしい。その詳細は素人の私がここで述べることは差し控える。ただ進化論は最終的には生命の誕生と密接に関連することは間違いなく、何故、何時、何処で、如何にという問いは大変な難問である。ただ素人でも「いのち」は
あまりにもよくできていること、進化はどんなに精緻な説明をしても謎を含んでいることは分かる。そこに超越神の介在を見ることは科学と矛盾するわけではない。科学はHow を記述し、宗教はWhy を直観に訴えるといっておこう。生きものの大行進は止まることを知らないのである。人類も滅びのときが来るかも知れず、決して驕ってはならない。

年賀状の功罪

2010-12-22 19:36:44 | 哲学
12月22日 雨のち晴れ
 冬至、朝は大荒れ、のちに晴れて穏やかとなる。妻がそっと出してくれたのが冬至南瓜のおかずだった。入浴のあと年賀状の残りを仕上げてほっとした。
 毎年、毎年年賀状を書く。このことにどれほどの意義があるか。深く考えればむなしくなるだろうが、それほど拘ることでもなさそうだ。付き合うべくして付き合う機会の少なかった人に挨拶だけでもして、自分がまだ元気でいることを知らせる。それは相手にとってもいいことに違いない。また遠く離れて時に思い出すだけの過去の恩師・先輩・仲間に自分の存在を意識してもらうこともよい。少し煙ったい上司に挨拶だけしておく機会を与えてくれることもけっこうだ。
 ただしもらう側の立場としては、四角四面の挨拶が二三行あるだけの年賀状は面白くない。添え書き一行だけでもあまり改善されたとはいえない。面白くない年賀状は表の住所氏名だけ見ればこと足りる。絵の入った年賀状は出来のよいものとそうでないものとがある。工夫が凝らされているものはよい。毎年のものを集めて編集できるもの、しかもそこに味わいのあるものは貴重で、保存する価値がある。阪上先生のものはそんな貴重品であった。
 年賀状で時間を潰す、そのことが習慣の日本人、県末の風物詩とはいえ、これからは少しづつ変わってゆく兆しがある。それはインターネットによる通信だ。