何時ものことだが、事故が起きてから、色々と釈明する。餌を満足に与えてなくて、脱走した熊が人間を襲うのは当たり前の事。強風の中を走行していれば、自然の法則であればひっくり返る。至極簡単な、わかりきったことなのだ。
原発も、福島の事故が起きたのは、人類に対する神の警告。日本人は、懲りない面々が多い。それも損得だけの考え方。ごり押しをやる。無茶でもなんでもいいから、再稼動さえすればいい。と言う安易な思いだけ。
人類は、何もかも神の領域を超えて、自分たちにできると思い込んでいる。だが、何一つわかってはいない。自然のことがわかる等、思い上がりも甚だしい。宇宙を観て、その神秘さに感動し、圧倒されることもあっていい。
介護が仕事になって、介護職となり、お金を払っての、賃金をもらってのことになった。以前には嫁が面倒をみるのが当然で、どんなにしても、していない者から悪く言われた。今、父であったならば、母であれば。と接しているが、心は重たい。
枇杷葉茶を飲み、枇杷湯に浸かり、湿布をしての勤務だが、それでもめげてしまうことがある。そこは他人のすることで、娘や息子とは違う。ある意味、他人の方がいい場合もある。
何が正しく、何処が間違っているかは、本人にさえわからない。寄り添うことの難しさ。聴いていることの重さにも、時として空しさを抱く。答えがないだけに彷徨うのだ。満足のいく介護など、何一つもない。せめて穏やかに過ごしてくれれば。との祈りだけ。
昨夏、そこら中に放っていた枇杷種。その殆んどが発芽した。今年の冬には移植しよう。