一生

人生観と死生観

人の生涯の位置付け

2008-03-13 14:59:03 | 歴史
3月13日 晴れのち曇り
 人の生涯に限りがある以上、意味ある仕事を後にと越したいと思うのは自然な願いというべきだろうが、そう簡単に他人が自分のことを正しく評価してくれるとは限らない。誤解する人が多いのも事実である。自然科学の領域でさえ、時にはとんでもない誤解があったりするのだ。
 元東北大学総長小川正孝がニッポニウムの研究をやって、一寸した思い違いから元素の周期表の位置をひとつ上においてしまった。もともと微量しか取れない元素だから、原子量を決める段階で不覚を取ったのだ。当時の人は小川がいつまでたっても結論を公表しないので、あれは結局幻の元素だったのだと思ってしまった。ところが実はそうではなく、彼は当時最新の装置で自分の分離した物質のX線スペクトルを測定していた。そしてそれが周期表のひとつ下の元素という結果を得るところまでいっていた。その後急死したために発表できなかったのだ。
 他人の口に戸は立てられないという諺がある。しかし正しい評価をする人は様々な間違った評価を退け、その人の人生の位置付けをやる。
 小川の恩師であるラムゼイも死後誤解を受けた。彼の親切が、あるいは善意の社会貢献の志が通じない場面があったのだ。それについても私たちは正す必要があると思っている。時間がもっともっとあるとよいのだが・・・。