一生

人生観と死生観

7月の終り

2008-07-31 18:28:15 | 生活
7月31日 薄曇から晴れ
 今日で7月も終る。行事が多いように感じられたこの月であった。化学史学会の学術賞受賞があったからに違いないが、私を推薦してくれたS教授と裏方できっかけを作ってくれたM教授には心から感謝である。今回の受賞は前にも書いたとおり私のためでなく、小川正孝のためであるが、賞はオリンピックと同じく、4年に1回である。ところで夏はとかく食中毒や感染症が起こりやすいので、年配のものには要注意である。今朝烈しい下痢が明け方に襲い、それから午前中に8回も水のような便が出て病院のお世話になった。どうも仙台で食べたカマンベールのチーズが悪かったように思う。ただし胃腸に来る風邪も流行っているそうだから、そちらなら他人にうつさないようにしなければならぬ。仕事の計画は小休止。

ブログは単行本化できる

2008-07-30 18:35:23 | 哲学
7月30日 仙台 雨のち曇り  いわき 曇りのち晴れらしい
 ブログを単行本化する話は必ずしも珍しいことではなかろう。文明の進歩に伴なって文化の形態も変化するので、これをうまく捕え、ブログのような形から新しいものを作ろうとするのである。
 私の場合、日記風なものを他人に見せるという意味はあまりないと思う。有名人でもないし、若くて魅力ある人物とは程遠い。しかしこれを逆手に取ろうというのである。
 65歳からでも新しい道を歩むことが出来る。私は十年かかって小川正孝のニッポニウムがレニウムであり、当時の新元素であることを証明し、化学史学会学術賞を受賞したが、これは勿論私自身のためよりは小川正孝のためである。先人の功績を顕彰し、その霊を慰めるものである。またいのち像をドイツの彫刻家のバウムゲルトナー女史に作ってもらい、これを宮城県中央児童館に設置した。ワクチン禍を契機として、いのちの証、社会の誡め、子どもの将来への祈りをこめた。人類普遍のものでいのち像永遠なれの一点に焦点を結ぶ。
 このようにブログは新しい文化に仕立てることが可能と思う。ただその形式についてはもう少し検討したい。

自由と旅

2008-07-28 08:43:55 | 哲学
7月28日 曇り
 旅に出る前、心の余裕を持ちたい、そんな思いがブログを書かせる。
 旅は自由と気っても切れぬ縁があるのだ。予定を決めたたび、そして予定も定めぬ変更自由な旅、そして行方定めぬ旅。俳聖松尾芭蕉の旅、アメリカのピルグリム・ファーザーたち建国の基となった人たちの旅。創造の自由の匂いがするではないか。

親子の日感謝

2008-07-27 19:47:30 | 生活
7月27日 雨のち曇りのち雨
 何故か親子の日、私はその由来は知らない。親子の縁は深く、歴史のはるか彼方まで続いている。生命の始まりの時までさかのぼる神秘を秘めたものだ。
 今日は康一家が私の学会賞記念に夕食会を開こうというので、小名浜に出かけ、暫く散策の後、この地お得意の海鮮物のレストランに行って、パーティーを催した。
 幼い孫たちにどれほど意味が分かるかは知らないが、このようなことがいくらかでも記憶に残ればよいのではないかと家内も言い、レストランでご馳走を少量食べることにした。インスリン注射を続けながらの会食参加である。生きていることはいのちの賛歌を歌い続けること、神様の恩恵に感謝すること、小さいけれどさいわいなひと時を過ごして帰宅したのであった。

貧困大国とは?

2008-07-26 22:37:23 | 哲学
7月26日 雨のち曇り
 著書が重版となるー著者には気分の良いことには違いない。私の場合も何回か経験したことである。しかし話題性のある、あるいは問題の多いテーマを扱うことはかなり難しい。身を切るような体験から傑作が生まれるということもある。
 日本エッセイスト大賞を貰った堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波書店
2008)は見かけの繁栄の陰に進む恐ろしい社会問題をアメリカに問うている。いずれは日本の問題になるかもしれない、いやなりつつある。死と隣り合わせの貧困が人間から思考を奪う。それを巧妙に利用する悪辣な人間がいる。それが社会の浮き袋になり乗っかっている人間はそ知らぬ顔して太平楽を決めこむ。アメリカは本来清教徒の作った国で、あるいは少なくとも清教徒を建国の理想とする国であったはずだが、なんたる現実!しかし待て、この国に起こっている理想と現実との戦いは根が深い。現象だけを見ているのみではペシミズム(悲観主義)におちいるだけである。この国の中から、新しい救いの芽は、いかに困難があっても立ち上がることだろうと期待してやまない。もしそれが出来なければ、究極のオプチミズムは次のように言うだろう。歴史の彼方にアメリカに代わって人類救済の役割を果す何かが現れる日が来るであろう。人びとよ、簡単に悲観しない方がよい。

