一生

人生観と死生観

集中と切り替え

2007-05-28 21:02:04 | 哲学
5月28日 晴れしかし意外に肌寒い日。
 昨日モンゴル出身の白鳳が大相撲で優勝した。22歳の若い新横綱おめでとう。日本の大相撲が国際化して今日に至ったのは良いことである。
 それにつけても、物事、発展し、成功するには、集中と頭の切り替えが必要と思い知る。スポーツだけではない。事業でも、勉強でもそうである。集中だけでは気がつまり、頭打ちになる。その時は頭を切り替えよ。意外な展開が見えることが往々にしてある。ある方向からでは解けない問題も、別の方向から解けることがある。
 セレンディピティーという言葉がよく使われるようになったが、これを幸福な偶然と解すれば、頭を切り替えるときのヒラメキはその種の偶然といえるだろう。人間はこういう偶然によって視野を拡げ、文化を発展させてきた。論理を超えて偶然が人間を導いてきたことの蔭に上なる神の恩恵を見る人たちは何と幸いなことだろう。

体罰と教育

2007-05-26 17:52:09 | 生活
5月26日
 教育に体罰はいけないというが、幼い子に良いこと悪いことを教え込むのに、わがままを通そうとして言うことを聞かなかったら、そのお尻を叩いてでも親が意志を示す、感情的にではなく正邪の道理はこうだということを見せるのである。
 小学校では一切体罰はしないことになっているらしいが、それでよいのだろうか。友達に腕力を振い怪我させても、じわじわと反省させるというようなことでは、またカッとなって暴力を繰り返す子がいるに違いない。古い教育を受けた私には愛の鞭は必要としか思われない。
 やってはいけないことはどこまでも制止するのである。

いのちの不思議

2007-05-22 10:45:13 | 哲学
5月22日 晴れ
 いのち、この不思議なもの。古くから思索の対象としていろいろな人が取り上げたが、これで終わりということがない。
 「いのちの杜」通信の主旨は少しづつ世の中に知られはじめているとはいえ、もちろん不十分だ。いのちの尊厳に目覚めた私たちだが、ワクチン禍の悲劇からはじまって、人智の浅いこと、人の努力に限界があることをいやというほど知らされた。いのちは地球上で発生し、長い進化の過程を経て今日に至ったが、いのちを神話から科学の対象にした進化論者の議論にもかかわらず、いのちの本質はそれほど明らかになったとはいえない。DNAの構造が解明され、遺伝子工学が進展し、ノーベル賞はこの分野に集中するようになったが、やっぱりむずかしいものはむずかしい。
 人はすべてを人の手で解きつくそうと思うことが無理なのだ。科学で「いかにHow」は分かっても「なぜWhy」は解けないことを前に言った。後者は哲学と宗教の課題であり、科学は無力である。日本では科学者の多くは無神論者と自称するが、実態はむしろ不可知論者である。神の領域に入り込めないのである。いのちの問題はまさにこの典型的なもの。機構に関する知識は進んでも、真相を究めることは出来ない。次元の違う世界だからである。
 論理と直観は人の精神作用の大切な要素である。科学者はその論理が間違ってはならず、論理的であることは当然だが、論理がすべてであると思ってはならないのである。日本最初のノーベル化学賞をもらった福井謙一は直観をたいせつにしたひとであった。直観から科学の真理が洞察されるように、直観から哲学や宗教の真理が導かれる。人は直観を軽んじてはならない。

Class Reunion

2007-05-20 16:04:26 | 生活
5月20日 孫の誕生祝
 五月のこの日は晴れてやや暑いくらいだ。13年前石巻で生まれたときは初孫だったから喜ぶばかりだった。幼い子はその成長過程そのものが希望である。いろいろのことはあったがすこやかに成長して今は中学1年生になった。さいわい友達も出来て、仲良しの家に遊びに行ったり来たり。
 これからの子どもたちの未来が開かれるように。平凡だがこれが祝いの言葉。

雑感

2007-05-17 09:27:28 | 哲学
5月17日 雨
仙台へ出発する前の短いときの間に。
私には夢がある、とL.M.キング牧師が言った。彼の夢は暗殺されてから着実に実現されつつある。私たちは不確実な(と見える)未来のためにしばしば不安になる。しかし本当はそんなに悩むことはない。なるようにしかならないというのもひとつの生活信条だ。けれども今私の胸を去来するのはもっと高い次元での確信である。といって普通の人に理解しにくいかもしれないが、宗教的啓示といってもよいかもしれない。よい方向に考えよ。道はある、きっとある。狂気になるか,天才になるか、それなら天才(といってもいろいろある)になるように、幼い子を導く、自己暗示をかける、それもよいではないか。

孫の通学

2007-05-16 10:55:07 | 生活
5月16日 晴れ
 今朝もMの通学を車で送る。6kmの道のりはもちろん徒歩の範囲を越える。送迎が必要になったから、私も目覚まし時計をかけても早起きする。朝は気持ちがよいものだ。今の時期は緑も美しく、空気もさわやか、道路わきの田んぼから蛙の鳴く声も聞かれる。
 学校に着く。孫は友達の到着を認めると転がるように車を降りて、そちらの方向に。中高一貫校でも勉強を競うだけでなく、人間を養い、人間関係を大事にする教育をやって欲しいものだ。

