8月20日 (月)
平成17年1月1日より 962日目
歩いた歩数 その距離
本日 13,672歩 9,570m
総計 13,444,490歩 9,411,143 m
北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 338,007m
終戦になって間もなくの事、何処から指令が来たのか、誰が発案したのか、どういう理由かわからないが隊員全体が1階級進級した。中には2階級特進した者も居たようだ。となると、兵長は伍長に、准尉は少尉に任官することになるが、そこまでは知らない。
兎に角、私は一等兵から上等兵に進級した。戦争が終わってから進級しても何の意味もないと思っていたところ、この進級した階級で退職金が支給されることになったのである。負けた日本軍人が退職金を貰ってめでたく凱旋なんてあって良いもんだろうか?それが行われたのです。
私は上等兵で、月10円の計算で、退職金が12ヶ月120円。それに3か月分30円が旅費手当てとして加算され合計150円が支給された。こんなうまい話があるだろうか。誰も異議を申し立てるものはない。しかし良く考えてみると、ペイペイの兵隊に退職金を支給したことで、敗戦の責任を取るべき職業軍人が首になるのだから退職金をゴソッと貰う口実が出来たことだ。
これは全将兵に支給されたのだろうか?そうは思えない。日本内地の安全地帯に居た者だけか?いや、命令指揮系統の確立した部隊だけだろうか?まさか松本の部隊だけではあるまい。「俺たちの部隊では進級だの退職金貰ったなんてことはない」「進級なんてなかった」「12ヶ月も退職金は貰わなかった」という方、ご意見の有る方が居られたらコメント下さい。
仮に軍人さんにもれなく退職金が支払われたとなると
巨額な金額ですね。混乱した終戦時、一体財源はどうしたのでしょうか?敗戦直後、軍が溜め込んでいた「物資」を兵隊仲間でてんでに山分けして持ち去ったという話はよく耳にしました。
私が20代の頃は、身のまわりに戦争帰りの人たちが沢山いて、さまざまな場面で体験談を語っていました。気がつくとすでに10年、イや20年近く、雑談でも戦争体験を語る人は周りからいなくなりました。
貴重で興味深い実体験をお聞かせいただき感謝してます。汎