GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「アイ・アム・レジェンド」(ウィル、お前もか!)

2007年12月21日 | Weblog
 どうしてこの手の映画が繰り返し製作されるのだろうか? 
いやな予感があって公開してもしばらく躊躇していたのですが、ミクシイの方々の評判があまりに良くて、ついに行ってしまいました、が……。

 古典的傑作『地球最後の男』(リチャード・マシスン原作)をウィル・スミス主演で映画化したSFアクション。過去に2度映画化されています。
地球最後の男 (1964) 同一原作(ヴィンセント・プライス主演)
地球最後の男 オメガマン (1971) 同一原作(チャールトン・ヘストン主演)

 C・ヘストンの「オメガマン」は見ているが、1968年の「猿の惑星」のような明確な記憶はまったくない。「猿の惑星」のラストシーンは、その頃子供だったが良く覚えている。地球に帰還する宇宙船を失い、傷心の中、馬に乗って渚を行くシーン。その先になんと自由の女神の残骸が。「この惑星は地球だったのか……。」このラストに幼い私は胸を締め付けられた思い出があります。同じ頃のSF映画「ミクロの決死圏」では、人間がミクロになって体内の病原体を退治しに行く荒唐無稽のストーリーだったが、「猿の惑星」ほどの感動はなかった。

 この記憶の差は何だろうか? 名作、凡作の違いは当然あるだろうが、「アイ・アム・レジェンド」を見ていて思ったことがある。この映画が10年後記憶に残っているとしたら、車が放置され雑草が生い茂っている荒廃したマンハッタンの壮大な風景だけだろう。

   A)愛を感じる切ない、大きな感動。
   B)意外なストーリー展開
   C)今までにない心に残る映像

記憶に残るためにはこの3点は欠かせないようだ。
しかも、名作と名を残す為には、特にA)が必要条件らしい。

●「アイ・アム・レジェンド」まだ見ていない人にとってこれから先は、ネタバレご免になるのでご注意を! ごめんなさい!

 ニューヨークでたった一人になってしまった科学者ネビルは、愛犬と共に車で鹿を追って暮らしている。しかし、日が沈むと厚いのドアを閉め、鋼鉄の窓を閉ざして家に閉じこもり、魑魅魍魎が動き出す夜を自動小銃を抱きながらやり過ごす。「何故?」誰もいないのだろう? この疑問は時間を追うごとに家族を失った原因と共に明かされてくる。この辺の展開は今までにないもので緊迫感が高まり大いに期待できた。しかし、怪物が姿を現してからは、「バイオ・ハザード」「サイン」と同様に一気に映画はB級に下降した。その後はパニック映画と化して行く。ラストは名作「ブレードランナー」のような切なさも哀愁も感じられない。「ターミネーター2」のような意外な展開(前作で悪役だったターミネーターが、2では善玉として登場し液体金属の悪玉ターミネーターと身を挺して戦い、マシーンが涙の意味を知っていく)もなく、ただただ激しい殺戮を繰り返す後半の展開には辟易してしまった。ネズミや怪物をとらえて来て、様々な血清を試すシーンだけが科学者としてのスタンスを一人貫くシーンは今までにない場面で心に残った。しかし、怪物たちはすでに心を失い手負いの野獣として描かれており、従来のゾンビ映画となんら変わらない。

 どうしてこの手の映画が繰り返しくるられるのだろうか?

 どうしてもこの疑問が浮かんでくる。シリーズ3作品共に大ヒットした「バイオ・ハザード」。興行的にヒットしたらどんな内容でもいいというスタンスが大きな流れとなっている現状を憂いてしまうのは私だけだろうか? 若い親がDVDを借りてきて幼い子供達と一緒に見ていて、夜中に怖い夢を見て夜泣きされた経験がきっとあると思う。真っ白な心にべったりと血を塗りたくり、ぶっ飛んで目をつり上げ、野獣のように歯をむき出し怒る姿が何を培養していくのか心配でならない。

 

 ホームレスを襲ったり、モデルガンで浮浪者にBB弾を打ち込んだり、酷いのは火炎瓶まで投げつけるような事件が後を絶たないのは、この主の映画がブームになってからだと思う。愚かな若者をしかる前に、この手の規制を真剣に考えないと野獣の群を映画やゲーム市場が作り出しているかように思えてくる。邦画「どろろ」のように<PG-12>指定があるが、この映画にはない。

 先日も「オーシャンズ11」ゲームと称した中学3年生の連中が車を盗み、スリを繰り返して逮捕された事件報道を読んだが、本当に残念でしかたがない。そのような悪事をすることによって地道に働く事の意義を一生分からずじまいとなり、辛抱ができないアウトローとしての生き方しか身に付かず、未成年で逮捕された経歴は本人も周囲を決して忘れないだろう。その心の傷が一生消えないにことに到底考えは及ばない。

 かつて黒沢明監督は「天国と地獄」を作ったが、その後実際に誘拐事件が発生し社会的な問題となった。東宝映画は新たな犯罪サスペンスを作るよう黒沢氏に要望したが、社会的な影響力を心配してその後二度とこの手の映画を作らなかった。2年後作った映画は私の邦画最大のお奨め映画「赤ひげ」でした。

「アイ・アム・レジェンド」も「猿の惑星」「ターミネーター2」も「ブレード・ランナー」も人間の愚かさを提唱しているストーリーですが、この手のSFもので心に残る感動作はブルース・ウィリス主演・ブラッド・ピット共演の「12モンキーズ」です。細菌で滅んだ地上を避けて、多くの人々は地下に潜った。その原因はどこで、どうして起こったのか調べる為に未来からB・ウィルスが送られてくるストーリー。ブラピのぶっ飛んだ演技にも驚嘆(「ファイト・クラブ」以上)したが、2度は見ないと分からない難解さがありますが、見れば見るほど名作だったと感動する異色な作品です。

ついでに私のプラピ:ベスト5を紹介しておきましょう。
  1位「レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」 (1994)
  2位「ジョー・ブラックをよろしく」 (1998)
  3位「スパイ・ゲーム」(2001)
  4位「ファイト・クラブ」(1999)
  5位「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」 (1994)

 ウィル・スミスは「バッド・ボーイズ」以来の出演した作品は「世界で一番パパが好き!」以外すべて見ている。彼にはキムタク的なウィットに富んだ性格と人の良さを感じるのですがこの映画のオファーを受けたことは残念です。プラピもまた愛のためとはいえ映画「トロイ」で伝説の男、アキレスを演じて、激しい殺戮を行ってしまいましたが、とても残念に思っています。スーパースターになってからの殺戮シーンは影響が大きいだけに回避して欲しいというのが今回の本音でした。