一生

人生観と死生観

長寿の幸いを世に還流する

2009-03-10 14:32:11 | 哲学
3月10日 晴れ
 この日は東京大空襲の日だが、昔は陸軍記念日と呼ばれていた。日露戦争のころ満州で奉天(今の瀋陽)を占領した陸軍の記念日だ。近代国家としての日本は欧米の真似をして実に多くの戦争をした。そして勝った勝ったと浮かれ遂に自ら墓穴を掘ったのだ。物事にはいろんな面があって、一面的な見解はよくないが、日本の歴史はあまりにも好戦的過ぎて思慮に欠けていた。戦争はしたくないものだが、北朝鮮の態度は周辺諸国を脅かす。軍部に支配されて自己肥大する国の将来は行き詰まる。
 それにしても平和は尊い。無益に人が死なないだけでも感謝すべきである。日本は女性の寿命が世界一、男性は五本の指には入るらしい。平和国家であるからこそのことだ。長寿は人の栄を表すものでありたい。長年の経験で鍛えられた知恵を有効に使いたい。世に還元することができるとよい。でしゃばるのではなく、求められる知恵の持ち主でありたいものだ日野原流の生き方の根底は聖書の知恵にある。人類の書聖書をいま一度手にとってみるがよい。それは知恵の宝庫である。人の失敗を包むところなく記した箇所ではわれわれの反省材料を見る。長寿よ、祝福を受けよ!

言語の起原

2009-03-09 09:12:18 | 哲学
3月9日 曇り
 言葉って不思議じゃないか。人間はしゃべる動物だ。それで意志をほかの個体に伝える。どんな民族でも言葉はもっている。それがてんでバラバラに発達している。より文明的な言葉は非文明的な言葉を圧倒し、その言語の血肉を占領する。ただし非文明的な言葉でもその骨格は容易に変わらないのだ。日本語や韓国語は中国文明に圧倒された、つまり漢字文明に侵食されたが、基本的な文法は変わっていない。中国語は主語ー述語ー目的語の順でインド・ヨーロッパ語と変わらない。日本語は主語ー目的語ー述語の順だ。そして一人称つまり私が省略される。これは草原民族がコミュケーションをとるやり方だ。先ずお前と言う。次はあれと対象を指す。そしてやっつけろとか、打ち倒せとか言う。この語順はたとえば集団の狩りなどの場合には簡にして要を得ている。Ⅰという主語はもちろん、You という2人称の主語さえ省略されることがあるが、これは自明なので省略が当然となる場合である。文明が進んで飾り語が必要になってくると少しもたつく感がある。

神学の世界と科学の世界

2009-03-08 21:28:40 | 哲学
3月8日 晴れたり曇ったり
 科学の世界はすべてクリアである。論理をもって証明が出来る。原理的にすべては科学的に観察し証明のできるのがこの現象界である。科学者の中で唯物論に走るものは多い。彼らは神の存在を否定する。しかし神の世界は現象界とは次元が違う
神的世界(あるいは霊界)と言えよう。神的世界は人間の目にはおぼろげではっきりしない。信仰者は先達、導師に頼らざるを得ない。そのことが科学者にはますます気に入らない。しかし気に入らないからといって神的世界の存在を否定するわけには行かない。科学が力を振う現象界でも科学だけで説明のつかないこともあるのだ。そういう現象界と神的世界の接点をなすものはセレンディピティーであると言えるかもしれない。セレンディピティーとは幸福な偶然と訳されることが多くなってきたが、大発明や大発見の蔭に偶然や滅多にない幸運の作用が働いていることが多い。それを直観するか否かが運命の分かれ道と言うわけだ。人間以上のものがここにあると言いたくなるのだが、これは迷信やオカルトではない。

回想は将来の世代に

2009-03-07 23:06:22 | 哲学
3月7日 晴れ
 今私の人生の事件のまとめを原稿に書きつつある。これはある会合で話を依頼されているのだが、それに使うばかりでなく、計画中の本に入れることにしたのだ。
科学への憧れが強かった青少年時代のことを皮切りに、ワクチン禍との戦いのこと、そしてニッポニウム復権のための努力。いずれも重要事件として新聞、テレビに取上げられたことを含む。
 大きなことを言うつもりはない。しかしささやかではあっても、将来の世代に残し、その参考になれば幸いだ。記録は単に記録にとどまらず、歴史を作る芽となるのだ。

インターネット社会の問題

2009-03-06 18:17:48 | 哲学
3月6日 雨
 早春の雨というのか。一日続く。花芽を育む雨と言いたいところだが、まだそこまでは来ていないようだ。寒いから身をちじめながら歩く朝の散歩。
 昨夜一寸聞かれて、アメリカのニューヨーク州立大のリハビリセンターに掲げられた詩の作者などについて調べた。インターネット検索によってである。すぐに分かった。南北戦争当時の無名の南軍の兵士の作というが、信仰に溢れた実によい詩であった。これを早速返事する。
 それにしてもインターネット検索は便利だ。昔ならとても考えられない文明の進歩である。これを使えば新しい文化の創造の可能性も夢ではない。問題はそれを使う、使いこなす人間性、その健全性、とくに人間としての分をわきまえた謙虚さも必要だろう。私は思い上がった人類が破滅に向かう未来は見たくない。

