一生

人生観と死生観

年末随想

2007-12-31 12:31:12 | 哲学
12月31日 晴れ
 溜まった水に上に氷が張っていた。今冬はじめてのことだ。滑って気がつき寒い朝だと納得。
 今年はよいことも悪いこともあった。社会では偽の年という。社会保険庁の宙に浮いた年金を私の内閣の手で一人残らず完全に明確にして見せますといった安倍首相は総理の座を投げ出した。悪質な偽りである。なぜこんな見えすえた嘘を言うか、またそれを許す政権与党もだらしないではないか。賞味期限の偽り、耐震偽装の問題、あちこちガタガタではないか。欲に浮かれて競争に走らされる、この世のあさましさである。
 私の身の回りを見る。よいことはブログを発信できたことか。百何十回か倦まずたゆまず続けて今日に至った。馬鹿馬鹿しいコメントのアタックもあったが、真面目に読んでくださる方もいて、勇気をもらったとさえ言われると、こちらも止めるわけにゆかなくなるではないか。
 悪いことは宮城県中央児童館の廃止を宮城県が知事主導の下に言い出したこと。
これは戦わねばならぬことだ。中央は繁栄の端緒をつかみ、地方は疲弊して、なりふり構わず経済効率のことばかり言い立てる。役人に見識がない。児童を健全に育成することは天下の大事だということを忘れている。
 ともあれ今年一年守られて今日の日を迎えた感謝を一言。

どうしたら神をしんじられるのですか?その三

2007-12-30 15:05:30 | 哲学
12月30日 雨
 週末ー年末は荒れるということだったが、お天気不良。
さて今日は日曜日だからこの前の続きを。
A 教会に行って見たが、温かく迎えてくれた。牧師さんにも会ってみた。どうぞ続けていらっしゃいということだった。牧師さんの説教はさっぱり分からなかった。聖書の言葉というのが恣意的な引用みたいでぼくにはなじめない。
B 牧師さんだってどうすれば聖書の言葉が皆にピンと来るか苦労しているのさ。大衆に感動させるために大説教をするアメリカの牧師がいたが、ちょっと日本人には向いているとは思えない。説教という方法によらず、「学び合う」「勉強する」
というやり方で少数でもよいからグループで聖書を研究しているところもある。そういう人たちはキリスト兄弟団とか無教会などのグループとかある。
A 面白そうだ。機会があれば行ってみたい。
B それもよいだろう。その前に自分でも聖書を読んでみて、どこが分かるかわからないか、分かりそうなところを見ておくといいな。聖書には全部は分からないなりにとてもすばらしい所もある。詩編などがそうだ。

ノーベル賞の教え

2007-12-29 09:56:45 | 哲学
12月29日 雨のち曇り
 昨日台湾のノーベル化学賞の受賞者李遠哲氏からメールの返事があった。こちらから『化学者たちのセレンディピティー』を差し上げるむねメールしたのだ。彼はアメリカ・カリフォルニア大学教授、分子線研究で有名だ。私はもうお金や名声が欲しいとも思わないが、後輩を勇気付けるためにこの本を書き、そしてもしかしたらそれはアジアの化学者たちにも有益なのではないかと思い、李遠哲氏に書いたのだ。彼の返事は本を待っているとのこと。さて贈った本がどんな働きをするだろうか。

愛の武将

2007-12-28 10:32:48 | 歴史
12月28日 うす曇やがて雨の見込み
 気の早いことと思われるかもしれないが、再来年のNHK大河ドラマの主人公は直江兼続と決まっている。上杉景勝の家老で関が原の合戦の時西軍石田三成とはかって徳川家康の心胆を寒からしめたといわれる人物であった。
 この直江が兜の前立てとして採用したのが愛の字であった。上杉家は景勝の先代謙信が信仰心厚い特異な戦国武将であった。不動明王の化身とも言われる人物で、天才的な戦上手、川中島の合戦では敵方武田信玄ー山本勘助の策を看破し、霧にまぎれて敵の本陣に迫って敵を大混乱に陥れ、信玄の命も危ういほどであった。惜しいことに謙信は酒好きでそのために短命であった。謙信のあとを継いだ景勝は直江兼継を家老として重用した。直江はすぐれた知恵者であり、勉強家であったといわれる。兜の前立ての愛の字は彼の人生哲学と信仰を表す。人の上に立つものとして哲学のないものは失格である。とくに愛の心のない者は恐るべき混乱を社会にもたらす。

どうしたら神を信じられるのですか?その二

2007-12-27 14:49:05 | 哲学
12月27日
 この表題のその一はいつもより閲覧者が六割増し多かった。クリスマスのせいかと思うが、もしかするとスピリチアルな風潮の昨今、人々の心のユラメキを映しているのかもしれない。続けることに意義ありと認める。
A やっぱり考え直したよ。神がいないと断定するほど人間は利口じゃないって言うことー人間の知恵は限られたものに過ぎない。だだしぼくの不安は神がおられると実感するほどの信仰心がないということだ。宙ぶらりんなのだ。
B 人間誰しもはじめから確信を持って神の存在を認めるということはないのじゃないかな。
A 君はどうして神を信じられるようになったんだ。教えてくれ。
B ぼくもはじめは疑っていたさ。ただぼくの個人的な体験がそのまま君に当てはまるかぼくには分からない。だからぼくが君に奨めたように聖書を読んでみること、そして君の友人または指導者を見つけることだと思う。ぼくの場合は聖書を読んでもよく分からなかった。無教会の内村鑑三の弟子の藤井武の本を読んで初めて目が開ける想いがした。しかしこれはあくまでぼくの経験だ。信仰に至る道はいろいろあると思うし、ひとつではないということがまた神の知恵の広さを思わせる。信仰にいたってふり返ればまさにそれは恩恵の道と見えるのだ。細い道なのによくぞ通ってきたことかと思う。信仰前と信仰後についてたしか明治の文豪徳富蘆花が言っていたと思うが、一瞬のひらめきの後の信仰の世界はまるで違ったものになる。信仰のない人には過剰と見えるかもしれないが、すばらしさに打たれて人はしばしば喜びのあまり言葉を失い、また言葉の奔流に流されるような現象が起こる。
A 羨ましいことだ。ぼくも少し考えてみよう。だがずっと以前、聖書を読んだことがあるのだが、創世記はおとぎ話みたいだし、イエスのお話は系図が出てきて何のことやら分からない。
B ぼくも同じような経験をしたさ。しかしそれは読み方の問題で、本質的なことではないのだ。それよりももっと大事な問題が聖書の中にいっぱいある。

