百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

明日の講演の構想は

2011-02-26 23:54:46 | 随想

   2月27  (日) 
          平成17年1月1日より 2,249日目
                  歩いた歩数        その距離
          本日      14,918歩      10,443m
          総計   31,776,638歩   22,243,647m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後758,737m

 明日28日飯山庁舎で長寿社会開発センター北信支部の【高齢者の地域活動の推進】と言うことで「エイジレス・ライフ実践者」として意見発表をして欲しいと頼まれていた。構想が纏まらないまま、いよいよ迫って来たのでこんな風に纏めてみた。

 自己紹介の後、アイホーン4を示して、持っている者が居るか?名前は知ってるか?どんな機能があるか?と問いかけてアイホーンの多機能ケイタイの機能を紹介する。これを活用して大学入試でカンニングをした者も出た。ニュージーランドの大地震では引率の先生が、富山県の兄に知らせて数少ない救助に貢献もした。私は物好きでこのほかにも常時デジカメ・ラジオ・歩数計を持ち歩いてる。また区内の老人クラブ・末広会公民館の26パソコン同好会・吹き矢のチーム的・飯山市の日中友好協会・NPO日中友好日中友好育英基金。変わった所では滋賀県人会にも入っている。大変な物好きだ。

 私は誰からも「父ちゃん」と呼ばれているが、好奇心が旺盛だからだ。【好奇心の衰えた人を老人と言う】が高齢者は常にもっと好奇心を持ち続けて欲しい。これがいきいき人生の原動力だ。また、この携帯電話が、世界の独裁政権を打倒する最大の武器として役立っているが、将来の歴史家から、これが21世紀の最も強力な文明の利器と評価される時が来るのではないか、と語りかけたい。話題を変えて、昔同級生に作ってくれた背広の話をし、中国の日本語を勉強している学生たちにこの背広が着られるのは青年時代と同型だからだ。それは【歩いて世界一周】を休みなく継続して来たからだ。「やればできる」と上杉謙信の詩の精神を講演、女子学生からサイン攻めにあった話をする。

 結論として、拾年ごとの夢のある目標の設定。後期(光輝)高齢者の話。年金に対する新しい発想と、残り少ない人生を、健康に留意し、常にプラス思考で、世のためヒトノために尽くそうと話し、締め括ると決めた。

 


2・26事件を想う

2011-02-26 18:18:36 | 随想

  2月26日  (土) 
          平成17年1月1日より 2,248日目
                  歩いた歩数        その距離
          本日      15,675歩      10,973m
          総計   31,761,720歩   22,233,204m
  イラン・トルコ、ギリシャを経てイタリアシシリー島のカタニアに向かう。後769,180m

  昭和11年2月26日、私はその時西神田小学校の5年生だった。この朝、東京は珍しい大雪で登校したが、クラスの児童は少なく、不安げに話をしていた。「内閣総理大臣が殺された」と言うのだ。そして先生から休校を言い渡されて家に帰って来た記憶がある。

 家に帰ると、大渕菓子屋の兄さんが【近衛兵が土嚢を積み上げて宮城を守っている。見に行かないか】と誘われ竹橋へ行った。土嚢の上には機関銃が据え付けられていて、兵士に帰るよう怒鳴られた。殺気立って居た。夕方には駿河台の方にも軍隊がやって来て戦いが始まるかもしれないからコンクリートのビルの裏に隠れるような事も言われた。えらいことになったとは思ったが何か心は躍っていた。これが2・26事件の思い出だ。

 2.26事件を検索すると「反乱軍となった青年将校率いる近衛兵の行動を善とする見方と悪とする考え方が錯綜していて、当時軍部の皇道派と統制派の争いであるとか、新興財閥と三井三菱ら大財閥との闘争であるとか、いう議論もあって真相や正邪は未だ霧の中のようである。ただ言えるのは【皇道派の青年将校らがクーデターを起こして、当時の政治を司どっていた指導者や財閥を排除して天皇親政の理想国家を興す】ことを目指したが、逆に天皇から反乱軍と認定されて挫折し、処刑されたのが実情だ、と思うがどうだろう。

 先年、和歌山県のミカンの取引会議で偶々秋田県の市場の役員(専務級)にあった時、【私は2・26事件の時、近衛の新兵だった。非常呼集で武装して出兵したところ反乱軍とされ、事件後北満の僻地に転属させられて死に目に会った。中隊の大多数は帰らぬ人となった。」としみじみ述誡された。それにしても九死に一生を得て、よくも市場の重役にまでなったもんだと感心した覚えがある。