百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

ピアノが空を飛んだ

2009-04-18 21:48:11 | Weblog

  4月18日  (土) 
                       平成17年1月1日より 1,569日目
                                      歩いた歩数      その距離 
                        本日           16,975歩        11,883m
                        総計   22,094,561歩  15,466,193m
   フンジェラブ峠(国境)を越えてパキスタンに入るイスラマバードまで後 305,346m

            
                   クレーン車が到着

             
                                      ピアノ 空高く

             
                        アッという間に3階に 

  足場を造っただけで帰ったBさんは「明日朝8時半にピアノを運びます 」と言っていたが、7時半には大型のクレーン車がやって来た。運転手に聞くとBさんから頼まれて長野からやって来たという。ピアノ1台を移動するだけだのに大袈裟だなぁと思ったが、不況で仕事がないという。

 8時半には二人のピアノ扱いの本職がやって来た。何処からどうやってピアノを運び出してどうやってクレーン車が吊り揚げるのかお手並み拝見とデジカメを構えた。

 旧宅の居間のガラス戸を取り払った後、二人の職人は太いベルトでピアノを吊ってベランダに運び出してきた。ベランダの手摺にクッション用のマットを着けると、クレーン車からワイヤーが伸びて来てピアノを吊りあげた。大屋根まで吊った後、向きを変えてあっという間に空高く吊り揚げ、新宅の上を飛び越して大通りの足場の上まで運んだ。その間数秒。クレーン車の仕事はこれで完了。帰り仕度を始めた。

 3階の部屋の大窓はB建設の職員が外してあった。そこから部屋に入れようというのだ。大窓とピアノの高さの差は数センチしかない。ピアノの職人は部屋に角材を大量に運び上げて窓の高さまで積み上げた。足場に下されたピアノを少しづつ部屋に引き入れて来た。一人が部屋の中に、一人は足場に居て、慎重に慎重に移動してゆく。そして遂に角材の上にピアノは乗った。まさに職人技だ。

 私はピアノが部屋に入ったのを見届けたので、お茶の用意を妻に頼むために部屋を出た。暫くして部屋に戻った時にはパパの指示通りにピアノは納まっていた。お茶の用意が出来たことを知らせに下に降りて行った時にはクレーン車は居なかった。

 午後にはB建設の皆さんが足場を取り去ってくれた。近所皆さんから足場を組んで何をするんですかと聞かれたが「ピアノを動かしただけ。もう終わりました。」と答えると狐に化かされたような顔をされた。


足場を組んでピアノの移動

2009-04-17 18:48:32 | Weblog

  4月17日  (金) 
                          平成17年1月1日より 1,568日目
                                       歩いた歩数      その距離
                          本日          14,676歩        10,273m
                          総計   22,077,586歩  15,454,310m
    フンジェラブ峠(国境)を越えてパキスタンに入るイスラマバードまで後 317,229m

             

  朝からB建設の皆さんたちが足場を組み始めたので、これを見た友人や近所の皆さんが来ては「何を又始めるんだね?」と聞く。「ピアノを移動するんで…」と答えると大概の人は唖然としていた。飯山言葉で「ぎょうさんねえ!」話だ。

 私もそう思う。雪が消えたらピアノを新宅へ移動する約束だったのでBさんがやってきて移動の検討に入ったが、ピアノは2階と3階の階段を通過することが不可能と断定。パパとママに「ピアノはクレーンで吊って旧宅から外に出して、道路側に足場を組んで3階の窓枠を外して部屋に入れる」という移動方法を説明了解を得たようだ。

そして4月17日足場を組み、18日クレーン車で運び出すという計画書をもって来た。一体それ程の経費を使ってまでして3階の部屋に据え付ける価値があるのか私には判らない。第一、ピアノを弾ける貴ちゃんは先月お嫁に行ってしまっている。置いて行った貴ちゃんの形見の心算かもしれない。貴ちゃんを思い出す為なのかもしれない。親子の情愛の深さに私の嘴を差し挟む余地はない。


N先生の米寿の祝い

2009-04-16 18:50:06 | Weblog

 4月16日  (木) 
                       平成17年1月1日より 1,567日目
                              歩いた歩数    その距離 
                        本日         16,308歩         11,416m 
                        総計   22,062,910歩  15,444,037m
   フンジェラブ峠(国境)を越えてパキスタンに入るイスラマバードまで後 327,502m

  小学校で一緒だったN先生の米寿を祝う会を教え子達が企画しているという話を我が長寿会のKさんからきいたので、「懐かしいなぁ!N先生は88歳に為られたか!私もお祝いの会に参加したいなぁ!」と頼んで置いた。

 夕餉の席に着いて居ると、Kさんから電話が入った。「夕飯はお済みですか?」「いやこれから・・・」「実はN先生のお祝いの会の話で行きたいのですが・・・」という。口ごもりながらの話に吉報ではないと感じたので「電話でイイよ」と答えた。話は、私の意向を伝えて同席をと頼んだが、クラスメートだけで、N先生を囲んでこじんまりとやりたということになった、との事。

