1月31日 晴れ
今日はいわき福音協会の理事会。キリスト教の生きた証しとして、福祉のために活動する協会が東北のこの地で今日まで順調に発展してきたのはまさに奇跡的である。その陰に先人(大河内博士)の凄まじいまでの努力があったことを知る。
さて東北は津軽、弘前出自の木村健二郎先生のことを、7月開催の化学史学会(弘前)で顕彰することを今年の目標とするため、いろいろ考えた。子息幹氏の意見も聞き、協力する旨の申し出ももらった。木村健二郎先生は東大理学部化学教室で教鞭をとられ、デンマーク・コペンハーゲンのニールス・ボーアの研究所で量子力学勃興期の新しい学問の雰囲気を学んだ。これはコペンハーゲン精神という呼び名で若手の学徒を魅了したものである。北欧の小国デンマークは第1次世界大戦でささくれ立った大国の間で平和を創る役割を果した。ボーアにもそのような精神があったであろうことは否めない。ここで木村先生は理研から留学中の物理学者仁科芳雄とともにユニークな研究をした。そして帰国後、理研に建設されたサイクロトロンを使って仁科と協力して、世界のノーベル賞学者と競い合うような核分裂の研究を行い、日本の学問の存在感を示した。木村先生は戦後、アメリカの南太平洋ビキニ環礁での核実験による日本の漁船第五福竜丸の放射能被曝について、水素爆弾の構造を解明するような分析を詳細におこなって、世界の人々を驚かせた。この研究はアメリカやソヴィエト・ロシアの核競争に歯止めをかけ、核軍縮に導くひとつのきっかけになったのである。木村先生はこのようにして平和を創る人となった。木村先生のキリスト教精神はこうして長く平和運動の歴史に残るものとなった。私たちはそのことを今一度学会でも思い出すことにしたいのだ。
今日はいわき福音協会の理事会。キリスト教の生きた証しとして、福祉のために活動する協会が東北のこの地で今日まで順調に発展してきたのはまさに奇跡的である。その陰に先人(大河内博士)の凄まじいまでの努力があったことを知る。
さて東北は津軽、弘前出自の木村健二郎先生のことを、7月開催の化学史学会(弘前)で顕彰することを今年の目標とするため、いろいろ考えた。子息幹氏の意見も聞き、協力する旨の申し出ももらった。木村健二郎先生は東大理学部化学教室で教鞭をとられ、デンマーク・コペンハーゲンのニールス・ボーアの研究所で量子力学勃興期の新しい学問の雰囲気を学んだ。これはコペンハーゲン精神という呼び名で若手の学徒を魅了したものである。北欧の小国デンマークは第1次世界大戦でささくれ立った大国の間で平和を創る役割を果した。ボーアにもそのような精神があったであろうことは否めない。ここで木村先生は理研から留学中の物理学者仁科芳雄とともにユニークな研究をした。そして帰国後、理研に建設されたサイクロトロンを使って仁科と協力して、世界のノーベル賞学者と競い合うような核分裂の研究を行い、日本の学問の存在感を示した。木村先生は戦後、アメリカの南太平洋ビキニ環礁での核実験による日本の漁船第五福竜丸の放射能被曝について、水素爆弾の構造を解明するような分析を詳細におこなって、世界の人々を驚かせた。この研究はアメリカやソヴィエト・ロシアの核競争に歯止めをかけ、核軍縮に導くひとつのきっかけになったのである。木村先生はこのようにして平和を創る人となった。木村先生のキリスト教精神はこうして長く平和運動の歴史に残るものとなった。私たちはそのことを今一度学会でも思い出すことにしたいのだ。