title : Acer palmatum2
yyyy/mm : 2007/04
memo : 前景が野村楓、後景が以呂波紅葉(いろはもみじ)の、野村楓二枚組。同じ位置からの撮影でも、すっかり印象が違う。これは見本園で。以呂波紅葉の学名は、標識板には、「Acer palnatum Thunb.」とだけ。説明文中に、「モミジの名所・高雄の名をつけて別名をタカオモミジともいいます。」と。両樹とも楓科。
2007-0427-yis147
本当は添えて葬る形見衣
名だけ残ってただ悲しいわ 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○これも長い。「小式部内侍うせて後、上東門院としごろたまはりける衣を、なきあとにもつかはしたりけるに、小式部内侍とかきつけられたりけるを見て」。皇后さまか娘に賜った衣を、娘の形見として、そのまま母の私に下された。何年か経ってあらためて見ると、娘の名が書かれたまま。本来なら亡骸に添えて、朽ち果てているはずなのに、こうして衣とともにあの子の名が残っている。それを見るのは、何て悲しいことかしら。
¶としごろ(年頃)=「長年。長年の間。この何年もの間。数年来。」(旺文版『古語辞典』)
□和147:もろともに こけのしたには くちずして
うづもれぬなを みるぞかなしき
□悠147:ほんとうは そえてほうむる かたみぎぬ
なだけのこって ただかなしいわ
2007-0426-yis146
松原の白鷺までも驚くわ
夜中に精米しているなんて 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○これは長い前置。「石山に参りて侍りけるに、大津にとまりて、夜更けて聞きければ、人のけはひあまたしてののしりけるを、たづねければ、あやしの賤(しづ)の女(め)が、米(よね)といふものしらげ侍り、と申すを聞きて」。夜中、あまりに騒がしいから、起きて質すと、下層の女たちが、精米作業をしているというので。白鷺が琵琶湖岸の松原で寝ているだろうに、起きてしまうのではないかしら、心配だわ。以前の炭焼きを取り込んだ歌といい、この農婦に対する詞書といい、貴族階級の一般庶民に対する意識が、ここにもよく出ている。なお、江戸時代を迎えるまでは、職業分化は緩慢であった。
¶しら(白)げば=<一説に、夜が「白げ」に鷺の「白毛」をかける。>
¶さと=<「里」に擬声語「さと」(わっと)をかける。>(二項、新潮版)
¶とよ(響)みけり=『古語辞典』見出し語「とよむ」に、「響む、動む」が当てられる。「鳴り響く。響きわたる。大声をあげて騒ぐ。騒ぎたてる。」 派生形の「どよめく」「どよもす」は、現代語に残る。新潮版頭注によると、平安末期から濁音化した。
□和146:さぎのゐる まつばらいかに さわぐらん
しらげばうたて さととよみけり
□悠146:まつばらの しらさぎまでも おどろくわ
よなかにせいまい しているなんて
2007-0425-yis145
谷底で咲かない花は別にして
私の春は深い溜め息 悠山人
○和泉式部集、詠む。
○「なげくこと侍りけるに」。谷底の花が咲かないのは、当たり前。でも、春だというのに、この私はと言えば、物思いに沈むばかり・・・。
¶深く=「谷底」「物思ひ」に懸かる。現代詠も踏襲。
□和145:はなさかぬ たにのそこにも あらなくに
ふかくもものを おもふはるかな
□悠145:たにぞこで さかないはなは べつにして
わたしのはるは ふかいためいき