孫よ健やかに育て

2009-03-05 12:09:26 | 人生人間
3月5日 晴れ後曇り
 孫はそんなに秀才ではないかも知れないが、性格は良い方だと思う。勘はよいほうで、物事をパッと見て取り、対応するところはなかなかのものだ。ニコニコしていて友達付き合いもよく、家内はこの孫がお気に入りだ。かなり気が弱く、人の意見に左右されやすいところがあるので気になるが、これから成長する過程でこのような欠点を克服するよう努めたらよかろう。部活動などに参加できたらよいのだが。ただ中高一貫校に入ったのでこの方面の教育には少し不安がある。14歳は大人一歩手前なので、むずかしい年齢に入りかける時だ。少し幼く見える孫だが、いろいろな悩みを乗越えてよい人生にめぐり合えることを望んでいる。
 爺婆の孫可愛がりというけれど、孫は可愛い。孫という名の宝物と歌っていた歌手がいたが、あまり甘やかしてはいけないだろうが、将来の日本の社会の荒波を越えて一人前になってもらいたいものだ。

老化を嘆くなかれ

2009-03-04 15:09:38 | 哲学
3月4日 雨
 朝起きてみたら外は一面雪景色。いわきでは珍しいことだ。道路は濡れていて積もる雪はなく、車の運行に支障はない。孫を送るのにいつもより少し早く出る。送り終えて、みちみち危険はなかったのでほっとする。
 さて仙台での講演会も近くなった。講演の要旨を担当の庫山氏にメールで送る。
その際樺山様と間違えたのは老化のしるしか?すぐ訂正したが、姓名を間違えるのは大変失礼なことで、嫌がられる。気をつけたい。
 近頃読むものが多く、読書力が追いつかない。こんなことは昔はなんでもなかったのだが、やはり年のせいだ。しかし嘆いてもはじまらない。それよりも前向きに、与えられたいのちに感謝して暮らすことだ。

開き直りの哲学

2009-03-03 14:51:52 | 哲学
3月3日 晴れ後曇り
 桃の節句だがまだ寒い。雪の少ない冬と言われるが、寒気の方は時々思い出したようにやってくる。
 開き直りとは何か。逃れられぬと分かって、急にふてぶてしい態度になること(広辞苑)とあるのがよく使われる。開き直ると今まで見えなかったものが、別の角度から見え、絶好の反撃のチャンスとなる。これを利用しない手はない。さて麻生首相だが定額給付金をさもしいから貰わないといっていた。それが最近記者団に聞かれて景気刺激になるから貰うということになった。コロコロ変わる軽々しい発言のように聞こえる。彼にとっては開き直りの一種かも知れぬ。しかしことは小さい話だから目くじら立てるほどのことはないかも知れぬ。ただ首相たるものがこんなことで揚げ足を取られるようでは日本の国は先行き不安と思う人は多いだろう。

日本人は何処から?

2009-03-02 16:19:11 | 人生人間
3月2日 晴れ
 血液型から日本人の起原を北方アジアとくにブリアート民族などに求めた大阪の松本教授の研究は有名である。この人の免疫グロブリンGmを使った新しい研究でもやはり北方説は支持されると言う。従来南方系ではないかといわれていた縄文人も北方系にはいるし、アイヌ人の場合もそうだ。埴原東大教授の骨格からの研究は環境とか栄養など時代変化によって大きく変わるので信頼できないと言う。言語学的な安本説(米文化の流入に伴い南方系の言語がはいった)があるが、基本的な日本語は主語ー目的語ー動詞で北方系である。
 以上大変面白いが、今後はもう少し細かい構造変化など分かるとよい。歴史と言語の関係も今一息だ。

3月1日来る

2009-03-01 12:15:45 | 哲学
3月1日 晴れ
 この日はビキニ環礁でアメリカの水素爆弾の実験がおこなわれ、日本の漁船第五福竜丸の乗組員が被爆した記念日だ。55年の時を経て、この事件にかかわった人も老齢化し、事件は遠くなったが、決して忘れてはならない。
 私は当時若く、大学をでたばかりであった。就職をした電気試験所で放射能標準を作成するために、化学の出身の私にいろいろの仕事が廻ってきた。私は先ず放射能を扱うテクニックの勉強をするために東大理学部の木村健二郎先生の研究室に行った。週の半分は東大、残りの半分は田無の電気試験所分室であった。このようにして8ヶ月過ごした。その間ビキニの灰からロジウムの放射能を分離する仕事を完成したのだが、駆け出しの仕事を英文で発表できた時は大変嬉しかった。
 仕事はこれからいろいろ発展した。
 しかし事件そのものは死者が出て、強い放射能被爆の恐ろしさを示したものであった。いま医学的に放射能はいろいろ使われており、有用ではあるが、この原点を忘れてはならないのだ。