一生

人生観と死生観

医師の不足

2010-11-30 16:45:52 | 生活
11月30日 晴れ
 11月の終わりの日は晴れて穏やかに過ぎた。夕方になると冷機が身に沁みるようになった。明日からいよいよ12月ー師走だ。
 わが家の長男は医師として身体障害者の施設に勤めているが、医師不足のため週に2回も3回も夜勤がある。過酷な勤務であるが、彼は愚痴もこぼさず勤めに出る。夜勤といっても病人の症状が固定しているため、何時でも忙しいとは限らないそうだが、責任ある立場で心の緊張ははずせないであろう。こういう医師不足の解消のためいろいろの議論はおこなわれるが、有効な手段はないようである。彼の健康が守られるよう祈るが、何かアクションは出来ないものかと思っていた。それやこれや考えていたところ、東京のS氏からハガキをもらった。それによるとS氏の施設でも医師不足は深刻らしい。宿直は外部からの医師の応援で何とかやり繰りしているそうである。息子の施設でもそのようなやり方を考えてもらいたいと思った。困ったときはお互い様ということもある。医師仲間で解決できると良いのだが。

脱兎のごとく

2010-11-29 11:19:51 | 人生人間
11月29日 晴れ
 朝は気持ちの良い快晴で、気温も上がり快い。もうじき12月だからこんな日はあまりあるまい。そう思うと惜しい気がしてくる。そうだ、一日一日が惜しい日に思える80台の日々である。できるだけ有意義に過ごしたいものだ。そうは思うが、具体的に何をやるかということになるとこれが問題だ。しゃしゃり出て人に嫌われたくはないが、嫌われないでやれる仕事はあまりない。
 ところでいちいち細かいことに気配りしているひまに、思い立ってやりたいこともある。昨日は「虎は死して・・・」と虎のことを書いた。トラ年が終わりに近付いて次はウサギの歳であることに気がついた。兎はおとなしいし可愛いが、あまり利口な動物とは評価されていないようである。
 「脱兎の如く」といえば逃げ足の速いことである。必死に逃げれば大型動物は追っかけてもなかなか追いつかない。エネルギー効率から割に合わない。逃げろ、逃げろの危急の場合は兎のような動物が得意とする飛ぶように猛烈な走りが救いの鍵である。
 しかし人生でそんなことがあるだろうか。やはり人間には兎のような逃げは相応しくない。人間は兎のようには走れないし、脱兎のような走りでは、後のことがおろそかになる。人間はやはり頭を使ってことに処するのが相応しい。
 そこでこのブログのシリーズの整理を思いついた。私の人生の軌跡を表わすブログである。すでに千何百回かの日を重ねた私のブログは、ポピュラーではないにしても、読み返すとなかなか面白い。時々立ち止まって周りを見渡し、後ろを振り返って、自分の立ち位置を知る。大事なことではないか。

虎は死して皮を残し

2010-11-28 14:56:17 | 哲学
11月28日 晴れ
 「虎は死して皮を残し、人は・・・」とくれば、少し学のある人なら直ちに「名を残す」と来るだろう。有名なことわざになっているからである。人間この世に生まれてきて、先ず食べるために努力する。人口と就労可能な産業規模は簡単に一致するわけでないから、昔から若いものは一人前になるまで大変苦労したのである。そして何とか食べられるようになり、安定してくると、人は名を残すことに関心を持つ。それは単なる虚栄である場合も多いが、それだけで割り切れない子孫への戒めや、愛情の表現が含まれていることも忘れてはならない。そして内村鑑三が書いているように、家族とか身内同様のサークルを超えた世の中に対して、後世への遺物を残すという志、善意の志、あえて言えば聖なるアンビションもごく稀には存在し、それが世の中を進歩させ、清めることがある。功成り名とげた人は郷里の人たちに莫大な金を寄付したり、学校を建設したりする。ゆとりがあるからやってあげようということでその善意は大変けっこうなことである。少し大きな視点に立つことにすると、アメリカの金持ち、たとえばビル・ゲーツは慈善事業に莫大な寄付をする。大統領は任期が終わりに近付けば、歴史に残る政策や事業を企画したがるという。個人の周りの小さなサークルでなくて人類とその歴史が関心事になるのである。しかしアメリカの大統領ほどの人物になればその失敗のつけは途轍もなく大きい。小ブッシュはイラク戦争を始め、大変な数の死者をイラクにもたらし、またその経済を破壊した。それは地獄に落ちてもやむを得ないほどの犯罪だ。オバマ大統領は今でもその負の遺産に苦しんでいる。それぞれの人の後世への最大遺物は小さくても清い志にあると言うべきだろう。