人生の哀歓

2008-07-25 14:28:01 | 生活
7月25日 曇りのち多分雨
 雲行きがおかしいので午後は雨になるだろう。客人を迎える準備をする。
 多くの人がそれぞれの人生論を持ち、生きるための工夫をしているのは勿論それでよい。人生は限りがあるからこそ、その日その日を精一杯生きようとするのはそれでよい。そこで出遭う人と事件はその人の物語を作る。
 幼いときこの世は親の保護のプリズムを通して見る。未知のことが多く、その果ては恐怖の空間である。嬉しいことも、怖いことも、経験が彼の成長の糧となるのである。
 成人してからも人は本当に自分の目で見ることはなかなか容易でない。しかし一度要領を覚えてしまえば、この世界のいろいろな仕組みが見えて面白いことが分かる。詩人の感性を豊かに持っている人ならそれを表現してみたくなるに違いない。芭蕉のように十七文字に世界を閉じかめることができた人もいる。人生の哀歓は小さいようだが貴重なものである。積極的に大事にしなければならないのだ。

母の生涯

2008-07-24 20:42:18 | 歴史
7月24日 晴れのち曇り
 母のことを語ることは今まであまりなかった。日本の敗戦の時に46歳で母子家庭を必死で守ってきた母には感謝あるのみである。
 母は晩年に書いた日記の中で、自分が何度かいのちの危機に遭遇したことを述べている。幼い頃川でおぼれかかって何とか助かったことがあった。また妹を妊娠中に病気にかかって死にかけたことがあった。
 母は新潟県の素封家の家に生まれ、幼い頃は不自由なこともなかった。大正期に女学校を卒業後は東京に遊学し、姉の嫁ぎ先に止宿して、大妻高女や渡辺裁縫女学校で花嫁修業をさせてもらったというから、よほど裕福な境遇だったのだろう。最初医師の夫と結婚して幸せになれるはずだったが、若死にされて寡婦になり、アメリカ帰りの先夫の弟に嫁いだのだが、この二番目の夫も十年ほどで亡くなり、子ども5人抱えて途方に暮れた。ただ当座は遺産があったから経済的には困らなかった。
 しかし戦後は日本の社会の混乱の中、財産を失い、農家の主婦をつとめなければならなくなった。子どものためにと励んだその子どもも昭和23年と24年に相ついで2人失った。残るものにも心配事が絶えなかった。私のように病気はしても何とか大学を卒業することができたのは、母のおかげである。
 人生の苦難は誰にもある。それを耐え忍んで神に導かれた母は結局は幸せを知ったのだと思う。天に刻まれた歴史のほんの小さな一齣であっても、母を思えば感謝は尽きない。

インフルエンザ問題

2008-07-23 18:36:30 | 哲学
7月23日 晴れ
 家内の誕生日。本人はもう75歳になったから特別お祝いしてくれなくてもよいと言う。そうは言っても自分の生まれた日は特別な日、自分が覚えているだけでなく、他の人も覚えてくれていることはありがたいに違いない。小さなお祝いがこれからある。
 さて鳥インフルエンザの恐怖が人類を今脅かしつつある。専門家は不気味な嵐の前の静けさといった感覚で、日本の対策が手ぬるいと思っているらしい。文芸春秋に東京都の石原知事が乗り出して、専門家との鼎談を披露した。インフルエンザ治療薬としてタミフルの使用を十分におこなうことは勿論だが、予防対策としてワクチンとタミフルのような薬の効果を活用することを提言している。一般人はどうしたらよいか、恐怖だけを煽られてもすることがない。予防効果のない予防接種の話は聞き飽きた。タミフル耐性ウィルスの存在が問題になっている。とにかく現実にそれが襲ってきたら戦争よりもひどいかも知れぬ。手がない時は開き直るしかない。それで災いは過ぎ去るか。滅びに任せてもはや惜しくない年齢になった今、将来の家族の幸せを祈るのみ。

