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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

成人するという事

2010年01月11日 | Weblog
 世間は、一般的な成人のムードですね。皆其々に振袖を着て、式典に臨んでいるが、その衣装は、親掛かりか?はたまた爺婆がかりか。貸衣装か?今時は、貸衣装が流行であるし煩わしくなくていい。然し、思うのは本人の心の在り方。この世に生を受け、育んでくれた両親や、周りの大人たちへの感謝の気持ちがあるのだろうか?一人で大きくなったのではない。大なり小なり、世話をかけてきたのだ。

 そういった過程を跳び越えて、一気に大人になったのではなく、日々其々に思いあぐねて二十歳になったのだ。今日、生きていることを感謝しなくて、式典に参加できる訳がない。晴れ着を見せ合うことだけに、会場に行くのではない。ここまで育ててくれた親の想い、慈しみを思わなくて、何があろう。やがては自分も親になり、育むことを学んでいくのだから。

 私は、そういった心にも、また賑やかな式典にも無関心であった。苦痛であり、苦手であった。かといって家に閉じこもって居るのも厭で、友達はほしかった。自分と共通の話題があり、そのことで自信の持てる私でいたかった。でもまあ、SFが好きだったり、趣味は読書。なんてのは鼻っから相手にされなかった。

 親にも反抗的だった。家を飛び出すことばかり考えていた。成人式の煌びやかな式典には、そういった卑屈な心では参加できなかったんだ。娘には、着物こそ買ってやれなかったが、いつか着る事があるかも。と買っていたベルベットのワンピースで出席させた。全員着物だったので、ロイヤル・ブルーの洋装は、一際目立ったそうだ。娘の姿を見て、涙が零れた。

 人生の中で、花開くのが二十歳であろうか。だからといって、何時までも開いているのではない。次には、実を結ぶよう更なる努力が待ち受ける。自分とは何だろう?何処に向かっていくのだろう?迷い、悩み、考えて前に行くことは、辛いことの方が多いんだ。成功するより、挫折してしまう方が遥かに多いよ。

 却って、二十歳を過ぎた方が責任と言うのがついてくるから、ある意味生き難いようにも思える。自分を見つめることって、冷静でないとできないし。そうなると感情は今何処になる。成人式が、冬のきりっとした寒さの中で執り行われるには、大人への自覚に、目覚めてほしくてするのではないか?とも思うよ。

 大人にも、当たり前のことが自然にできている人と、いい加減で思わず首を傾げたくなる人もいる。そういった人とは、私生活では関わりたくない。また、私自身も相手にとって、厭な感じにならないよう気をつけたい。出る釘は打たれる。と言うが、出すぎたら引っ込みがつかなくなる。要注意である。

 玄関に活けていた枇杷の花芽が咲ききった。年末年始をとても佳い匂いをさせてくれました。水仙が咲き始めた。明日は活け換えよう。

 
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