一生

人生観と死生観

希望

2008-03-15 20:29:47 | 哲学
3月15日 晴れ
 昨日国際宇宙ステーションに日本初の友人宇宙施設「きぼう」の船内保管室の取り付け作業が宇宙飛行士土井隆雄の手によって行われ、無事完了した。なかなか大変な作業のようで、日本人の器用さが役に立ったことは喜ばしい。しかし本番はこれからで実験室の取り付けが後で行われる予定になっている。
 希望とは人類にとって大変重要な言葉であるが、その意味はいろいろ巾があるようだ。パンドラの箱というギリシャ神話のひとこま。この箱をあけたらあらゆる禍が飛び立ち、そして最後に残っていたのが希望だったという話。慰めのようでもあり、はかない望みのようでもある。
 一方ほとんど望みの尽きかけたところで望みを捨てず、導きを信じて難破船から救われた初期キリスト教のパウロの話は深く胸を打つものがある。この人は何時か神的な計り知れぬほどの知恵を身につけ、人々の中心になって行くのであった。
 神がかり的な希望を信じられないという人もこの話は不思議だが受け入れざるを得ないだろう。
 希望なき状況は人を暗くするが、その中にさえいろいろな教訓がある。生涯の終わりが迫っても絶望におちいらず、前を向いて進むということは、やはり神なしには出来そうもない。仏教を信じるでもなし、キリスト教に帰依するでもなく、正月は宮詣で、お盆は仏にすがり、クリスマスにはツリーを立てる日本人にはいったい魂の救いがあるか。