一生

人生観と死生観

平和を創り出す人

2011-01-31 20:29:03 | 哲学
1月31日 晴れ
 今日はいわき福音協会の理事会。キリスト教の生きた証しとして、福祉のために活動する協会が東北のこの地で今日まで順調に発展してきたのはまさに奇跡的である。その陰に先人(大河内博士)の凄まじいまでの努力があったことを知る。
 さて東北は津軽、弘前出自の木村健二郎先生のことを、7月開催の化学史学会(弘前)で顕彰することを今年の目標とするため、いろいろ考えた。子息幹氏の意見も聞き、協力する旨の申し出ももらった。木村健二郎先生は東大理学部化学教室で教鞭をとられ、デンマーク・コペンハーゲンのニールス・ボーアの研究所で量子力学勃興期の新しい学問の雰囲気を学んだ。これはコペンハーゲン精神という呼び名で若手の学徒を魅了したものである。北欧の小国デンマークは第1次世界大戦でささくれ立った大国の間で平和を創る役割を果した。ボーアにもそのような精神があったであろうことは否めない。ここで木村先生は理研から留学中の物理学者仁科芳雄とともにユニークな研究をした。そして帰国後、理研に建設されたサイクロトロンを使って仁科と協力して、世界のノーベル賞学者と競い合うような核分裂の研究を行い、日本の学問の存在感を示した。木村先生は戦後、アメリカの南太平洋ビキニ環礁での核実験による日本の漁船第五福竜丸の放射能被曝について、水素爆弾の構造を解明するような分析を詳細におこなって、世界の人々を驚かせた。この研究はアメリカやソヴィエト・ロシアの核競争に歯止めをかけ、核軍縮に導くひとつのきっかけになったのである。木村先生はこのようにして平和を創る人となった。木村先生のキリスト教精神はこうして長く平和運動の歴史に残るものとなった。私たちはそのことを今一度学会でも思い出すことにしたいのだ。

文学と解説・批評

2011-01-29 14:38:17 | 哲学
1月28日 晴れ後曇り(夜は雪と予報)
 日本人は独特の短歌を創造し、そして連歌のような連座を作って楽しむスタイルを生み出し、そしてさらに俳句を生み出した。俳句の変形が川柳となった。このような歴史的経過を見ると日本人も捨てたものではない、独特な創造精神を持っていることに感心させられる。そして俳句のような短詩は国際的に広がり、国際俳句としてひろがっている。私がカリフォルニア大学の米人教授を訪ねたとき、奥さんは私へのサービスの積りか、俳句をやっていることを聞かされた。アメリカを始め国際俳句は日本の俳句の精神を受けたものであるが、季語などに拘らない。短いポエムといった感じに見受けられる。
 私は俳句には素人である。だから適切な批評はできないのだが、俳句のような短い文学は、しばしばひとりの世界で、独りよがりの観想にどっぷり浸かる危険があるということを指摘したい。これもある友人と交わした会話だが、かなで書かれた語句の誤解の結果、とんでもない迷句が名句とされることがあって、それ以来その友人は俳句に失望したそうである。俳句は分かっている人の解説が必要になり、批評などはさらにその上を行く批評眼が必要ということになる。この事情はときには和歌の場合にも成り立つ。多くの人が作品を寄せるとき、よいものとそうでないものの区別は微妙である。一字の有無や、わずかな表現の違いが良否の分水嶺になる。そこで俳句同様、分かっている人の解説と正しい批評が必要なのだが、和歌は俳句に比べ叙情的なものも多く、主観的な好みに左右されることも否めない。批評は難しい。
 しかし考えてみるに文学の批評は一般に難しい。自然科学では真理はひとつだが、文学はそうとは言えない。まったくの駄作と誰もが認める傑作は大差があることは分かるが、その間のほとんど無限の作品の批評は好みや偏見に左右され、自信のある批評家を選ぶことが無理で、逆に開き直って独断と偏見で批評するぞというような人がでる。芥川賞や直木賞といった有名な賞もこうした基盤からの投票で決まるとなれば、落選した人もがっかりすることはない。万年候補の太宰治が長く長く読者に愛されていることを思い出して見るべきだ。

