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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

タバコ事始め(裏話11話)

2011-08-08 22:04:41 | 私の青春時代

8月8日 (月)  平成17年1月1日より 2,411 日目 
               歩いた歩数     その距離 m
本日     19,297 歩     13,508 m
総計 33,624,644 歩 23,537,251m 
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後  11,007 m
 

 「軍隊で”タバコを喫う者は手を挙げろ”と言われたら必ず手を挙げるように」と助言されたこともあって、手を挙げた。私は”一年繰り上げ徴集”で入隊したが19歳で未成年者だ。未成年者は喫煙してはならないことに なっているが、現役兵が未成年者かも知れないと疑う者は居なかったし、実際にタバコを喫わない者も見当たらなかったようだ。 

 タバコを喫わないからタバコが貯まる。物資不足の折りから軍隊にも酒保は開かれず、専ら公平に支給される。と言ってもタバコを喫わない者には支給されない。それでもヘビースモーカーは勿論平常なタバコ愛好家に十分喫える量が支給されるものではない。羊羹などの甘味品は全員平等だ。そこで、ヘビースモーカーは羊羹を食べずにタバコと交換することになる。

 私がたばこを喫ってる姿を見ないのを知った古兵が羊羹との交換を要請する。私は喜んで交換に応じる。分けて貰った者は良いが遅れて貰えない者は気分が悪い。「あいつはタバコを喫わない。あいつに支給するのは止めるべきだ」と露骨に言う者が出て来た。そこで自衛上私もタバコを喫わない訳にはいかなくなった。

 タバコを喫って、口から出すと、喫った鼻から出せという。鼻から吸って口から出すには一旦肺まで行かねばならぬ。さぁ大変!2~3回繰り返したところ、立って居られなくなってしまった。ベッドに横たわると体が地下に沈んで行く。停まる所が無い。真っ暗な奈落の底に何処までも何処までも落ちて行く。このまま死んでしまうのかと思った。

 タバコを止めようか思ったが、羊羹はうまい。羊羹など娑婆に居ては食ベられない嗜好品だ。あまい羊羹を食べたいばっかりにタバコを少しづつ喫い続けた。そのうちにタバコの煙は石炭の煙とは違う味だと判って来たし、喫ってもベッドに臥せなければならない程でも無くなってきた。

 有り難いことに、文句を言った古兵も羊羹と取り換えて呉れたし、タバコの欲しい古兵たちは私を別扱いにしてくれるようになった。夜の点呼で「手を出せ」となって爪の伸びた者はビンタを食うのだが、私は大目に見られた。タバコ様々と云うことになって遂に常習者になってしまった。

 

 


原爆と仁科博士(裏話10話)

2011-08-07 18:21:09 | 私の青春時代

 8月7日 (日)  平成17年1月1日より 2,410日目
        歩いた歩数         その距離 m
本日    15
,361 歩      23,523、743   10,753m
総計 33,605,347歩    

イラン・トルコ、ギリシャからシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 24,515m

 「原爆と仁科博士」という題で記事を書いたところ消されてしまったので、改めて書いて見た。

 仁科博士は、日本の核研究のオーソリティで大東亜戦争時は軍に協力して核爆弾の製作に心魂を打ち込んでいた。私は東京神田の共立講堂でその講演を聞いて、この爆弾が完成すれば連合国と講和ができる。日本は戦勝国になる、と信じた。

 昭和19年11月15日、松本聯隊に入隊した。飯山駅まで見送りに来た200人余りの小学5年生に最後の訓示をした。「今日本は危急存亡の迎えている。しかし君たちは脇目を振らず一生懸命勉学に励んで欲しい。君たちは日本の将来を担わなければならない大事な使命だ有るんだ。戦局は重大だが、間もなく素晴らしい爆弾が完成する。マッチ箱程の小さな姿で戦艦を轟沈する程の力を持って居る。これを物理学者仁科博士が作っている。これでアメリカをやっつけることができる。これも学問の力だ」と胸を張って語った。

 昭和20年8月6日、広島に【新型爆弾」が投下された。松本聯隊はこの知らせをうけて、【聯隊はこれより展開する】と言って、周囲の山中の小学校に疎開してしまった。私は新型爆弾は【原子爆弾】だと直感し、アメリカに負けたと思った。

 8月13日の夜、聯隊の営庭で夕涼みをしていたところ、通信中隊の無線兵から「衛生兵殿、日本は負けました」と囁かれた。私も彼も、中隊の留守を預かって残留していたのだ。

 広島の原爆慰霊碑前で原爆犠牲者の霊を慰め、世界平和を願い平和記念式典を行うが、ここで加害者はアメリカ・被害者は日本と決めつけるような印象を受けるが、日本は原爆競争に敗れたのであって日本も真剣に原爆製造に腐心していたことは間違いない事実だ。

 正しい歴史を伝えるために一言!

