枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

氷雨、神無月

2016年11月27日 | Weblog

 夕方から降りだした雨に、寒さを一頻り感じたものの、電気代の節約もあって、湯たんぽだけで過ごす。身体も、そういった環境に慣らせておかないと、地震や津波が襲った時、たちまち困窮することにもなる。冬は寒くて当たり前で、暖房に頼り過ぎない。

 神無月は、明日までで、新月からは霜月となる。神さまも、長い出張を終えて、出雲に帰る。近年の多忙な神さん、疲れが取れただろうか?五穀豊穣を祈願したことを忘れずに、お供えをして迎えたい。神さまの贔屓はないが、感謝の念は充分にあるのだ。

 安倍政権のあやふやさは、坊ちゃんの成り行き任せで、強行突破をするしか能がない。理路整然と説明するのが総理の役目だろうに、煙に巻く不誠実さばかり。無茶苦茶もいいところ。自分達の高給には、そういった下々の思いは無駄と撥ねる非情さだ。

 一日、雨が降っていたので、少しく考えることがあった。理不尽と言う言葉が当て嵌まる、今の政治であろうか。国民の声を聞いていると言う反面、馬の耳に念仏の首相である。自分の思い通りにいかぬとふてる。横暴に横槍を入れて、かき回すばかりだ。

 今年も少なくなって、亡くなった人が偲ばれる。身近では、児童文学作家の末吉暁子さんが、還らぬ人となった。春まで持つかな?と感じていたのが初夏まで持ち堪えた。人の命が尽きるのを、知っていても為す術がないこともある。未だ、心は癒えない。

 枇杷葉に、名前をつけているが、決められないこともあると知った。慈しみ、育んで大きくなったのを見ていると、感無量になってしまう。勝手に育つものでもないことに気づく。自然からのオーラ・力には、人智を超えた不思議なパワーが潜む。ありがたいね。

 原発の再稼動は止めて。今後の稼動状態で、地震や津波の頻度が異なり、その威力にも影響する。印度との調印も、庶民を莫迦にしている。戦争放棄した、憲法の原点に反する。亡くなった命の重要性を、もっと真剣に考えて。平和は当然じゃないよ。

 球根で買うが、花が終わると、飛来するようだ。団地の出入り口や、遊び場に群れてしまうのだ。


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