人間の歴史の非情

2011-01-28 17:19:32 | 哲学
1月28日 晴れ
 東北大学の名誉教授で工学部の電気工学科に在籍し、また計算機センターに奉職された桂重俊教授から歌集『波の粒』をいただいた。1922年生まれで88歳の先生だが、頭脳は明晰で今日に至っている。科学者であり、かつ歌人でもあるという、文理の才能を兼備された人である。波の粒という表題は量子力学では光や物質は波と粒子との二重性があることにちなんだものであると思われる。桂先生の師である渡邊寧教授のことを回想し、「プランクに魅せられし師に魅せられて辿り歩める波の粒かな」と歌い上げておられる。老練の感慨はすぐれて共感を呼び起こす調である。大学紛争時の労苦と空しさを歌ったものも印象に残る。
 さてその歌集にもあるが、ローマの建国の伝説の人物として知られているロムロスは双子の弟のレムスと不和になってこの弟を殺した。兄弟殺しは旧約聖書創世記のカインとアベルの物語にもある。人間とは何という激情の生きものなのだろう。欲のため、権力のため、嫉妬のため、憎しみの情の募るままに兄弟でさえも殺すのである。特に王朝の権力のためにはいろいろな悲劇が生まれる。日本でも壬申の乱として知られる大津の皇子と天武天皇ー大海人皇子の争いは日本史の曲がり角であるようだ。この時期に編集された日本書紀や古事記は特に古代部分が中国の歴史書との整合性がとれず、謎となっている。権力者が歴史を改竄する例は往々にしてある。非情で犯罪的な事実が伴う場合にはそれを隠蔽してしまう。天武朝の場合だと叔父甥間の争いで、その大筋の事実は隠しようもないが、勝者の不都合なことが切り捨てられたであろうことは明白である。神武朝のさいにも対立する長髄彦たちが悪者扱いー賊として扱われる。神武に追われた彼らは東北津軽に落ち延びて新たな国造りをはじめたといわれる。そのことを記した東日流外三郡誌は偽書として扱われたが、今もう一度見直しの気運が起こっている。一部に昭和の書き加えがあることは明らかだが、恐らく大部分は敗者の言い伝えが東北地方に残ったものであろう。それを秋田孝季が記録したのだ。この名が本名であるかどうかは問題かもしれない。しかしその人物の実在は強く支持される。細かいことに拘って迷路におちいるのは日本人の悪いくせである。本質を見据えた議論をおこして貰いたいものだ。

光と闇ー聖書の思想をめぐって

2011-01-27 14:15:07 | 哲学
1月27日 曇り時々雪
 午前いわき福音協会所属のハマナス荘の改築竣工のお祝いがありこれに参加した。集うものおよそ100名。賛美歌斉唱、聖書朗読、牧師のお祈りから始まる。このスタイルはこの協会の特有のものである。祝辞は衆議院議員、福島県福祉部長、いわき市福祉担当者など。小さくても志をもって行動する協会は職員たちの自信と誇りを支える。いわきでは特色のある団体となっている。私の理事の期間はあと3年。何か貢献することができればと思っている。
 さて私はかなり因果な性格で、人や物事にからめとられるのを嫌う。自分がなくなるほどに人に惚れ込むのは個性の消失だと思う傾向がある。こんな私だから、聖書に対して完全に批判を失うことはなかった。その記事のはしはしにまで捉われてすべてが霊感によって書かれたとまでは思われず、所々に間違いが見られ、間違いは間違いとして見なければならない。しかし思うに、基本的な点で聖書は神の言葉に相応しい霊感がこめられている。その点は間違いないと信じている。巨視的見方と微視的見方は相補う必要があり、一方に偏してはならないのだ。科学者はしばしば一方的になりやすい。注意しておかねばならぬ。巨視的見方こそが大局的に人を正しく導く。
 さて聖書の中の思想は深い。光と闇の対立は私たちの心に迫るものである。ヨハネによる福音書はその点を鮮明にしている。この世にイエスが現われた意義は何か。イエスはロゴス、真理であり光であるとヨハネは言う。こう言ってなお言い尽くせないもどかしさを彼は感じていたであろう。イエス自身は「わたしは道であり、いのちである」と自己定義を語るが、これも言い尽くしがたい含蓄を持った言葉なのだ。ヨハネはイエスの伝記で光だけを叙述しようとはしない。光に伴った闇のことが、全体の記述の中で悩ましくもしつこいまでに書かれている。それはサタンの働きとして示されている。光のイエスは闇のサタンに敗れて十字架の刑に遭い、もはや万事休すかと思わせた。ところが劇的な事件が起こった。イエスは弟子たちに復活の姿で現われたという。どんでん返しである。そしてイエスの教えはついにこの世に勝った。悪魔の働きに勝利したのだ。
 ただしそれはまったくの終わりではなかった。その後もサタンはなお人類を邪魔し続けている。光と闇の対立は生易しいものではないといえるが、最後の勝利はイエスにある。光といのちに約束の勝利がやってくる。黙示録の思想はそれを示している。