 私は、斑尾のホテルで開かれた同年会でN先生と逢って以来、お目に掛かって居ないので無理な話をしてしまったのだが、反省をして、先生の米寿を祝う文と記念品をKさんに託すことにした。

 あの時、貴方は今何をなさって居ますか?と尋ねられたので「今、中国に行ってボランティア活動をしています。とっても充実しています!」と答えた。そしてつい口を滑らして「中国政府から勲章もらった!」と言ってしまった。先生は驚いて、「勲章見せて!」と言った。その時のことを思い出してKさんに“勲章”も託そうと思っている。

 


橋の上に白樺が

2009-04-16 08:27:04 | Weblog

  4月15日  (水) 
                          平成17年1月1日より 1,566日目
                                       歩いた歩数      その距離 
                          本日          14,623歩        10,236m 
                          総計   22,046,602歩  15,432,621m
    フンジェラブ峠(国境)を越えてパキスタンに入るイスラマバードまで後 338,918m

               

               

               

  毎日歩いている中央橋で白樺の木が生えているのを見つけた。白樺は今年なって生えた訳ではない。私が気がつかなかっただけだ。3~4年生と思われる。とするとどうして何年も気付かずに居たのだろう。橋の上にはコケや草が生えても樹木が生えることなど考えられないから見逃していたのだろうか?

 この白樺、何処から来たのだろうか?白樺は雌雄別花で風で受粉するというが、飯山平に自生してはいないし、受精した種が遥々山手からこの盆地の中央を流れる千曲川までどうやって舞ってきたのだろうか?判らない事ばかりだ。

 念を入れて探して見ると、柳と思われる木はかなり数えられるが白樺は一本だけだ。これも不思議だ。これから何年も経てば木肌が白くなるなるかもしれないが、そのころには中央橋は新しい橋に掛け替わることになっているし、それまでに歩行の邪魔になれば切られてしまうだろう・・・。なんて白樺の先々を案じながら橋を渡って来た。今日は飯山市日中の会計監査の日だ。

  


老燃教室

2009-04-14 18:37:44 | Weblog

 4月14日  (火) 
                        平成17年1月1日より 1,565日目
                  歩いた歩数    その距離
                        本日          17,270歩         12,089m
                        総計    22,031,979歩  15,422,385m
    フンジェラブ峠(国境)を越えてパキスタンに入るイスラマバードまで後 349,154m

   昨日まで続いた快晴も今日は全国的に雨降りと天気予報は伝えている。今朝は洋傘を持って歩き始めたが、道は雨で濡れては居るので傘をさして行く人にもあったが、私は傘を持ったまま歩いた。中央橋を渡って木島側の堤防を行くと、葦の刈り取られた所に雉の番いが餌を啄みながら歩いている。此処は禁猟区、雉もそれを心得ているのか、私がカメラを向けても飛び立つ様子もなく、悠然と歩いている。オスの雉をねらってシャッターを切っている間にメスを見失ってしまったが、飛び立った様子もなく、芦の中に溶け込んでしまったようだ。

             

  午後市の公民館に出掛けた。「今年は老燃教室に参加すること力を入れよう!」と会員に呼びかけて来た手前、率先して参加しなければならない。歩いて行く中で、我が町の会員には逢うことも無かったので少々心配だったが受付で記帳して居て、私を含めて8人の名前を見つけホッとした。

 老燃教室は今日が初日で、初日に出席しないと今年教えて貰う歌詩が貰えない事を念を入れて説明して来たのを判って呉れたのを知って、腹の底から喜びが込み上げて来た。

  初回の講義は公民館長がするのが恒例になっている。壇上に上がって来たのは天満宮の講長の辞表を出した出来そこないのM氏ではないか。公民館長に就任することを要請されたが適任ではないと固辞したがどうしてもということで引き受けたがどうかよろしく…などと挨拶したが、先の地位からの天下り人事としか思えず、聞く耳を持たなかった。

  歌の時間はベテランのT先生の指導。「春風」「春が来た」「春の小川」「春の唄」「北国の春」など誰もが知ってる懐かしい歌の斉唱だが、作詞家・作曲家の意向を酌みながら、力強く、囁くごとく、流れるように、などと指導されて、良い勉強になった。

 次の30分は「カラス踊り」音響装置の操作が上手くゆかず、公民館の係が右往左往して時間を費やしてしまい、踊ったのは半減したが、久しぶりの踊りで、動作が遅れ、足がふらついたりしてリズムに乗るのに一苦労したが、一汗かいて身も心もふぐれて、大いに若返った気分を味わった。

           

 そのあとの30分は「おしゃべり会」お茶を飲み、お茶菓子・持参の漬物なので四方山話。我が町の初めて参加して呉れた会員には新鮮で若さを満喫できた意義ある一日となったと思う。次回の参加を大いに期待したい。