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柳は緑 花は紅 当たり前の大切さ

2020年03月24日 14時04分00秒 | Weblog

柳は緑  花は紅   当たり前の大切さ



(書の作品 とスミレ※外光の写し込みあり)



( 河岸の柳 3/19 )


「柳は緑 花は紅」


我が家の玄関に

書の作品が掛けてある


家内が 

書をB先生に師事して学んでいる


書の展覧会で

B先生の作品を拝見しているが

毎年 とても素敵な仕上がりに

感嘆している


それで

昨年は

思い切ってB先生に

我が家に飾る作品を

厚かましくも

お願いしたら

B先生は 快諾されて

昨秋(9/9) の展覧会後

その作品は

我が家の玄関に

飾られることになった


書の言葉

「柳は緑 花は紅」は

初め何とシンプルで

当たり前な感じだなあと

思ったが 今年の冬に

ある記事で

その由来と真意を知り

私の感性を恥じ入った次第で‥😅


ps  2020.3.17 草案 3.24 草稿

さっき写真が見つからないので

再度撮影していたら

またスミレが書の額の下に来た

(その後 画像は見つかった)

《参考資料》

臨済宗 黄檗宗 公式サイト 臨黄ネット

法話と禅語 より引用

柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)

書き下ろし

東京都 ・金龍寺副住職  並木泰淳

「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」という言葉を、中国の宋代の詩人蘇東坡居士が残したとされています。

 草木が芽吹く季節になりました。草木は、天候や自らの置かれた環境に不満を抱くことなく、精一杯生命を輝かせています。柳は緑色で花は紅色、と当たり前に思える風景こそが仏国土の風景なのだということです。

 ありふれた日常の風景を美しいと感じ、かけがえのない人やものに支えられて生きていると感謝して生きることができたら、これほどの幸せはありません。しかし私たちは「柳が緑色は当たり前、花が紅いのは当たり前」と決めつけて、ありのままの美しさに気付く機会を見逃しがちです。それは、学校や家庭・職場でたくさんの知識や常識・習慣を身につけ、「◯◯したら後々こうなる」とか「◯◯というのが当たり前」と考えるようになることが原因です。とても便利で、効率的なようにも思えますが、自分の考え方から外れた人を見れば、勝手に「非常識な人だ」と判断し、精一杯生命を輝かせる草木も「あたりまえの日常」として見過ごしてしまうのです。これを仏教では「執着心」と呼びます。

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