一生

人生観と死生観

土用の丑の日

2009-07-31 18:04:12 | 哲学
7月31日 曇り
 今日は土用の丑の日だそうだ。糖尿病でインシュリン注射を打っている身にはうなぎの蒲焼など到底食卓に上がることなどありえない。うなぎにとってはこんな人間が多い方が有難いだろうが。
 うなぎの故里は長いこと謎だったが、太平洋の孤島の近くと判明したのは近頃のことだ。生物の種はいろいろなご面相をもっているばかりでなく、いろいろな生活習慣をもっていることに驚かされる。進化論は生存競争をドライビング・フォース
すなわち推進力とし、よりよく環境に適応するものがよりよく生き残るとする。そういう面もないではないけれども、私にとってそれだけでは不十分な気もする。生物進化の原点が説明できていないし、またドライビング・フォースの由来も分からない。ここにある超越的なものが働いているとしたら、唯物論者は反対するだろうが、説明は楽になるのではないか。科学が事物だけにこだわっていては肝心のものを見落とすという気がしてならない。

不思議な軌道の接点

2009-07-30 17:34:29 | 哲学
月30日 晴れのち曇り
 今年のエッセイストクラブ賞は平川祐弘氏に決まったが、氏は源氏物語を西欧世界に紹介したアーサー・ウィリーのことで受賞したのである。明治のころは日本文学など西洋人はあまり関心がなく、チェンバレインなどは低級卑俗なものしかないと思っていたよし。そのような見解をひっくり返したのがアーサー・ウィリーで彼の翻訳は源氏物語を世界一級の古典文学としての評価にのし上げたという。
 この平川氏が私の知人の平川暁子さん(元放送大学教授)の義弟であることが分かって驚いた。世間は意外に狭いものだと。そもそも私がエッセイストとして世の中にデビューできるなど、私自身思ってもみなかったことだ。元新聞記者のT氏が私の書いた岩波新書を評価してくれたのが始まり。その後私は岩波のジュニア新書も書いたが、これはもう一人の方が大変評価してくれたのであった。私は文理融合的センスはこれからのサイエンスに必要と思っている。
 パーティーで知り合いになった平川氏も文理にわたるセンスをもっておられる方のようで、両者の軌跡が奇しくも接点を持ったことになる。面白いことである。

脳トレーニングの川島先生

2009-07-29 16:50:21 | 哲学
7月29日 曇り後晴れ
 東北大学で今もっとも有名な先生は誰か?といったらもちろん脳トレーニングの川島先生だろう。今日は「徹子の部屋」(テレビ朝日の人気番組)にも出演。脳の研究は脳研究手段の拡大により盛んになった。今から30年近く前の放射科学では、脳研究に使う放射薬品の開発研究に忙しかったことを思い出す。脳は年をとり、使わなければ衰える。衰えた脳は劣化する。大事なことは脳が興味をもって、自分の存在意義を認めること。幸せ感のある人は脳も長持ちするらしい。酷使を避けて幸せな程度に脳を使おう。それにつけても、戦後の日本人は無神論になって、
宗教を侮るが、これは本当に良いことだろうか。脳の劣化にかなり関係することである。97歳になっても活躍する聖ルカ病院のクリスチャン医師日野原重明先生を御覧なさい。あやかりたい人は多いはずだ。

攻守ところを変えて

2009-07-28 15:42:19 | 哲学
7月28日 薄曇一時小雨
 厚いが30度を越えていないからまだ助かる。近頃変な現象は8月末の総選挙を控えてのこと。
 自民党が攻勢、民主党が守勢、与野党逆の立場が普通なのに、今までこんなことは聞いたことがない。日本の政治はさっぱり分からない。民主党は政権を握ったことがないから、何となく言うことがふわついて見える。鳩山氏の人の良さが裏目に出かねないのだ。
 日本の将来のため政権交替は必要と思われるが、しっかりした公約を作らないと逆効果だ。民主党よ、どこへ行く。

小さなよみがえり

2009-07-27 11:43:12 | 哲学
7月27日 晴れ
 何度も寝なおして、ようやく疲れは少し取れた。完全熟睡がないままここ何年かを過ごしてみると、疲れの取れた朝の状態は恵みだ。
 留守中に届いた手紙を見ると、旧制高校の同窓会コンパお知らせだった。級友二人がなくなり、どちらも医者だったから、医者は無理が多かったのではないかと思い、気の毒である。息子も医者だから気をつけるように祈る。案内の通信欄に私の近況報告(昨年分)がのっていた。曰く、「糖尿病のためインスリンを使い始めて約半年、全般的に体調がよくなり記憶と連想力など著しく回復しました。注射は朝晩2回、それ程苦にならずに生活の質(QOL) 向上に努めております。」
 なにか意気軒昂たるものがあり、糖尿病など苦にもしていないかのように見える。他の人が病気を訴え、ヒーヒー言っている中で、私は記憶と連想力がよみがえったと伝えるのだ。新約聖書にイエスの奇跡物語が出てくるが、ヤエロの娘の復活に続き、恐ろしいまでの迫真性のあるラザロの復活が記されている。これらの人々は最終的に言って、結局は死んだのであろうが、それにしてもすごい話だ。実話だろう。それに比べて私の小さな脳機能のよみがえりは大した事はないが、有難い。

