百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

六斎市で

2010-10-16 18:09:12 | Weblog

  10月16日  (土) 
           平成17年1月1日より 2,147日目
                   歩いた歩数        その距離
           本日      14,973歩      10,481m
              総計   29,768,245歩  20,837,772m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後470,788m

  明けゆく空

  夏の早朝ウォーキングの惰性で5時には出発準備ができるような体内時計になってしまったらしく、どうしても目が覚めてしまう。お宮の登り口はまだ暗いので、街灯頼りで町内を歩いて西回り線に出た。何時も出会う赤いセーター着た女性にも会わずに折り返した。南校から見た東の山々、そして明け行く雲に心の夜明けを感じた。

 午後、チラシを見て【六斎市】に出かけた。チラシに「みんなで楽しく遊ぼうよ!」に「ベイゴマ」【めんこ】【バルーンアート】【わりばしでっぽうを作って射的をしよう!】とあったので、べいごまに挑戦したくなった。

 神田に居た頃、おっかさんから小遣いを貰ってはべいごま買って仲間になったが、生来の不調法で江戸っ子のすばしっこい手合いには勝てず、いつも二~三分でべいごまは取られていた。悔しいが後は日が暮れるまで子供たちの勝負を見てるばかりだった。「つっかけ」「しっけん」なんていうやり手の言葉は今でも覚えている。

 飯山では、べいごまを一度も見たことも触ったこともなく過ごした。鉄心の入った木のこまでただ廻して楽しむばかりで興味も湧かなかった。大人になって料理屋で「ばい貝」を見てその巻き方から若しかすると「ばい貝」は「べいごま」の語源じゃないかと想像したりして懐かしんだ。

 ぶらり広場に近づくと、客寄せのスピーカーが威勢よくがなり立てて居たが、広場に屯していたのは子供ばかりで、その数も少なく、貧寒としていた。べいごまは置いてあったが、床もなく誰も居なかった。傍で割り箸鉄砲の作り方を教えている若者に声を掛けてべいごまを借りた。彼は私の名前を呼んで驚いていた。私がべいごまを廻すとは思っても居なかったのだろう。

 紐に作ったこぶの間合いが広くてこまに巻くのに骨が折れたし、堅く巻けず、勢いよく投げると、こまは廻らずに飛んで行ってしまった。そこで紐の間合いを減らして挑戦すると何とか回った。更に間隔を少なくしてかたく紐をまわして投げるとやっと見事に廻った。念願も叶ったし、面目も施したのでこまを返すと、「まわりましたネ!俺はどうしてもまわせなかった。」と言って受け取ってくれた。

 それにしてもこれじゃいつまで【六斎市】が持つか心配だ。