12月31日ー曇り一時晴れ
ついに2010年の最後の日ー大晦日の日を迎える。大掃除は出来るだけ簡単に済ませ、ひと息ついて心の整理にと深呼吸して夕べを待つ。今年はどんな年だったか、わが家では一年の10大ニュースをまとめる習慣があり、30年以上続けている。喜びも悲しみもノートブックに書き留められて家族の歴史となっていった。
ふと思う。この日の時間は流れること早く、そして気がついてみるとその時間に何かが挟まっているみたいな感じを受けるのだ。妙な言い方と訝る人もいるかもしれない。言い換えれば、忙しい中にわれに返るといった感覚といったら分かりやすいかもしれない。いっとき、静思のときがやってきたのだ。あの近代を開いた哲学者のデカルトは考えた。われとは一体なにか。われとはこの社会の中にあって小さな存在、しかし限りなく貴重な存在ではないか。われ思う故にわれ在りーの言葉はデカルトの言葉として有名だが、私は考え、そして言うとすればデカルトのようにはならない。私は思う、わが生きることをーそれが私に実感で、昔旧制高等学校に入学したころからの私の人生の底流となっているのだ。生きる、わかっても、わからなくても人は生きる。その中には深い意味があることをますます思うこの頃である。
ついに2010年の最後の日ー大晦日の日を迎える。大掃除は出来るだけ簡単に済ませ、ひと息ついて心の整理にと深呼吸して夕べを待つ。今年はどんな年だったか、わが家では一年の10大ニュースをまとめる習慣があり、30年以上続けている。喜びも悲しみもノートブックに書き留められて家族の歴史となっていった。
ふと思う。この日の時間は流れること早く、そして気がついてみるとその時間に何かが挟まっているみたいな感じを受けるのだ。妙な言い方と訝る人もいるかもしれない。言い換えれば、忙しい中にわれに返るといった感覚といったら分かりやすいかもしれない。いっとき、静思のときがやってきたのだ。あの近代を開いた哲学者のデカルトは考えた。われとは一体なにか。われとはこの社会の中にあって小さな存在、しかし限りなく貴重な存在ではないか。われ思う故にわれ在りーの言葉はデカルトの言葉として有名だが、私は考え、そして言うとすればデカルトのようにはならない。私は思う、わが生きることをーそれが私に実感で、昔旧制高等学校に入学したころからの私の人生の底流となっているのだ。生きる、わかっても、わからなくても人は生きる。その中には深い意味があることをますます思うこの頃である。