充は千の風になって

2007-05-14 09:49:42 | 生活
5月14日 晴れ
 仙台に滞在したためブログの休暇となった。仙台で5月12日いのち像を囲む集い十周年記念の会を実行、感銘深いものがあった。午前は音楽の部、緑さわやかな宮城県中央児童館の裏庭でいのち像を前に歌の数々が捧げられ、とくに三野宮さんのソプラノが印象深かった。彼女は康の作曲した「千の風になって」を熱唱し、聴衆は深く心を動かされた様子であった。もう地上にはいない充だが、千の風になって人々の上に吹き渡る。
 そして午後は広瀬川沿いの仙台市国際センターでの祝賀会、ドイツの彫刻家イングリット・バウムゲルトナーさんの祝辞がすばらしく、感激させられた。ところを遠く隔たり、民族の違いはあっても、人の心は同じ、彫刻制作者のご好意に報いたい。
 講演会では児童精神科医の佐々木正美氏のお話を聞く。現代日本の子どもたちに迫る諸問題、いずれも捨ててはおけぬ大事なものであった。ありがとうとごめんなさいが言えない子どもたちは物質的繁栄の末に魂を失った日本人の象徴である。そうだ。人の心は物質だけでは充たされないのだ。心の飢え渇きを正しい道に導くことこそ政治的、社会的、思想的、宗教的課題ではないか。どうか日本に21世紀をリードする人材が出るように。講演を聴いてこのような願いが湧き起こるのを抑えることが出来なかった。

五月十日

2007-05-10 17:02:58 | 生活
5月10日
急に予定変更して夕刻仙台へ。
いのち像の集いのため準備をととのえる。
人生何が起こるか先のことは分からない。この世界がいまのように継続するのか。人間はわがままになりすぎていないか。地球温暖化、気候変動、やがて食糧の危機、その日暮しの日本人に何が分かるか。考えよう。賢くあれ。自分ひとりさえよければというエゴイズムは破綻する。

日本人と宗教

2007-05-09 15:59:36 | 哲学
5月9日 はれ
 池田晶子著『14歳からの哲学』が評判なので買って読む。「宗教」の部分はきわめて弱いと言わざるを得ない。日本人もかっては本当に超越者を信じた。それは本気だった。親鸞は越後に流され、日蓮は佐渡へ流されたが、信仰を捨てなかった。科学が発達したから宗教がいらなくなったのでも、霞んでしまったのでもない。科学は「いかにして」ということに答えるけれども、「なぜ」ということには決して答えない。いや答えられないのだ。池田はそのことは分かっているが、宗教の本質的なところがほとんどまったく分かっていないのだ。
 現代でも科学者に信仰者はいる。霊魂の問題はもちろん科学では解けないが、内村鑑三ののような人はもっと内在的なやり方でこの問題に人生全体かけてぶつかった。かれは時としておおらかに全宇宙を肯定し、また時としてきびしく異端と対決した。その生涯全体が信仰の証となっている。単に頭の中の思索ではなかったのである。内村の影響は今日に及んでいるが、それは無教会派と呼ばれる直接的な師弟関係に限るものではない。
 私はこの宗教を成り立たせるものーいのちを信じる。二男充の予防接種事故は私の人生を変えた。永遠の赤ん坊のようになった彼に限りなく永遠なものーいのちを見たといってよいだろう。科学を超えた超越者の世界に近い、超越者の存在を強く示唆するものである。私の信仰はそこに立つ。そしてそれが私を思いもよらないところで助け導いてきたのだ。内村のように私はこの問題に全力でぶつかってきたのだ。感謝すべきかな、超越者なる神。

いまここ主義

2007-05-08 10:38:12 | 哲学
5月8日 快晴 五月晴れ 
 加藤周一87歳が日本文化について、その特質はいま、ここ、に拘る部分主義だという(朝日新聞、5月8日)。目の前のいま、ここが大事なのは何も日本人に限ったことではない。しかしこの人にそう言われるとそうかと思う人も多いだろう。
 私はより本質的なことは、歴史から学び、さらに自分で納得するまで思索すること、そしてそれを多くの人に伝える努力をすること、それが本当の文化的いとなみであり、国家社会に貢献し、人類に益することだと思う。
 日本史をふり返ると、あの明治維新に人々はどう振舞ったか。尊皇攘夷を唱えていた薩長は、外国の艦隊と戦って敗れると開国へ、倒幕へと舵を切ったではないか。痛い目をして世界の流れが分かり、日本はこれではいけないと悟った。そして薩長はイギリスの後押し、幕府はフランスの後押しで戦い、内戦が長引けば日本は外国の植民地になることが目に見えていた。幕府側の勝海舟は薩長の倒幕司令官西郷隆盛と会談し、江戸城明け渡しを決めて江戸を救い、日本を救ったといわれる。勝海舟は咸臨丸の艦長としてアメリカにわたり、世界の情勢を知っていた。
 いまとここを無視して現実の政治は成り立たないといわれるが、日本の現在の政治のトップはおかしい。歴史の学び方がどこか狂っている。憲法改正は日本人の自主に基づいて、というが平和憲法はその成立の過程で、戦争に嫌気がさした日本人の気分にもとずき、アメリカ人の中での理想主義者の汎人類的発想に立脚しているからこそ、60年ももったのだ。しかもこの60年日本人はこの憲法のおかげで平和と繁栄をうたうことが出来た。最大の実利を得たのは日本人だったのだ。それを捨てることを考えるなど、なんと情けない,信念に乏しい,はずかしいことだと思わないのか。世界的にも憲法9条は人類の理想として尊重されているのだ。北朝鮮の暴発を心配したり、アメリカのいざないにぐらぐらしたり、心許ない人もいるが、北朝鮮もそれほど愚かであるとは思わない。なぜなら亡びに至ったかっての軍国主義の日本の見本がある。また外交面で日本は不器用といわれるが、アメリカに対してもっと自信を持った対応が出来るはずだ。そういう人材を育てることこそこの国の重大事だ。