一生

人生観と死生観

人類学の弱点

2007-08-30 14:53:41 | 歴史
8月30日 雨のち曇り
 われわれ日本人のルーツに興味を持つ人は多いが、明治以来研究に長い時間かけたわりに成果は十分でないと感じる人も少なくない。日本人が縄文系と弥生系の二つに分かれるというのはおおまかにはよいだろうが、果たしてそれで満足できるだろうか。大和朝廷が蝦夷(えぞ)征伐をやったと歴史書に書かれている、その蝦夷さえも人種的にはっきり説明されていない。
 古来日本海の海上交通は発達していた。この海を船で出雲(島根県)から青森まで渡り三内丸山遺跡のような巨木建築を作った人々がいたのではないか。出雲大社に見られるように、当時の人は古代でも驚かれるような建築技術を持っていたとされる。「東日流外三郡誌」に言うツボケ族はこれらの人に「比定」されよう。同署によるとツボケ族は気の荒いところもあって、ナガスネヒコに抵抗したが敗北したらしく、以後アラハバキの国作りに呑み込まれたらしい。ツボ→ツモ=いずも=出雲の図式を考えてよいだろう。ケは来ると見る。出雲から来た一族と見るのである。
 これに対しアソベ族はアイヌ的な印象が強い。阿蘇山のような火山が日本にはある。アイヌは九州にも広がっていたとする説がある。日本の原住民のように思われる。考古学、人類学がもっとこの辺を解明してくれるとよい。いまのところ弱点として残っている。

祖先を敬う

2007-08-26 18:20:49 | 哲学
8月26日 晴れ
 日中は暑いが夕方になるとやや涼しさを覚える。晩夏はこの日ごろその存在をアピールしつつある。昨日祖先のお墓について新潟の甥から知らせがあり、お墓のなかのお骨がとんでもないところに埋葬されているよし、私が名義上継いだ吉原の分家は私が建てたお墓とは違う場所にさびしく埋められ、私の建てたお墓の中には一人のお骨だけが入っているとのことが判明した。古いお墓のお骨は移さねばならぬ。
 それにしても先祖を敬うことは儒教的といって古臭いことのように思う人が多い。しかしそれは人間の自然の感情なのだ。イスラエル近辺で発見されたネアンデルタール人の遺跡は死者を弔う花が捧げられた形跡がある。人は愛によって、恩義によってつながる。先ず家族から、そして狭い地域社会からそれは始まる。人間は愛なくして存在を全うできないものなのだ。

さらば夏の日

2007-08-25 09:38:46 | 歴史
8月25日  晴れ
 日中はまだ燃える暑さだが、朝夕は涼しさが感じられるようになった。晩夏のしるしである。ドイツの作家シュテフターの「晩夏」にこの季節の感傷を思い出す。今を盛りと栄えの絶頂を誇るものの衣の裾に見る凋落のしるし、平家物語のあわれさも身に沁みる人間の世界の業にも似て。
 仙台での暑い日々、8月22日には東北大学の百年記念に頼まれて講演をした。「大正リベラリズムと東北大学のロマンーニッポニウム、うるし、片山の式」という演題で。文理融合的教育を旧制高等学校で受けた私が話したい話題であった。時代は人を作り、人は時代を作る。新元素にニッポニウムの命名を奨めたラムゼイの親切と偉さを思う。彼は東洋から来た風采の上がらない日本人小川正孝にもやさしかった。このことをあとでもっと取り上げればよかったと思う。

自画像

2007-08-20 07:27:57 | 哲学
8月20日 晴れ
 昨夜NHK教育テレビで画学生たちの卒業制作の自画像シリーズを見る。古いものでは黒田清隆、藤田嗣治から現代の人たちまで。よく残ったものだ。
 二十歳前後の若い人の自画像、それも絵描きという特別な人たちのものだから、それは個性豊かだ。顔には見えないもの、顔の中に目など存在しないものもあった。
 いったい自分とは何だろう。自我とは何だろう。日本には昔は自画像などなかった。自我の強い西洋人の影響で明治以後自画像が作られるようになったのだ。幸せだった日本人は自我について考えることなく、たとえば鳥獣戯画のようなデフォルメの面白い、物語性豊かな、絵画の世界を切り拓いた。それでよかった、昔は。しかし「自我」という禁断の木の実を食べてしまった以上、自画像と付きあわねばならぬ日本人の運命だ。これを不幸といわず、乗越える知恵を持ちたい。

