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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

こりゃ、駄目だわ・・・

2018年05月22日 | Weblog

 口は災いの元でもある。女三人寄れば姦しいとは、字が語っているもの。或いは、人の行為が、どんなことになるとか、相手の者は何を況と、聴くことも大切だろう。そうでなければ、枇杷葉の力・パワーを感じ取れるものではない。医者に行っても治らないことには、きっと何らかの要因がある。

 信じることの真実には、清らかさもあるし、純真さも併せ持つ。そういったところの本質を、自分で確かめてみようと、何故思わないのだろう。相手任せであったり、都合のいいことばかりを考えるようでは、到底叶わない。言葉の一つひとつが、胸の中に沁み込んでいかねば、通じ合えないものだ。

 人間は、年齢を重ねて行くと、あちこちガタが来て、支障を懐ものだが、それらを援けてくれるのが、枇杷葉でもあるのだ。細胞を活性化させ、血液を浄化させる。然し、うぬぼれてはいけない。歳相応の身体であることを知り、無理や無茶をしないこと。限度を心得て行動したいものだ。感謝のみ。

 わたくしは、信じるに値する者でありたい。信頼を裏切ることなく、加えて押し付けず、最善を尽くせたら、自分の使命も達成できる。どんなに遠く離れていても、愛することはできるし、波動を感じることも可能だ。それら凡ての行いに、決して恥じない生き方をしたいもの。心身共に浄化は稀。

 介護の仕事には、腰痛は付きもので、腰が痛いと業務は出来ない。最悪、仕事を替えるか、治療に専念するか、何れかだろう。仕事をしながらは、無理でしょう。個人的な見解を言えば、二兎を追う者一兎も追えずで、そんな自分勝手と言うか、甘えた考えでは、人の心は離れていってしまうでしょう。

 わたくしには、自然が知らせてくれ、多くの物を教えてもらった。何もないことは恥ずかしくもなく、自然への祈りと感謝があれば、生かされていることの有難さが分る。苦しみも嘆きも、幸せなことに気づけば、よろこび以外にはない。人間である前に生き物として、命を与えてもらったことに感謝。

 宇宙の彼方より帰し者。人類の偉さなど、微塵もない世界だ。自分は、何処から来て、何処に往こうとしているのか?あの阿修羅王の如く、時空を超え、幾多の世界を翔けて、尚さ迷う哀れな生き物。人間と言う無様な生き物は、地上を這うことしかできないのか。鳥は空を飛び、魚は海の中を泳いで。

 サンタさん枇杷葉と、りささんの枇杷葉の間の、枇杷の木の下に植えているのが咲いた。

 

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