小事争うべからず

2010-11-27 11:56:34 | 哲学
11月27日 晴れ
 がっかりしたのは国会の嵐。大した事でもないのに大臣を問責する野党の議員たち。もっとも現在の与党も野党時代には同じようなことをやっていた。
 日本人は細かいことにこだわる傾向が強い。大きなことを判断する脳の働きこそ人間の進歩の基本をなすものである。勿論細かいことはどうでもよいと云うことではない。大局判断の材料として、または大局を判断した後に、あるいは大局観のかたわらにあってこそ、細かい事実認識が生きてくるべきだ。このさい現代脳科学で検査すればどうなるか、きっとはっきりした違いがでてくることだろう。
 ついでにメモしておく。東海村の森山氏から私の著書『夕映えの杜に』読後感が寄せられた。この人はかって私の次男の予防接種事故のさいに関わりを持った人である。この人の長女も次男と同年であって、ほぼ同時刻に接種を受けてひどい副作用を経験したが、幸いにも回復した。今は女医さんになって働いている。人生いろいろなことが起こるが、その中に自分の使命を見出して進む、これが自分の行くべき道だと思ったらその上を進む、私自身はそのように行動できて、烈しい試練の中で幸せだったのかもしれない。

雪蛍の物語

2010-11-26 10:55:24 | 哲学
11月26日 曇り後晴れ
 静かな朝を迎える。老夫婦には騒音は似つかわしくないが、困ったことにわが家の奥様は耳が遠く、小さい声で話したのでは聞こえない。極力大きな声で話すことにしているが、その話し方がまた問題になる。私はどちらかといえば理系人間の常として目の前のことを形容なしにありのままとらえて話すーつまり率直話法を取る。文型人間だととらえた事象に対して修飾したり、説明的なことを抜かりなくやるだろうが、私はそうは行かないので家内に叱られる。曰く「いきなり唐突に話してくれても何のことか分からない、分かろうとして頭をめぐらすのに時間がかかる、貴方は不親切だというのである。」そうかなとも思うがそうは簡単に治らないのだ。
 さらに困ったことがある。家内は見かけは気が利いて、他人のことをよく気遣い、男っぽいと思われるほど気持ちを切り替え、現実的打開策をみつける人だ。ところが家の中で自分が何かしている時に私が部屋に入って話しかけるとびっくりして心臓が止まりそうになるという。同じ家に住む夫婦で泥棒じゃあるまいし、急に話しかけてもびっくりするイワレはないと私は思うのだが、家内にとって精神衛生上とても良くないと言う。こんなことで近頃家内の生活は大変デリケートな段階にはいったようにも思える。老夫婦は相手をなるべく刺激しない方がよい。永い眠りにつく日はいずれやってくる。どちらが先かは神のみぞ知る。
 こんなことがあった時、家内が雪蛍が庭に来ているので見に来ないかという。雪蛍とは南の方の人は多分知るまい。雪が降る季節の少し前、雪の前触れであるかのように、地上の草木の上を飛ぶ極く小さな虫である。注意してみないと見落とすほどの大きさで、タンポポの花の一部が風に飛んでただようほどの風情なのだ。白い体はよくみるとほとんど透明な本体と羽から成っている。本体の胴の中味はかすかに薄い紫の着色がある。なんだか聖霊がただよっているようだ。こんな雪蛍が今朝は何匹も庭を飛び交っている。家内はこの虫に特別な親しみをもっているようだ。最近出した句集にも『雪蛍』というタイトルをつけた。その生涯を介護した次男のことが染み付いた句集なのだ。雪蛍は小さいかすかな次男の呼びかけであるかのように彼女は受け取っている。
 雪蛍、雪蛍、お前の到来はわが家にとって何の徴なのだろう。仰ぎ見るみくにが近いかもしれないが、私たちは生きる、ひと時ひと時を大切に。