旅路の果て

2009-07-26 21:00:55 | 哲学
7月26日 
 仙台の旅を終えて帰宅する。疲れた。やはり睡眠不足からか。
 私の終生の願いはいのちの尊厳を世に残すこと。二男の事故による重症児としての長い病臥の生活とそして突然の死、彼が笑顔で生前われらを励ましたことを忘れない。宮城県中央児童館に記念として設置したこども像といのちのランタンは永遠に残したいのだ。心無い行政の方針転換のため、それが危機にさらされるというひどい状況を何とか打開するまで死んでも死にきれないのだ。頼りない役人の受け答えを聞いて怒らないでおれようか。

視野を広く世界に

2009-07-23 16:29:36 | 哲学
7月23日 曇り一時雨
 エッセイストクラブ賞を貰った平川氏から著書が届いた。氏は国文学者で源氏物語の翻訳者アーサー・ウィリーの評伝を書いて受賞した人であるが、源氏物語を世界の視点で考察する立場をとり、国文学会に衝撃を与えた人という。私たちは源氏物語を日本文学の傑作として知っていたが、英人ウィリーがこれを世界に紹介し、その真価が徐々に世界に知られるようになってきた。これが世界的傑作という認識をさらに広めるためには日本人の努力が必要だが、平川氏らは源氏物語千年紀にあわせて日本でこれに関する国際集会を開催したのである。平川氏は源氏をリア王と比較するなど国際的視点を導入する新しい試みを始めている。日本人が日本人でありながら同時に国際人であることを示す大変よい試みであると思う。
 それにつけても、日本史の領域でももっと国際的視野の導入が必要だと思う。内向きだけでは進歩がない。古代史では記紀のみ頼らず、多元的視点の導入が必要になる。中国文献だけでなく、東の考古学試料の積極的評価も考えたらどうか。

歴史の転換点?

2009-07-22 16:07:57 | 歴史
7月22日 曇り
 日蝕が起こっているのに曇り空で、観察できぬ。小学生、中学生のよい教材はかくて空しく消えたがやむを得ない。テレビを見るほか手はない。
 さて衆議院の解散。新聞も緊張感なき解散として、失望感を漂わす。自民党に大逆風、したがって野党に対してまたとないチャンスのはず。政権交替劇が見られそうで、その点はスリリングだろう。しかし見かけ上は空疎な要素の多い政治情勢とはいえ、よく考えてみれば歴史の転換点を作るかも知れぬきわめて大事な選挙だ。政党はただ勝った負けたでふわふわしていてはならないだろう。日本はどこへゆくのか見極めたい。理想主義や歴史学原理主義で説明できる世の動きではないかもしれないが、世界の歴史の大きな流れに沿う政治の進歩が見られるように祈りたいものだ。格差社会に救いの手を!

お釣りの人生

2009-07-21 17:14:56 | 哲学
7月21日 曇り後雨
 歳を数えることを止めようと思った私だが、頼まれて地元のある福祉団体の理事を務めることになったとき、健康との関係で少し心が揺れた。あまり難しいことや体力を使う仕事はできないといって断るつもりだった。話を聞けばそれほどのことはないらしいから断る理由がなくなり、お釣りの人生だからと引き受けた。
 福祉は働く人に使命感があるかないかで大いに結果が違ってくることは、前に理事を務めた団体の経験で分かっている。最後は金の問題でなく、人の問題なのだ。役人はそれがよく分かっておらず、しばしば机上プランを作るので問題なのだ。人はパンのみで生きるものでない存在だから、その心を鼓舞する方法が要るのである。さあどうするこれからの歩み。ただ、あまり現場に近付こうとしても限度があるから、その辺は常識判断であろう。

妻の誕生日

2009-07-20 21:26:33 | 哲学
7月20日 晴れ
 暑い日。本当は7月23日の妻の誕生日を今日の休みに繰り上げて息子たち一家が祝ってくれる。有難いことだ。4人の孫たちもそれぞれに一筆してくれた。73歳までは生きるつもりで、それ以上は無理かもしれないといっていた妻だったが、3年も超過してとにかく身体よりは口の方が健在という状態。先日足がおかしくなって、料理をするためキッチンに立つのがやっとというところに追い込まれたときには、私もこれからの時をどう持つかいろいろの場合を想定して、覚悟しなければなるまいかと思ったほどだ。人間苦しくなると、我慢するタイプと、相手にあたるタイプとあるが、妻はどちらかというと後者で、開放的だから面倒だ。病人を相手に怒るわけにもゆかず、右の耳から左へと聞き流す。これも修養のひとつだ。
 戦後は多くの人が無神論者になったが、誕生日は過ぎし日を顧みて神に感謝する習慣を新たにする日と位置付けよう。