ラムゼイの命日を前に

2008-07-22 17:07:01 | 哲学
7月22日 曇りのち晴れ
 英国のラムゼイについて前に書いた。彼は小川正孝の師であった。善意の人で小川のニッポニウムの仕事を高く評価した。最終的には誤りとされたニッポニウムなのだが、全部が全部誤りだったわけではない。一寸した思い違いと手順の狂いで栄光は得られなかったが、小川の努力は認めるべきだし、近頃の世界の学会では認めつつあるのが実情だ。私も努力し甲斐があった。
 さてラムゼイという人は実に愛すべき人で、他人には親切を実行し、英国紳士の鑑となった。母親の影響で生涯よいクリスチャンであったようである。家族思いの彼の生活スタイルも印象に残る。日本からのラムゼイ奨学生は今も続く。
 学者としてのラムゼイは実に果敢に研究した人である。楽観的過ぎるといわれたが、その成果は大きなもので、希ガスの発見で1904年のノーベル化学賞に輝いたことはすでに触れた。この人は最初有機化学を研究し、ついで物理化学に移り、ラムゼイーシールズの式やラムゼイーヤングの式に名を残している。さらに無機化学に移ってアルゴン、クリプトン、ネオン、キセノンなどの希ガスの発見をおこなったのである。
 研究のやり方は仮説を立てて検証する科学的方法論に従ったということだが、あまりにも発想が豊かで、私の目には少し手当たり次第のTry and Error にも見えるが、僻目だろうか。晩年は原子のTransmutationということに拘り、物理学者には途方もない事をいう人として不評を買った。後にラザフォードが本当の原子反応を発見し問題は解決した。しかし弟子のTraversが言うようにその志の方向性は正しかったのではないか。私も彼の伝記を読んでそのような印象をもったことをここに記しておく。彼のような人は世の規格にはまらないため誤解も生む。彼自身の早とちりで失敗もある。後世の評価は成功した部分のみに限るとしても、実に多くの実績がある。愛すべきラムゼイ、安らかに眠れ。明日は彼にとっての命日なのだ。

集中について

2008-07-21 17:45:37 | 哲学
7月21日 霧雨のち曇り
 海の記念日の休日は天気に恵まれなかったが少し涼しいので過ごしやすかった。今日は家内は息子一家に同行してロープウェイのある山地帯に俳句取材旅行。私はこのいわき周辺で日常の用を足し、本読み、資料整理など、忙しい日にはできない仕事を片付けた。これが結構時間のかかることなのだ。放っておくと溜まりに溜まりどうにもならなくなる。体力の関係で遊びに行く事ができにくいが、これがちょうど具合のよい休日仕事となった。
 さて仕事人間が多い、シニア世代の仕事観を私なりにreviewしたいと思っている。仕事、仕事で明け暮れた生活は何だったのか。政府や、役所、企業トップの掛け声で、「私」の時間をゼロにして働くなんて、馬鹿馬鹿しいことだと若い世代は思うだろう。我々は敗戦の後、食うや食わずやの生活をしたから、仕事人間にならざるを得なかったし、仕事の中に生きがいを見つけることができたので、仕事をそのものを楽しんだといえる。ただ振り返って見てそれはあまりにも視野を狭くする生き方だったかなとも思う。仕事に心を集中することは悪いことではないし、集中できないような仕事をされても成果は決して上がらないだろう。ただ人間の本性から見れば、集中は時間的に限界もあることは事実なのだ。立派な仕事を完成したーたとえばノーベル賞を受賞した欧米の人の仕事ぶりを見るとそこにすごい集中力が発揮されていることに驚く。しかし彼らは一定の時間の後、頭を切り替えて遊びに出かけることが多い。身体を動かすーテニスや水泳を楽しむという人もいる。その切り替えは普通の日本人よりはるかに上手である。集中はその持続に限度があるからなのだ。
 しかし私の場合、給料を貰う仕事のほかに「私憤から公憤へ」ー公の制度を正す仕事もしなければならなかったので、家族には申し訳ないが遊んでいる時間がなくなった。二つの仕事についてはどちらにも集中はした積りであった。切り替えは結構うまくいっていた。集中することが人生の生きがいを作ることは間違いない。目的もなしにだらだらと人生を送るーこれは私の生涯ではなかった。