Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

Celebration (3/25/07)

2007年03月25日 | Celebration
神の秘められた計画 エフェソ3:1-13

★「内在する罪」「信仰」に続いて、「教会」についてのメッセージ。クリスチャンライフと教会は、切り離せるものではない。なのに、離れている、あるいは切れ掛かっていることを聞く。とっても悲しいことだ。家族なのに離れてしまうなんて。

 教会は神の家族から成り、天国と地上を繋ぐ唯一のもの。そして教会には、在外公館のような治外法権がある。周囲がどうであれ、一歩入れば、神様の掟、天国の価値観で動く。が、治外法権を忘れて周囲に倣ってしまうと、教会とは名ばかりのこの世的組織と化し、行いが評価されるだけの「Doing教会」になる。天国にある真実の教会は「Being教会」。そこは「あなたがいてくれるだけでHappy& 感謝という最高にステキなところ。

 そんなステキなところに接していても、何故か悩めるキリスト者。だから眉間に皺寄せた「苦悩!」のイメージが払拭できない。キリスト者の悩みは、

① キリスト者としての人生の目的が明確でない。
② 喜ぶ、祈る、感謝などができずに、理想とのギャップに苦しむ。
③ 福音理解の欠如と誤解で、御旨に近づけない。

 真剣に成長したいと思うなら、当然の悩みだろう。しかし、悩みにばかり目を向けていては眉間の皺が消えない。キリスト者はいつも希望を見る。希望の内に見えるのは「パーフェクトな私」であり、それが神様によって約束されているなら、悩みを持ってしまうのは、希望を見ることを妨げる「覆い」のせい。思い出してみよう。神様の愛を知り、ワクワクして御言葉を読み進んだ日を。神様の愛は、その時から微塵も変わっていない。すぐ脇道へ逸れてしまうのは人間の性質だから、日々の悔い改めが必要だ。そんな苦しみの体験から自ら見出したものが、“真理”として内に蓄えられる。これも希望だ。

 「覆い」はキリスト者の教会観にも及ぶ。悪魔の第一目的は、人間に「神様などいない。」と思わせること。であれば、神様を知って信仰を抱くキリスト者に対しての巧妙な罠は、「神の家族や教会など、必要ない。」と思わせることかもしれない。そんな嘘に操られた結果、家族を家族を思えずに離れていってしまう。なんて悲しい、なんて悔しいことだろう。

 人間関係は煩わしいこともある。合わない人もいる。イエス様が仰った『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』は、決して容易ではない。しかし、だからこそ求めたい。私達キリスト者は、自分勝手に作り上げていた虚像の神から離れて、真実の生きた神様に辿り着いたはず。教会も同じだ。100%自分好みの教会は「神様が」望むものだろうか。真実だろうか。人は人と対峙して自分を見る。そうして子供は家族の中で自分の位置を確認して成長する。霊によって新たに生まれたキリスト者は、神の家族の透明な人間関係の中で、自分を見つめ直して、悔い改めを繰り返して成長できる。どちらの家族も神様が定めて下さったもので、私達をひとつにする神様の望みのためだ。「神様の秘められた計画」は、ひとつとなった「教会」を通して知らされ、成就するものだから。

つまり、一つの霊によって、わたしたちは~皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。(1コリント12:13)

こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。(エフェソ3:10-11)

 最後に、キリストと教会の関係を問う基礎問題。これが聖書の語る教会だ。

   キリスト と  教会  は (         )  答:ひとつ
   教会   は キリスト の (         )  答:
   キリスト は  教会  の (         )  答:頭(かしら)

   〔答えは隠して書いてあるから、ハイライトして下さい。〕

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1 コメント

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選んでくれたのは… (みみた)
2007-03-28 03:07:50
いつも、礼拝報告ありがとうございます。

 神様は、私たちをそれぞれに創ってくださいました。私には、とても大切な家族や友達がいます。
しかし、その一人一人は、私と同じように感じることもあれば、違って感じることもあります。
ですから、言動も同じ時もあれば、違う時もあります。同じ思いを持っていることを知った時、『うれしい』と言う共感性が生まれます。違う時の反応は様々です。『何で?』と、思う時もあります。また、
『あぁ、こういう考え方もあるんだ』と教えてもらう時もあります。
生まれてきた時に私たちの周りにいた家族は、私たちが選んだのではありません。神様が選んでくださいました。同じように、霊の家族も神様が選んでくださいました。神様に一人一人が愛されています。
ですから、ヨハネによる福音書15章16-17節にイエス様がおっしゃってくださったように、私たちも互いに愛し合いましょう!互いに助け合い、励まし合い、祈り合いましょう!

『真剣に成長したいと思うなら、当然の悩みだろう。しかし、悩みにばかり目を向けていては眉間の皺が消えない』
ほんとにねぇ~。だから、まずはやってみよう。
神様に助け求めて、自分のできるところからやってみよう。間違っても、失敗しても、赦し、助けてくれる神様、霊の家族が私たちにはついています。
エジソンさんは、電球を発明するのに何千回、何万回の失敗を重ねたそうです。ある日、息子さんが失敗してばかりしているエジソンさんに尋ねました。電球の発明は無意味ではないか?」と…。すると、エジソンさんは答えます。「この失敗は、無意味ではないんだ。この方法では、電球は使えないと言う事実を発見したんだから。」そして、エジソンさんは、また、仕事に戻ったそうです。
 人生の中で、同じ失敗を繰り返すほど、惨めで、もったいないことはありません。そう言う、私も朝起きることが苦手で、家族に迷惑をかけ、自分でも早起きができればいいのに…と思っています。
でも、思っているばかりでは早起きはできません。
早起きをする方法を実行しなければ、私は、同じ毎日を繰り返すことになります。でも、エジソンさんのように諦めず、いろいろな方法を模索し、実行していきたいと思います。神様が共にいてくれますから…。
今日も、主と共に、また霊の家族と共に歩んでいきましょう!
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