百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

k女史の引っ越し

2010-06-05 18:49:25 | Weblog

  6月5日  (土)  ①
         平成17年1月1日より 2,014日目
                  歩いた歩数       その距離
         本日       15,008歩         10,506m
         総計  27,825,362歩  19,477,753m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後218,554m

                  
          裏庭の孟宗竹の筍が伸びて来て親をも追い越しそうな勢いだ。

 永い間、区の長寿会の婦人部長をやって呉れたK女史が今日、小学校の脇のマンションに引っ越した。このマンションは市営で、空き部屋の在ることを知った民生委員さんが申し込んで呉れたのだと聞いた。ところが市営なのでくじ引きになるというので、あまり期待はしていなかったのだが、運よく当っての引っ越しとなったのだ。

 もう半世紀も前の話、私が本町から神明町に引越して間も無く、公民館にK夫妻が住み込みの管理人となった。家賃も払わず電気料の無しで住めるなんて何とイイことだらうと羨ましがったが、Kさん夫婦来てからは館内は綺麗に整理整頓されたし、庭には花も咲き、トイレは見違えるほど綺麗になった。盗難や火災の心配も無くなり、会合を報せて置けば会議場の設営までやって呉れた。

 Kさんが住んで呉れたことを区民は挙って歓迎し、感謝して居た。しかし利用する区民の中には、夜遅くまで酒を飲む者、後始末のふしだらな者、煙草の火の不始末などもあって、Kさん夫婦を困らすこともしばしばだった。困った夫婦は区長に何かと苦情を説明し改善を要望するようになった。

 その中に不始末を起こした利用者に直接話をしたり苦情を訴えたりするようになり、厳格なKさんの管理に着いていけない区民からは煙たがられだした。どっちが主導権を持って居るのか判らなくなって来た。区民はKさんから公民館を借りて使わせて貰っているような関係にまでなって行った。

 やがて数十年が経ち、Kさんの主人が亡くなり、充分な管理の出来なくなったKさんはお宮の近くに一軒家を借りて引っ越した。前の家の母ちゃんが亡くなり男手一人となったのを見るに見兼ねて家計の手伝いをするようになった。そんな二人を近所の人たちは何かと噂した。

その頃から私の家にも出入りするようになった。遊びに来るときは何かと手土産を持って来た。再三空手で来るよう頼んだが聞かなかった。私が長寿会の会長になってからKさんに婦人部長をお願いした。そして私たちのつき合いは益々深まって行った。そんなある日、「電話が通じなくなった」と言った。

 電話が通じなくなったのは故障ではなく、電話料が不払いになったので、切られたのだと判った。わたしは此処で改めて、『お店で買ったものは貰わない」ときっぱり宣言した。何十年も公民館に居て夫婦で稼いだので結構な財産があったのだが何時のまにか使い果たし、お店からも借りて買い物をするようになって来た。

 気のイイKさんは前の家の面倒を見て手元不如意になったのだろう。心配して呉れた民生委員さんの手引きで市のマンションに入れることになって、心機一転生活が変わることになってホントに良かった。

 僅かな餞別を持って妻が行ったが、Kさんも弟夫婦とお別れの挨拶にやって来た。孤独な生活になるのは寂しいが腐れ縁が経ち切れて、これからは年金で優々と暮らせる事だろう、暖かなマンションで雪片付けも無しで楽々と過ごせるだろう、良かった良かったと思っている。

 

 


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