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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

満月の夜なのに

2010年01月30日 | Weblog
 帰宅時、宇宙は曇っていました。暖かな春の夜半の温度です。やっぱり異常気象なんですね。なんと言いましょうか?緊迫感が薄れます。冬の特長は、あのキリッとした佇まいがいいのです。こんなに暖かいと、いつも休めの状態のようで落ち着きません。寒いのは苦手ですが、冬が嫌いではありません。

 日本の四季で、春夏秋冬であげるなら、やっぱり冬です。この季節の春を待っている期間がいい。私自身も、あらゆることに時間をかけて取り組んで、学ぶことをしていきたい。自然に任せた流れの中で、コツコツと積み上げていきたいものです。きっとそれは、お金にも成らず、誰かが気がついてくれるということでもない。自己満足でしかないのだけれど。

 でもよくよく考えてみますに、植物や動物が、そういった利潤を思いながらいるのだろうか?と言えば甚だ疑問です。人間のように誰かの役に立ちたい。とか、自分ではこうありたい等、一切ないのだ。人間だけが何だかんだとうるさいのだ。然も、本人の望まぬことを平気でやらかす。相手の立場になり、思考していく。ということは無視されている。

 私は常日頃、病気の告知はいらない。と想っている。それを知ってなんになる?しっかりと自分を見つめることのできる人は、何人おいでだろうか?死を宣告されて、心は千路に乱れ、平静さを保てるなど皆無に等しい。先日も書いたが、私には視える。だからこそ言えないし、言わないのだ。その命のある日まで、本人がどんな日々を送ったとしてもいいのだから。事実、知りながら言えないことの方が苦しく辛い。

 私自身には、覚悟はできているが、それでもその日までは大切にしよう。と想っている。ただ時折、私の命に代えても、助けてあげたい人もいる。そういった人には、さりげなく枇杷葉茶を薦める。でもこれが伝わらない。もどかしい。一日千秋の想いになる。それでもいつかは気がついてくれれば。と根気よく薦める。諦めることをしません。

 その気持ちが通じたときには、小波が起きたように心が騒ぐ。とてもうれしい。待った甲斐があった。というものです。私が幾ら枇杷葉パワーを贈ろうとしても、受け付けてくれない。全身全霊の祈りが通じることは、そうそうできることではないのですよ。滅多にしませんが、極珠に一心になってやってしまう。2~3日ひたすら眠りこみます。1週間は身体がぐったりとしています。

 最近は、その体験をしていませんから、そこまでする必要な方が居ないのかも。同時に金銭の授与はいたしておりません。自分の命と引き換えになるような危険さで、やってあげるほど性格はよくないです。自分の莫迦さ加減を知った。という方がいいかもしれません。貧乏暇なし。と言いますが然もありなん。大金を手にすると、性格変わってしまいそう。

 石灰を入れたら、例年の3~5倍花芽がつきました。枇杷葉の枝が撓って折れそうです。

 
コメント
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