
鏡開きは、どんど焼きと言い、鏡餅を竹の棹の先に挟んで、お飾りや書初めと一緒に焼く。土日なら、早朝に起こされ、学校なら帰宅してから餅を食べる。これを食べると、雷さまに当たらないのだそう。学校に行く時には、どんなに急いでいても煙に当たらされ、お飾りの墨を塗られる。風邪を引かないのだと言うが。つまりは、一種の魔除けである。
この時期には、寒稽古が盛んで、小学校の頃には、持久走と縄跳びがあった。どちらも寒い中をすることに意味がある。しかし子ども頃には、意味などどうでもよい。手は皸と霜焼けで、足は霜焼けである。おまけに、縄跳びの時にかかると運動場に尻餅での座りである。お尻も霜焼けになりそうだった。
山を翔けるのは得意だが、平地は苦手で、学校の近辺を走るのも、そういった最後の土壇場で負ける。運動場は厭に広く、足が縺れた。けれども田畑の畦はすばしっこい。景品は、鉛筆やとても立派な縄跳びであった。色鉛筆もあったかな。今は、賞状があるくらいか?それも暖かな晩秋で、気迫に欠けている。
枇杷葉の花芽が覗いている。日曜日に寒冷紗をかけたのはいいが、天頂がすっぽり空いている。息子の背が高いので頼んだが、肝心なところが出ているではないか。しゃあないわ。脚立に上がって閉じ合わせた。孫が3歳くらいの時には、木丈も低く、枝も疎らにあったのが、ずいぶんと育ったものだ。
あれから5年の月日が流れている。枇杷葉もだが、孫も大きくなった。既に重くて抱けません。負ぶっても、足が付きます。意思表示もしっかりしてきて、本もよく読んでいる。このまま素直に育ってほしい。と、願わずにはいられません。田舎の小学校なので、全校で60人足らずですが、心は伸び々としています。
寒肥を入れる。糠と塩を混ぜた物を、前以て用意していた。少しばかり入れたのもあるが、今日は残り全部にする。糠は猪が好むので、今夜やってくるかも知れぬ。野鳥は、既に啄ばんでいた。花芽もヒヨドリが食っている。自然の中にあれば、こういったことは当たり前のことで、共存しなければ生きていけない。
枇杷葉を、花芽と茶葉とに分ける前。枝を数本、このまま花瓶に活けた。リエさんやサンタさんにも送ってみた。
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