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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

何時もと変わらず・・・

2019年01月02日 | Weblog

 羽根突きをする音も、凧揚げの景色もない、普段通りの様子に、これが正月か?と何だか寂しい。蒲団を剥いで起き、すばるに語り掛ける。温もったら好いらしく、抜け出しては入って来る。湯たんぽ代わりなので、居なくなると温度が下がる。今朝も晴天であり、午後からは曇りだろう。

 新聞も、郵便も休みらしく、静かな環境である。昨夜のすき焼きの残りを温め、舞茸を入れているので、肉が硬くなく安堵する。刀豆歯磨きを使うようになって、すこぶるトラブルはない。肩凝りは歳のせいか、背中も苦るので、枇杷葉の生葉を当てておく。今年の仕事の申請は考えよう。

 年金は減るわ、介護保険料は上がるわ、消費税の掛け値なしにも憤るが、表向きのオリンピックに夢中で、底辺の庶民の生活には無頓着だ。生活保護さえ申請に難しい。世の中の世知辛さに半ば呆れる。自然療法を施行しているから、何とか生きられている。これが医者通いであれば悲惨。

 旧暦の朔日が、六日で小寒となる。白枇杷の剪定と、花芽を採ってお茶にする予定。今年は、思いの外初生りが相次ぎ、蜜蜂もたくさん飛んだ。急激な寒さに、洗濯物に付いて迷い込んだのもいる。ゴキブリは、ストーブが暖かいので、出てきたはいいが、寒さに震えていたので捕獲した。

 すばるが面白がって追いかけ回す。逃げようにも気温の低さに動けない。にゃんということもなく捕まえた。外は、曇り空で風も出て来た。寒太郎の出番もなくては。夏には階段があるが、冬の我が家には二階がない。それなのに視えるんだなぁ・・・これも宿命か?昨年に冷暖房を設置で。

 何だか正月らしくない。旧暦が霜月二十七日、ということも有る。気忙しさだけがあって、温もりが感じられないのは何故だろう?と訝しい。心が炸裂しそうになったり、温かな血が噴き出しそうだ。沖縄の海が啼いている。地球が声を忍んで哀しむ。天地異変も次々と起り、戦争への道へ。

 人類の危機に瀕する度に、宇宙は警告を発してきたというのに。私利私欲に走り、我が身可愛さに、国民を騙し欺き、澄ました顔で言い訳をする。アメリカ寄りの、寄り切っての政策に振り回される。誰も止める者がないと、独裁政治を施工続けているが、そのことさえも気づかない哀れさ。

 少しでも天気であれば、外が気になってしょうがない。脱走も度々やる。自分で開けて出られない。

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