一生

人生観と死生観

微視的と巨視的

2008-06-09 21:28:20 | 哲学
6月9日 曇り
 歯が痛むのでいわきは内郷のÅ医院に行った。診察したが悪いところは特になく、老化による歯茎の沈み込みが著しく、そのため痛みが生じ易いのだという。
 自分を見つめるとやはり小さなことに拘り、自己都合に合わせたくなるのは誰にでもあることだ。微視的思考のおちいりやすい弊害である。その時に自分を一時突き放す巨視的思考を取ってみることにしよう。(そんなに簡単に出来るかという人もあると思うが、一寸待て)少し違った景色が見え始めるのだ。人と人との関係が客観的に見え、自分はひとつの単位になってどのような役割を果すべきかが見えてくるだろう。
 そうはいっても自己は自分にとってやはりかけがえのない存在であることも事実だある。微視的と巨視的をつなぐ一歩をどうして作るか、そこを解決するのがその人の賢さの問題で、決まった処方箋はない。だからこそ経験でも、読書によって得られる知識でも利用できるものは何でも利用してやってみるよりほかないのだ。