年末迫る

2007-12-27 10:26:45 | 生活
12月27日 晴れ
 2007年もあとわずか。2008年はどんな年が待っているのだろうか。幸せを年ごとに祈り期待しても、思うようにはならない。いっそ何も期待せず、その時その時生きていてとにかく暮らせるということを幸せとすれば、多くの人に不満はない筈。しかしそうはゆかないのがこの世というものだ。
 他人との付きあいでも多くを期待すれば失望も多いだろうが、期待しなければたまさかの幸運が大きく見えるだろう。
 こんな事を書いているうちに私はこれはストア派の哲学みたいだと思った。若いときは何だ年寄りの哲学ではないかと軽蔑したものだ。しかしいまそれで静かなときを過ごしている。

マルサの女

2007-12-26 15:28:02 | 哲学
12月26日 晴れ
 昨夜NHK衛星放送で有名な伊丹十三の映画『マルサの女』を見る。すごい迫力だ。彼が戦い、そして自殺にいたった原因と関連があるかと思われるやくざ社会との関わりも出ていた。映画界はもともとやくざ社会といろいろな繋がりがあるといわれるところだ。そこに切り込んでいった伊丹の勇気は大したものだ。
 人間は進化の過程で猿社会と似たようなものから出発し、長い歴史を経て今日の社会に至った。表社会では立法、司法、行政の三権分立の制度がなり、警察制度も確立したが、いまだに裏社会のやくざたちを撲滅できない。暴力と理性というテーマは依然として人間社会の重要問題である。かっとしてついつい手が出る、それが殺人に至る。人間心理の深みは底知れぬものを秘めている。
 個人としての問題だけではない。国家対国家の問題になればそれは戦争である。
どうして戦争をなくするか、人間の英知が暴力に勝つ日を夢見る、楽天主義や浅はかな理想主義と片付てもらいたくないテーマである。 

どうしたら神を信じられるのですか?その一

2007-12-25 11:12:22 | 哲学
12月25日 晴れ
 今日はクリスマスの日。キリスト教問答をここに記してみる。
A 私は無宗教の人間だと思っているのだが、時には宗教をもっている人ガ羨ましくなる。時には彼らが馬鹿馬鹿しいほど宗教的戒律にとらわれて気の毒になる。今日はクリスマスといわれる日だから、羨ましいという気持ちを代表させた質問をしてみたい。どうすれば神を信じられるのだろう。
B われわれにとって神はつねにいます。神は我らの世界の作り主として世界を包む存在なのだ。人ガそれに気付かないだけなのだ。もし気付いたなら君は多分宗教が馬鹿らしいなどといっていられなくなる。
A ではどうしたら気付くことができるのか教えて欲しい。
B 神は自然科学で直接的に証明できるような存在ではない。神は神によって作られた最高の存在である人の間で伝えられているが、それには理由があるのだ。差し当たりここでは、もし君に関心があれば、聖書を研究してみるようお勧めする。聖書は一代で作られた本ではなく、千年以上もかかってつくられた本だ。したがって小説を気楽に読むようなわけにはゆかない。一見矛盾と見えるようなこともあろう。それは註解書によって理解できる場合もある。一番良いのは生きた註解、すなわち生きた信仰者、指導者、先生に接することだ。
A おっしゃることは分かるが私の気持ちが未だ熟していない。
B 無理にことをすすめるわけじゃない。次の機会にもっとお話したいものだ。

清しこの夜

2007-12-24 18:45:28 | 生活
12月24日 晴れ
 とうとうこの夜に。私の家族はこの晩を毎年楽しみにして来た。教会のクリスマスとは違うが、イエス・キリストの誕生を記念する。子どもたちはこういう行事によって情操を育てられる。

仙台育英駅伝優勝によせて

2007-12-23 15:07:14 | 生活
12月23日 天皇誕生日 雨のち曇りのち晴れ
 都大路を走る高校駅伝で仙台育英が2年ぶり7回目の優勝を遂げた。育英高校は体育競技に強い有名校だ。人間あたま勝負だけでなく、身体の勝負もあるから、がり勉がいやな人はこちらで世の中にアピールすることができる。それでも一流になろうとすれば大変な努力が要る。勉強でも運動でも結局同じことだ。
 しかし人に勝つことだけを目標にするときはその人の人生が狭くなり面白みがなくなる。やはりゆとりとか、勝負だけに拘らぬ器量の大きさとかいうものが必要になる。日本人はそのことに早くから気がついていた。道というのがそれだ。柔道は柔術を超えたもの。その道の達人は風格がなくてはならぬ。
 モンゴルから帰った横綱の朝青龍も多分このことに気がついたのではなかろうか。