8月30日 雨のち曇り
われわれ日本人のルーツに興味を持つ人は多いが、明治以来研究に長い時間かけたわりに成果は十分でないと感じる人も少なくない。日本人が縄文系と弥生系の二つに分かれるというのはおおまかにはよいだろうが、果たしてそれで満足できるだろうか。大和朝廷が蝦夷(えぞ)征伐をやったと歴史書に書かれている、その蝦夷さえも人種的にはっきり説明されていない。
古来日本海の海上交通は発達していた。この海を船で出雲(島根県)から青森まで渡り三内丸山遺跡のような巨木建築を作った人々がいたのではないか。出雲大社に見られるように、当時の人は古代でも驚かれるような建築技術を持っていたとされる。「東日流外三郡誌」に言うツボケ族はこれらの人に「比定」されよう。同署によるとツボケ族は気の荒いところもあって、ナガスネヒコに抵抗したが敗北したらしく、以後アラハバキの国作りに呑み込まれたらしい。ツボ→ツモ=いずも=出雲の図式を考えてよいだろう。ケは来ると見る。出雲から来た一族と見るのである。
これに対しアソベ族はアイヌ的な印象が強い。阿蘇山のような火山が日本にはある。アイヌは九州にも広がっていたとする説がある。日本の原住民のように思われる。考古学、人類学がもっとこの辺を解明してくれるとよい。いまのところ弱点として残っている。
われわれ日本人のルーツに興味を持つ人は多いが、明治以来研究に長い時間かけたわりに成果は十分でないと感じる人も少なくない。日本人が縄文系と弥生系の二つに分かれるというのはおおまかにはよいだろうが、果たしてそれで満足できるだろうか。大和朝廷が蝦夷(えぞ)征伐をやったと歴史書に書かれている、その蝦夷さえも人種的にはっきり説明されていない。
古来日本海の海上交通は発達していた。この海を船で出雲(島根県)から青森まで渡り三内丸山遺跡のような巨木建築を作った人々がいたのではないか。出雲大社に見られるように、当時の人は古代でも驚かれるような建築技術を持っていたとされる。「東日流外三郡誌」に言うツボケ族はこれらの人に「比定」されよう。同署によるとツボケ族は気の荒いところもあって、ナガスネヒコに抵抗したが敗北したらしく、以後アラハバキの国作りに呑み込まれたらしい。ツボ→ツモ=いずも=出雲の図式を考えてよいだろう。ケは来ると見る。出雲から来た一族と見るのである。
これに対しアソベ族はアイヌ的な印象が強い。阿蘇山のような火山が日本にはある。アイヌは九州にも広がっていたとする説がある。日本の原住民のように思われる。考古学、人類学がもっとこの辺を解明してくれるとよい。いまのところ弱点として残っている。