百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

終戦記念日に想う

2010-08-15 18:35:15 | Weblog

  8月15日  (日) 
         平成17年1月1日より 2,085日目
                  歩いた歩数    その距離
         本日         13,870歩       9,709m
            総計   28,829,988歩  20,180,992m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後1,127,567 m

   1945年の今日、私は松本連隊の営庭に整列して玉音放送を聞いた。松本の部隊は広島に投下された特殊爆弾(原爆)の破壊力に驚いて周囲の山中の小学校に分散展開して居た。留守を預かった私は通信中隊の無線班の一人から『日本は負けたであります」と13日の夜耳打ちされて居たので一応は終戦を意識して居たが、玉音放送で「万世の為に太平を開かむと欲す」のお言葉を拝聴して終戦を確信した。

 兵士たちは雑音が邪魔になって陛下の真意を会得するには至らなかったようだが、私の解説でやっと理解して呉れた。『古兵殿はどこの大学をでたでありますか?」と尋ねられ「高等小学校卒だ」と答えた覚えがある。

 その晩の隊内の対応は様々で、燈火管制用の布はそのままで、若い将校は日頃の態度が災いして古兵たちから痛い目に遇った者も居たようだ。

 あれから既に65年、無から立ち上がった私はサトイモの行商・リンゴの振れ売り・上越線沿線の卸から青果物の移出商となり遂に卸売り市場を建てるまでになった。そして合併を繰り返して地方卸売市場では5本の指に数えられる会社の役員になることが出来た。

 思えば廃墟の中から立ち上がった日本経済の復興の波に乗った感が無きにしも非ずだが、幸運にも此処まで辿り着いた事を感謝している。今は経済がやや沈滞気味だが安定して居て1行商人が卸業者になったり市場を創立するなど想像するだにあり得ない。今の若人に青雲の志を持てなどと檄を飛ばしてもなんの役にも立たないのかもしれない。

 65年良くも『平和』が続いたもんだ。『平和憲法』を作り『非核3原則』を守り、『攻撃的武器』のない専守防衛の『自衛隊』でやって来たが、果たしてこれでイイのだろうか?『竹島は日本の固有の領土である』などと子どもたちに教えていて、お隣の韓国の軍隊に占領されても手出しもならず、犬の遠吠えをしているばかり。『平和』は大切。有り難い国家だが、太平の夢を貪っている中で、周辺の国々は着々と国力を増強している。気がついたら手も足も出せないほどの差が出来てしまったではこれから日本を背負って立つ若者に申し訳がたつまい。

 来し方を振り返って、終戦記念日にこんなことで悩んでいるところだ。