体・心・魂

2011-01-26 17:42:15 | 哲学
1月26日 晴れ後曇り
 日野原重明氏の講演会を聞きにいわきアリオスに行く。会場は満杯で去年開設以来初めてとのことであった。人口34万の0.5%の1700人が入場したことになり、主催者も驚いている様子であった。現われた日野原氏は直立し、時に歩き回りながら、ユウモアたっぷり、双方向型のおもしい話振りで、聴衆の笑いを誘った。生き甲斐がある生活の充実が人を幸せにし、そして長寿を保証する。日野原氏はそんな事実の生きた証明ともいえる。
 日野原氏の話の中で「生きることは三角形の三辺の要素を持つ。体、心、魂である。体は物質的なもので見えるが、心は見えないけれども存在する。さらに人には魂がある。心の奥のはっきり目には見えないし、分かりにくいものだが、これを無視することはできない。といった主旨のことが述べられた。
 心までは分かっても魂とは何かを正しく説明できる人は少ないだろう。唯物論では心とは精神作用のことであり、それは脳内で起こる科学的な現象でそれ以上の何物でもないとする。さらに魂の存在は幻想に過ぎないとする。しかし宗教的な伝統のある社会で唯物論が栄えるのは一時期のみである。ソヴィェト・ロシアは宗教を弾圧したが、しきれずに崩壊した。中国のキリスト教は弾圧されても亡びなかった。
 科学的な説明は難しくても魂の存在は否定できない。日野原氏のような100歳目前であのような活動をするができるのは奇跡のようなものである。神に選ばれた人である。魂はすべての人に宿るが、特に選ばれた人には常人の及ばぬような活動をすることができる。

先駆者の道

2011-01-25 15:14:33 | 哲学
1月25日 晴れ
 先駆者の通る道は生やさしいものではない。命をかけて進んだ人々のことが思い出される。歴史に名を残した先駆者たち、その人たちはどう生き、どう死んだか、考えて見たい。その中でとくにきわだって世界を変えた人を上げるとしたら誰を上げるか。
 世界にその教えを広めたイエス・キリスト、彼はユダヤ人としてパレスチナの地に生まれた。当時ユダヤ人はローマの支配下にあった。ユダヤの中間支配層のもとに民衆の生活は楽でなかった。独立運動の過激派の勢いもあちこちにあったらしい。その中でバプテスマのヨハネが現われて、一種の宗教改革運動を起こした。それに参加したイエスは天啓を得て、独自の伝道を開始した。荒野の悪魔の試みを退け、病む人に癒しの奇跡を起こし、真の信仰はこうあるべきという祈りを教えた。イエスの言動は律法主義の当時の支配層、学者たちの逆鱗に触れるものであった。しかしイエスは果敢にエルサレムの都に上り、そこで十字架にかけられて死んだ。しかし弟子たち、後継者たちの間にイエスは霊において復活したという信仰が広まり、どんなに弾圧をしても全世界にイエスの教えが広まった。
 これは人類史で起こった事実であるが、率直に言って普通ならとても起こりえない不思議なことである。欧米の歴史は数々の矛盾や失敗を含んでいるが、キリスト教抜きには考えられない。日本人はキリスト教を無視してはいけない。その歴史に学ばなければなるまい。
 