損と得

2010-11-25 19:57:40 | 人生人間
11月25日 晴れ後曇り
 仙台からS氏来る。義理堅いことに日本古代東北の稲作の伝播ルートの論文を連名で出せたことのお礼に会いたいとのことであった。駅前ラトブの中の市立図書館の一室を借りて話し合う。熱心な古代史研究家であるが、アマチュアとしての経歴を積んできたが、正式の学会に投稿したことはなかったそうで、今回はじめてレフェリーのある『生物科学』に投稿したら、幸いパスしたものである。
 さて世の中は商業主義が盛りである。今の世の中政府に頼らず民間でやるという場合、コマーシャルな宣伝は欠かせないというのが常識になっている。そのために宣伝費は必要経費として予算に計上する。顧みれば明治維新で武士の世の中がひっくり返り、少数の役人のほかはみんなが商売をすることで自活せよ、さもなくば百姓をして自分の食べるものは自分で稼げ、ということだったから武士たちは不平がつのった。商人として成功する者はほとんどいなかった。いわゆる武士の商法で没落した士族は数え切れないほどいたらしい。「損して得とれ」という言葉があるが、これをうまく活用できるまでになるには時間と経験とが必要だった。商業は心にもないお世辞を言い、おべっかを使ってとにかく金になることを目論む。これは武士の建前にはなかったことであった。武士は主君のために命を捨てる覚悟で対価としての碌をもらうのだったから、卑しい商人の魂を軽蔑してきたのだ。こうして不平分子は反乱を起こし、その最大のものが明治10年の西南戦争だった。これが失敗して、ようやく日本の近代化は進んだ。
 しかし損得を優先する世の中はやはりどこかおかしい。志をもった事業のために損得を離れて働きたい人もいると思うが、それを奨励する世の中にするためにはどうしたらよいか。

いわゆる古田史学について

2010-11-24 15:39:00 | 歴史
11月24日 晴れ時に曇り
 古田氏は今までも主として『東日流外三郡誌』(和田家史料)の議論のときに取り上げた。この人は在野の古代史家として有名である。多くの古代史ファンがこの人のもとに集まり、古代史の講話を聞き、また身近なところで古代の研究をおこなっている。アマチュア主義の研究愛好家にとって格好の箱舟を提供しているように思われる。熱烈なフォロアーにかこまれた一種のカリスマのような人であるともみられている。
 私は古代史の素人であり、裁判までになった和田家文書の問題に詳しいわけではなく、はじめはこの文書の真偽論争に加わりたくなかった。しかし古田氏があまりにも不当に攻撃されていることに義憤を感じた。『三郡誌』を世に出した和田喜八郎という人物は地元であまり信用されていない人だったようだが、彼を擁護する古田氏の立場にはしっかりした基本的確信があるように思った。和田喜八郎は祖先の文書に現代の知識で加筆をしたり、絵を書き加えたり、困ったことをして、先祖の信用を落とす結果をもたらしたが、古田氏は江戸時代寛政期の原本の存在は確実と考えた。その考えは国際日本文化研究所の笠谷教授によって科学的に検討され、少なくとも検査史料については確かめられている。しかし偽書説はウィキペディアでもまだ優勢を保っている。これは状況としては大いに疑問である。
 偽書派が架空の人物のようにいっている秋田孝季が長崎で英人エドワード・トマスから宇宙・地球起原論の講義を聞いたことは、科学史の上からは興味あるものである。日蘭協会にオランダの史料を検討してもらったところ、秋田の長崎滞在は時期的にはまったく事実に合うということになった。秋田の実在性は確かであろう。偽書派の論理はあまりにも大雑把である。和田喜八郎は祖先の言いつけに従って部分的な修正をおこなったかもしれないし、またサービスとして絵を書き加えたりしたかもしれないが、学歴もない津軽の百姓に大きな改竄をするほどの知識は到底あるはずがない。直接和田に会い、古文書も見た古田氏らの言っていることは、そのような調査をしていない偽書派の人々の言い分に比べてはるかに信用できる。古田氏が『三郡誌』寛政原本を議論の原点に据えたことは原則的に正しいとすべきである。
 また古田氏は九州王朝説を唱える。中国の史書と対照して、非常に深い読み方をする。その学殖には通常の大学の研究者も到底及ばないほどである。私は古田氏の言うところは今後日本史を発展させるために当然取り上げるべきだと思うが、今のところ正統派の学者たちには無視されているそうである。惜しいことだ。私は古田氏の方法論は評価すべき点が多いと思うが、全面的に賛成しているわけではない。たとえば『魏志倭人伝』中「また裸国・黒歯国有り。・・・船行一年にして至るべし。」とあるところである。古田氏の言うように漂流して南北アメリカ大陸に至るのは事実であるが、生きてそこで上陸し、また帰って祖国にいたり報告することの困難さは言わずもがなである。アイデアとしては面白いが、証拠は十分でなければならない。通常学問的議論は(1)正しいこと(2)誤っていることのほか(3)その時点で十分な証拠がないため正誤の判断を差し控えるべきことの三区分があると思う。ところが古代史の関係者はしばしば真書か偽書かの黒白論争におちいる。(3)のようにまだ判断すべきでない領域があることを認めることが必要であると思う。これは自然科学の論法では50%くらいの信頼度しかないときには発表を差し控える、80%くらいで確からしいと言及する、95%以上でほぼ確実という、100%に限りなく近付いてはじめて断定する。そのような領域と考えるのである。自然科学は確からしさを白(100%)か黒(0%)かで評価せず、中間の%で考える習慣があり、私はそれに従いたい。

