
枇杷葉、大薬王樹・アミグダリン・核・仁などという表現には、枇杷のことを調べていくほどに、わからない言葉が出現する。
化学記号も出てくる。チンプンカンプンである。辞書だけではわからなくて、漢方書やネットで検索すると、多々な事柄が知り得られて、びっくりした。
自分の幼い頃に、なんら書籍などなかった時代に、祖母は誰からどうやって教わったのか?また、覚えていたものかと不思議であった。
量りにせよ、道具にしろ、高価な物は手に入らなかった時に、一体どうやってしていたのかしら?どんな物にも、薬用として用いる場合は、必ず副作用が生じてくるはずだ。
最初に試したのは・・・祖母自身か?いや、まてよ。祖父は胃癌で亡くなったと聴いている。写真でしか見たことのない祖父だが、ひょっとして、医者の処方箋の話から、祖母は聞き知っている薬草を、野山を駆け巡って集めていたのではないか。
何処に行っても、季節の折々に、鎌で刈り取っていたのが、鮮明に蘇ってくる。
実家の藪に自生したとはいうものの、それまでは近所にもらいに行っていたらしい話も聴いている。祖母は、我が夫の看病に、それらを用い、治すことができるならの想いから、一縷の望みを託して、していたのではないか・・・
蒔かぬ種は生えぬ。必要な時、手じかになければ、もらいにいかねばならない。亦急を要する場合には困る。
枇杷の実を、焼酎漬けにするのと、お茶と、発芽用とにして、プランターに入れたり、地植えにした。
これの左側にあるプランターの枇杷の木が、長崎の茂木で、全長3mくらい。
枇杷は9年で生り渡る、らしいが5年くらいで実をつけた。陽当たりがいいからか、有機肥料がよかったのか不明。
枇杷の木を、家の周りを囲むよう植えている。
風向きと、天空の変動があった。