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原子爆弾の投下と 戦争の愚

2019年08月11日 07時09分01秒 | Weblog
原子爆弾の投下と戦争の愚
(期間限定版の予定です、悪しからず)

1945年(昭和20年) 8月6日

今から74年前の真夏
広島市に
アメリカ軍の原子爆弾が
投下された

福山市に叔母たちが住んでいたので
戦争の話を 少し聞いたことがある
叔父は 公立の病院勤務で
終戦の頃は 他県で働いていたらしい

だけど 男手は少ないし
もしかすると 終戦頃に
広島市に呼び戻されたかもしれない

1945年8月9日
長崎市に 米軍が原子爆弾を投下

私は 長崎市の原爆資料館には
4度ほど訪ねたことがある
何回見ても その展示物などには
衝撃と悲しみと怒りが
私を襲って来る

また 長崎市の中心にある小学校で
その学校の高学年と交流したことがある
30年位前の真夏の二日間の催しだった

私はこの小学校で
目の前にいる子どもたちと
同じような少年少女が
私の父や母たちと余り変わらない
年代の子どもたちが
原爆にやられたのだと思うと
とても心が痛んだ

二人の我が子がまだ幼い頃
30年位前の8月9日に
家族4人して バスツアーで
長崎市を訪ねた

車中でのガイドさんの話に
私らは 涙を流し そっと拭った
そして 側にいる子どもたちを見て
平和の有難さをしみじみと感じた

ps 2019.8.6 草稿 8.7 / 8.9 追記
広島原爆忌に
長崎原爆忌に

東日本大地震の津波で
福島の原子力発電所が
無残にも壊され その煽りで
放射性物質が 周囲に拡散された
それで 放射性物質の怖さを
あらためて知った人が多いと思う

原爆は 軍事施設だけでなく
一般市民なども 子供や女性までも
巻き込んで 犠牲者にしてしまう
その範囲は巨大で
その死傷者も膨大で
長期間にわたって
後遺症に苦しむ人も数多く
その上 敗戦国・敵国だったが故に
あまり理解や共感もされず
忍耐我慢の月日を送ってきた

でも 原爆の投下は
どこからみても どう考えても
無差別の対人対物攻撃であり
放射性物質の使用と拡散は
非人道的であると思う

日本がいかに国民玉砕を唱え
本土決戦を声高に叫んでいても
各地の戦争状況の様子から
原子爆弾の使用は必要ないと
判断できたのではないか
当時 なかなか白旗を掲げなかった
軍部の責任も大きいが‥

今は亡き僕の母は
74年前の8月9日に
対岸の原爆のキノコ雲を見たと
何度か僕に話した

長崎市はすぐ隣の造船都市
熊本は 当時 大きな軍事都市
もしかすると 熊本市にも
原爆が落ちたかもしれない‥

現在は
ごく一部の国(5+6?) が
原水爆を独占し
他国の所有を厳しく制限し
その軍事力を誇示する

そして
世界唯一の被爆国日本は
核の脅威から逃れられないと
他国の核の傘の下に隠れて
矛盾の渦の中にいる

かつて 米露が ほんの少しの
核爆弾の削減に着手したが
互いに疑心暗鬼を生じ
また 核大国の中国は
米露の対話に入っていないようで
またなし崩し的に参入している
隠れ核保有国の増加といい
実に杜撰な核兵器管理であることか

これらの現核兵器保有国は
身の丈に合わない
究極の人類消滅最終兵器?を
もしかすると 無人爆撃機か
核弾頭搭載の潜水艦から
意のままに投下・発射できるようにと
実に愚かな企てを図るかもしれない

後生大事に抱いている国の人たちは
本当に毎晩熟睡しているのだろうか

まあ、近年 この貴重な地球に対して
あらん限りの悪行と汚染を
行なっている地球上の異端生物ヒトは
遅かれ早かれ
天からのしっぺ返しを受けて
静かに滅んでゆく運命にあるのかも‥?
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