一生雑感

2010-11-23 23:24:44 | 生活
11月23日 雨のち夕方晴れ
 生活実験中で遅くなったが、今やブログ日記は私の生活習慣になりかかっている。
 生活実験だって?何のこった?
 いや不眠症の悩みで、何とか薬に頼らずに治したいと思ってさ。夕食時刻と就寝時刻とインスリン注射時刻を調整してみているんだが、なかなかうまくいかないのさ。
 そんなやり方でうまくいくと思うほうがどうかしているんじゃないのか。良いアイデアと思っても、平凡どころか、思い違いかもしれないよ。
 アイデア尊重は私のモットーだから、けちをつけるのは後にしてくれたまえ。
 
 朝鮮半島で砲撃戦が起こったが、日本の国会は内輪で荒れる。菅氏は忍耐と寛容で必死に荒波を乗り切ろうとしているが、どうなることやら。国民の世論が厳しくなるにつれ、逆の恐れも出てくる。日本人の資質の問題。大きなものをみる直観の欠落だ。かって明治維新を乗り切った志士たちにはそれらしいものがあった。ドイツは東西統一を成し遂げ、朝鮮半島ではいつまでも内戦を続ける。モンゴロイドは軍人優先思想が国と民族を誤っている。コーカソイドに見習うべきだ。北朝鮮の軍閥、ミャンマーの軍閥、愚かなる者の名はなんじらだ。

アイデアは書きとめなさい

2010-11-22 09:49:11 | 哲学
11月22日 晴れ後?
 いい夫婦の日とは情けないほど単純な語呂合わせの日だ。作家など創造的な仕事をしなければならない人たちにはアイデアの到来は時に千載一遇のチャンスだ。これを逃したらすべてがパーだということもあり得る。だからひらめきや、思いつきなどを大事にしたい。そうはいっても頭の中からその貴重なものが飛び去るのは早く、止めようがない。だからアイデアはすぐ書きとめられるように手軽なメモ帳を用意しておくと良い。というようなことを考えているうちに、私はひとつのアイデアを思いつきそしてそれが飛び立ったのを感じた。あっという間だったのでそれがなんだったか覚えていないのだ。残念。
 さて昨日のブログ『公と私』について一言。柳田法相の辞任は確定的とテレビでいっている。こんな他愛もないことで辞任するのは哀れだが、本来こんなことは大臣の予備教育のうちで注意しておくべきであったのだ。恐らく大臣になったとき彼は補佐する誰かに進言されたのだ。もしも国会で質問に会い、答えに窮したときどうするかという場合、二つの返答を覚えておけばよい。ひとつは法に従って粛々とやります。もうひとつは個別の事案には答えられませんと。このようなことを教えたのは多分先輩か国会に悪擦れしたやからであったに違いない。。前法相の誰か、元法相の誰かか、または官僚トップに近いゴマすりやか。これは柳田氏のような無責任な答弁をする人の言葉の真の犯人探しになる。マスコミも時にはこんなことも話題にしたらどうだろうか。

公と私

2010-11-21 18:50:15 | 人生人間
11月21日 晴れ
 柳田法務大臣の国会軽視発言が問題になっている。本人は真面目な顔をして冗談を言った積りかもしれない。大臣といえども全知全能ではないから、答えられない場合もでるだろう。しかし返事の仕方は無責任なやり方ではやはりいけない。公人はそれなりに誠実でなければならない。私人としてならば逃げられることも公人としては逃げは許されない。そのような意識に乏しい国会議員は民主党に限らず、自民党にも沢山いた。苦労を知らない人間が今の世の中で増え続けている。
 ところで国会議員でなく、私人においては公的な意味があっても、私的な立場を強調して、訴えを鮮明にすることが必要なときもある。公的に徹するだけでは面白味がないから、多くの人に聞いてもらえなかったり、いろいろの問題が生じる。公の中に私を交えて訴えを強調するのである。
 このように、場合場合によって臨機応変に構えるのである。しかし公私の区別は個人の頭の中ではっきりしていなければ、とんでもない間違いを生じることになる。