一生

人生観と死生観

永遠の生命

2008-06-03 20:57:15 | 哲学
6月3日 雨
 テレビを見ていると、再生医療の進歩は著しく、近頃話題となっている万能細胞の利用と相まって、難病の克服、平均寿命の画期的な延長などが実現しそうな情勢である。薔薇色の未来が人類にあるかのような印象が持たれる。勿論科学や医学の進歩が人類に今まで考えられなかった希望をもたらすことは結構なことだが、人の作る社会では何もかも理想通りに進むことはなく、受益者はほんの一部にとどまることもありうる。平均寿命が90歳の峠にさえ遠くないといわれる中で、長命を必ずしも幸せと思わない人もじわじわと増えているのだ。心の中に本当の幸せをもっていない人がこのようなことになるのだ。
 一方で日野原重明氏は新老人の会を作り、意気盛んである。彼は牧師の息子としてクリスチャンの生き方を貫いている。どうも普通の人とは心の持ち方が違うようだ。長命だから幸せと思っているのではなく、その日、その日生かされていることが幸せ、働けることが有難い、感謝だと思っているので、数字的な年齢を問題にしているのではなさそうだ。
 そうだ、われらの持つこのいのちはその日、その日を有り難く受けることで、永遠のいのちに連なることが出来る。無意味な長寿を永遠のいのちと考えてはならないのだ。これが分かって本当にその日、その日の生活に励むことが出来る。希望はそこからあふれ出る。