苦難に克つには

2011-01-24 15:17:21 | 哲学
1月24日 早朝雪のち晴れ
 ブログ生活を一たん整理することに決めたら気が楽になった。そのせいか少しよく眠れた気がする。
 今日は思い立って本屋に行くと、目に付いたのが佐々木常夫著『働く君に贈る25の言葉』(Wave出版)という本であった。著者の経歴は、東大卒業、東レ社長も勤めたエリートだが、家庭の不幸で大変な重荷を負った人である。その言葉とは職場での部下に対して励ましとして与えられたものが主体であるようだ。自分の経験がその核心にあるから強い。
 苦難に克つには、先ず苦難を受け入れることである。はじめから苦難と戦う積りでも、うまく行くものではない。キリスト教の立場で言えば、苦難は神から試練として与えられるとされるが、本人にとってそんなに簡単に結論できるという実感ではない。出口の見えない暗いトンネルの中でもう自分の力もこれで限界と思うようなこともあるのである。「自分には最早何もできない、あとはどうにでもなれ」というようなところで不思議に光が射して来たら、その人は確かにこの世に神がいますことを実感することができる。いわゆるサタンの働きはそこで終わり、その人は旧約聖書にいうヨブの体験を味わう。祝福の生涯がそのあとに続く。不思議なことだがそういうことが起こる。
 佐々木氏にキリスト信仰があるかどうかは知らない。しかしこの世には普通の知恵を超えたものがあることは否定できない。それが驚きの奇跡的人生に導くのだ。

ブログとエッセイ

2011-01-23 15:23:59 | 人生人間
1月23日 晴れ
 大寒の最中、私の持病である掌セキ膿疱症による足の痛みは、重大問題とまでは行かないが、歩くことがどうしても少なくなり、生活の積極性を殺ぐ。こんなことでは新老人の会のモットーの前向きに「創ること」にもそぐわなくなることを恐れる。私がどんなに高い志を持っても実現可能性は低下してしまう。そこで今日の日曜日、元気な友人の講演のテープを聞いて考えた。今、あるいは近い将来、やれることをやって、一里塚を作ってみようと。少し遠い将来のことでーたとえば天国のことなどーあまりくよくよと思い悩むなと。そう思ったら気が少し楽になった。
 このブログは今1489日に達し、開設以来4年以上5年近く経過した。メモリー量が高くなったという警告が出てしまった。私はブログをエッセイの習作の場として活用し、エッセイ集を編集して残し、今まで協力された方々に感謝したいとかねがね思っていた。1500回をメドにブログは中止しようと考える。そしてブログの文章を洗練し、選択してエッセイ集の出版に漕ぎつける。そんな方針を今考えている。
 今まで見てくれ、反応してくれた人には申し訳ないが、これも私の人生の活性化のためと思って許していただきたいものだ。はなはだ勝手な言い訳かもしれないが、ものごとの終わりというものは誰にもいつか来るものだから。

いのちの道

2011-01-22 21:57:36 | 人生人間
1月22日 晴れ
 人の一生は90年時代に入ったという人がいる。新聞の訃報などを見ているとそう思えるかもしれない。
しかしそれでもまだ有限であることに変わりない。だから人は自分の事業を後継者に委ねることをある時期に考える。それがうまく行く人は少なく、成功したらその人の事業は引き継がれて後世に至る。
 そんな夢を見る人はかなりいるだろうが、引継ぎはそう簡単ではない。私は自己中心ではなく、多くの人のためになることをやってきたと言えることも、生涯を振り返って思う。いのちへの賛歌、いのちの道の模索、いのちの街道を人に知らせること、それらは二男の事故から始まった。それを引き継ぐ人を探す時期が来た。誰が受け継ぐだろうか。ここ暫らくの思案のときである。

副作用のない薬はない

2011-01-21 20:23:38 | 哲学
1月21日 晴れ
 からから天気で湿度はひどく低くなっている。このことが寒さとあいまってインフルエンザ流行の原因になっている。
 今日は皮膚科の診察に行く。薬を貰うときに担当者に言われたのは「副作用のない薬はない」ということ。薬の作用は本来の目的に合ったもののほか、望ましくないものも伴うということだ。それは承知で医者は薬を使う。そのさいに患者の体の状況を注意深く見て、副作用を最小限にとどめるのが医師の務めである。ただし患者の体は患者自身が一番よく知っていることも事実で、患者の言うことをよく聞き、適切な判断を下すことが必要なのである。それをやらない医師が今までは随分いたように思う。勿論医師も神様でないから何から何まで見通すことは不可能である。患者は多少我儘に振舞うのがわが身を守る道であろうと私は経験上思っている。赤ん坊や言葉の未発達な幼児を扱う小児科の医師の立場は困難だろう。予防接種で乳幼児に多くの犠牲を出した日本であったが、被害者家族の運動で状況はかなり改善された。今後さらに犠牲が出ないよう注意深いやり方が望まれる。インフルエンザの予防接種の有効性は疑問だらけで、NHKはじめもっとしっかりしてもらわねばならない。