Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

慰めの人 (Ⅱコリント1:4-7)

2008年08月31日 | Celebration
わたしちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。(Ⅱコリント1:3)

バルナバ(使徒言行録4:36)は、「慰めの人」と呼ばれた人物で、パウロやペテロのように、目立ってはいませんが、新約聖書の影の立役者と言っても過言ではない人です。もし、バルナバがいなければ、かつて迫害者のリーダーだったパウロを、教会が受け入れなかった可能性は十分に考えられます。また、バルナバは相談役としてパウロと決別した若いマルコを支え、その結果、マルコは四福音書の先駆けとなったマルコの福音書を書くことが出来たのです。つまり、バルナバは、新約聖書成立の多大な貢献者であり、バルナバが苦難や人間関係の軋轢の中で人々に差し伸べ続けた「慰め」は、聖書の根底に流れる源流となりました。

 当時のコリントの街は、風紀が乱れ、偶像崇拝が蔓延したどこか現代日本を思わせるような街で、教会内にも不品行、不平等、無秩序が入り込んでいました。パウロはこの手紙の前に、厳しい戒めの手紙や涙の手紙を書き送り、愛弟子を遣わして戒めの言葉を伝えましたが、問題は容易には解決されず、長年の応酬にパウロもコリント教会の人々も疲れ果てたその時、「神の慰め」がもたらされ、「和解と慰めの手紙」と呼ばれるこの手紙が書かれました。

 「慰め」を受けたパウロは冒頭で喜びの声を上げ、続く本日の聖書箇所の4節中に、「慰め」を幾度も繰り返して強調しています。「慰め」とは何でしょうか。原語では「パラクレーシス」と言い、「パラクレオ=傍に呼ぶ」という動詞から発しています。同様の語源を持つものに「聖霊様=パラクレートス=助け手」があります。つまり「慰め」とは、傍にいてその人に応えてあげる、受け入れてあげることなのです。パウロに示されたように、神様の慰めは、私たちにも約束されています。神様の愛は私たちに絶えず注がれており、私たちは神様の慰めで取り囲まれていることを知っているはずです。そして、神様の願いは、私たちを「慰めの子」とすることです。

慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。(イザヤ40:1)

 しかし私たちは、なかなか人を慰めることができません。苦難や悲しみの中にある人を見て慰めようとしつつも、自分の意見や判断基準が先に出て、結果的に、逆に相手に怒りや失望を与えてしまうこともしばしばです。だからこそ、神様の愛の源流である「慰め」をしっかりと知ることが大切です。今日のメッセージは、「何故人は慰めを必要としているのか?」「どうしたら人は慰められるのか?」「そもそも慰めとは何なのか?」について、⑤つのポイントを語られました。

(1)人は誰もが慰めを必要としている。
 私たちが直面している現実です。イエス様の時代もまた、多くの人々が飼う者のない羊のように弱り果てた状態でした。イエス様は彼らを見て、深く憐れまれ、癒し、御言葉を通して生きる希望と喜びを教えられました。今の時代も同じことが言えます。人間はさまざまな苦難に遭い、悲しみ、人生の真の目的を持たないまま彷徨っています。人間が生きるためには「慰め」が必要です。

(2)神様は私たちに「慰めよ」と命じられている。
 思いやり、いたわり合い、受容や励ましによって力と希望を回復させることが慰めです。そして何よりも“神の家族”の内に慰めがあります。私たちに必要な真の慰めは、「慰めよ」と仰る神様に立ち返るところから与えられることを知り、弱さや問題に不満を持つ人々を慰めて、魂の平安へと導くこと。これが父なる神様の願いです。

(3)自分の経験を用いる。
 人から慰められた経験のない人が、人を慰めることはできません。苦しみの渦中にある人、悲しんでいる人を最も慰めることができるのは、同様の苦しみ、悲しみを経た人なのです。神様は、誰をも愛しておられ、どんな経験をも無駄にされることはありません。苦しみの経験は、他の人を慰めるためにあるのです。

(4)自分の失敗を恥じ、隠さない。
 慰めは、取り繕いではありません。真の癒しを得るには自分の持つ傷を認めることが必要なように、自分の失敗を隠さずに相手と共有することができてこそ、真の慰めとなります。弱いところに神様が働かれるからです。

(5)自分自身が先ず神様からの慰めを受ける。
 御言葉には力があります。しかし、私たちの言葉に力がないと感じることがしばしばあります。何故?言葉に実体がなく、自分のスタンスを譲らないからです。経験を活かさず、失敗を見過ごし、癒されたつもり、大丈夫な感じ、治った思い込み。それは、神様の慰めを拒んでいることです。慰めを受けていないのです。御言葉は誰のために語られているでしょうか。慰めを受けるべきは誰でしょうか。その答えを知り、「あなた」に語られる慰めの言葉を受ける時、神様の慰めが「あなた」を通して流れ出します。

 神様にとって、私たちは大切な一人一人であり、その苦しみや悲しみを決して無駄にされません。辛い経験は、ほんとうに大切なものは何なのか、という問いに辿り着くための入口です。そこから「真理」に従う時、すべての苦難は祝福に変えられます。イエス様の十字架によって、その苦難が全人類の救いに変えられたように。

メッセージ(音声)はこちらをクリック!↓
http://goodnewsstation.com/celebration.html


Good News Stationのメインページへはここをクリック!

〔写真:仁ちゃんBirthdayの一コマ)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