今日は何の日

2007-08-16 20:30:19 | 歴史
8月16日  晴れ 
 今日は仏教行事でお盆後のお精霊さまのお立ちになる日と幼いときに教わった。この日は母の先祖夏戸城主志駄氏の一族で、上杉藩家老でもあった志駄義秀の亡くなった日である。義秀は関が原合戦の折、山形の最上氏を攻めて善戦し、やがて石田三成ら西軍敗北の報告に接して撤退、その後酒田の城を守っていたが、逆に最上の大軍に攻められて、勇戦むなしく和議を結んで米沢に引き返した。人格的にも立派な人だったと伝えられている。最後は直江兼継のあとの家老となった。上杉三代謙信、景勝、定勝に仕え功績があった。再来年のNHK大河ドラマは「天地人」で
直江兼継を主人公にすることが決まったけれど、義秀はどのように扱われるだろうか。

夏バテ旅行バテ

2007-08-14 18:52:46 | 生活
8月14日 晴れ 猛暑
 イヤハヤ暑さも真っ盛り、今年一番らしい。新潟旅行のあととてただでさえバテるのが、この暑さでは!
 胃腸が弱い私にはたいへんこたえ、もう三日も寝転がっている。こんなことでは八十歳まで生きられるか。自分を励ます積もりでブログに取り掛かる。小川正孝の生涯、とくにニッポニウムの復活のため何とか生き延びよう。
 

旅行を終えて

2007-08-12 20:02:02 | 生活
8月12日 晴れ
 私の郷里、新潟市西蒲区三門への4年ぶりの旅行を終えて帰宅、くたびれた。猛暑の中500キロのドライブを結構楽しむ。猪苗代湖は大きな湖で、まわりをまわるときれいな自然がいっぱい。年とってからの長距離運転を心配してくれる家族がいることはありがたいが、やはりそれなりに自戒は必要だ。
 三門で母ハナの40周年のお墓参りをすませ、そして甥たちに追悼のメッセージを語り聞かせる。こうしてわが家の歴史を世継ぎする慣わしを伝えるのだ。母の結婚式の写真が見つかり、1921年当時のことに思いをはせる。多事波乱の生涯だったことを思い、同情に耐えなかった。

東北の歴史

2007-08-06 11:12:55 | 歴史
8月6日 晴れ
 広島原爆投下の日。アメリカのトルーマン大統領はジャップに原爆使用の命令を下し、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに投下することが決まり、まず2発を広島と長崎に落とした。私の郷里新潟はほんとに危なかったのだ。中学生だった私はもう少し戦争が長引けばどうなっていたか分からない。
 歴史は多くの偶然によって導かれる。隠れた歴史は掘り起こしておく必要のあるものもある。東北の歴史について言うと、今の安倍首相の先祖の安倍氏の歴史だ。
奥州の覇者安倍頼時が彼の先祖だが、前九年の役(1054-1062年)に源氏の源頼義・義家によって滅ぼされた。由緒ある一族でその先祖は遠く神武天皇に敵対した長スネ彦にさかのぼることができる。安倍頼時の末の息子がとらわれ、長州の離れ小島に流されたのが現在の安倍氏の始まりである。
 安倍氏の先祖の由来やその文化を研究することはずっと憚られてきた。天皇家の先祖に敵対した逆賊だからである。しかし今の世の中でそのようなことがまかり通るはずはない。正しく研究がなさるべきだ。
 安倍氏の先祖は栄光ある一族で東北の地に輝かしい歴史を作っていたのだ。それをなぜもっとしっかりと研究しないか。歴史家の怠慢ではないだろうか。

いのちの杜に歌声起こる

2007-08-04 01:15:06 | 生活
8月4日
 嵐(台風5号)は北へ去りつつある。深い沈黙が時折の不協和音をともなって、戸外にある。
 いのち像を囲む集いを始めて10年、記念誌を発行できるまでに至ったことは言葉に尽くしがたい恩恵と思う。役員も今年少し若返った。いのちの杜と名付けたあの宮城県中央児童館の裏庭がいつまでも美しい自然を保つことを切望する。
 Kさんの紹介でユニークな印刷出版所に頼むことにした。見本のデザインはなかなかシックなものを手がける。いのちの杜にふさわしい表紙が出来上がることを望む。360ページ、カラー写真、楽譜つき、良いものになりそうだ。
 題名は「いのちの杜に歌声起こる」と決める。その名のとおりの歌声があの杜に響き渡ったことを忘れまい。

暑く勝つ静か

2007-08-02 21:46:21 | 生活
8月2日 
 台風5号宮崎に上陸。九州はしょっちゅう台風に襲われ、気の毒だ。いわきはまだ台風の影響は少ないが、嵐の前の静けさ。あつうーい。そして孫たちがいない静けさもあって、つっかい棒を外されたような奇妙なアンバランスな心理状態である。
 だれの小説の題だったか「風雨強かるべし」というのがあった。風雨は強まっても、やがて去り青空が見える。その青空に期待しよう。