 

 


いいやま灯篭まつり

2011-08-06 17:10:23 | 私の青春時代

 8月6日 (土)のち  平成17年1月1日より 2,409日目
        歩いた歩数     その距離 m
本日    16
,485 歩       11,540m
総計 33,589,986歩    
23,512、990

イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 35,268m

いいやま灯篭まつり

 今日は県内各地で夏祭りが一斉に行われる日。嘗ては飯山も市内各地域から老いも若きも競い合って繰り出して踊りに沸いた時期もあったが、飯山のムードには融けきれぬ面もあったのだろうか、いつの間にか立ち消えとなってしまった。それが見事「いいやま灯篭まつり」として復活した。

 【祈り・絆・灯り~復興への願いを込めて】のテーマが見事に実現、落ち着いた飯山の雰囲気にぴったりの祭りとなった。実行委員会の皆さんの熱意に応えて、東日本大震災地へのメッセージを記した一万個の灯篭がメーンストリート一面に所狭しと飾られ夕闇の中にほんのりとした灯りがマッチして、いいやまの人の震災に遭われた人への心配りがひしひしと伝わるものがあった。

 実行委員会を引っ張った二人の兄弟は共鳴して支えて呉れた多くの関係者に目標達成の謝意を述べらたあと、今年の1万個を来年は3万個の灯篭にして飾りたいと抱負を語っていたが、落ち着いた飯山にぴったりの祭りと思うので、共鳴者に呼びかけて更なる発展を期待したい。


軍隊たばこ「ほまれ」が7銭(裏話9話)

2011-08-03 18:33:40 | 私の青春時代

 8月3日 (水)のち  平成17年1月1日より 2,406日目
        歩いた歩数         その距離 m
本日    14
,276 歩           9,993m
総計 33,542,899歩    
23,480、029

イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 68,229m 

                 
                            北畑リトルパーク

 早々と帰郷した古兵殿がにこにこと愛想よくやって来た。厳格で激しかった性格の古兵殿、娑婆の風に靡いてどことなく商人風情。娑婆の厳しい世相に揉まれて営内の無風状態が懐かしそう。四方山話が一通り過ぎた頃、「タバコが欲しいんだ。一本1円で譲って呉れないか」と嘆願状態。

 タバコは配給で、それも少なくて、1本のタバコを4~5本に切ってキセルで吸ったり、南瓜の葉や山から採って来たゴハの葉を干して刻みにして吸って居るという。余りにも深刻な様子にすっかり同情して班内の者に呼びかけた。

 玉音放送で「これは終戦の詔勅」と断言して名を売ったので、兵隊たちは私の呼びかけに答えて呉れた。さて幾らで渡そうという所でハタと困った。営内では「ほまれ」は7銭だ。20本7銭のものを1本1円で買うという。すると【ほまれ】一箱が20円になる。月給が10円なので、「ほまれ」一箱が二月分の給料では、古兵殿の足元を見たようで良心が許さない。でも「高い」に越したことは無い。

 鳩首協議の末、「7銭の原価だから1円でどうか?」と提案したところ、全員異議なく決定。古兵殿に伝えると、低頭百篇繰り返し繰り返し頭を下げて早々に引き揚げた。班内はこの有様に「主客転倒とはこの事か」と大いに沸いた。古兵殿は思った20分の1で買えたし、こちらは15倍にもなってめでたし!目出度し!となったが、娑婆は物資不足と闇相場でインフレ状態、其れにも気づかず軍隊内は無風状態・・・。 その位の差があった!


帰郷の一番は?(裏話第8話)

2011-08-02 16:09:18 | 私の青春時代

 8月2日 (火)夕立あり  平成17年1月1日より 2,405日目
        歩いた歩数          その距離 m
本日    15
,141 歩          10,599m
総計 33,528,623歩    
23,470、036

イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 78,222m 

 終戦になって真っ先に帰郷するのは誰か?戦時編成の部隊で軽身なら何時解散しても良いが、伝統ある部隊には引継すべきもの処分すべきもの保管すべきものなど山ほどある。何時誰が復員するか?どうやって選考するのだろうか?と心待ちして居たところ、「警察官を志願する者は即刻返す」という通達があった。

 成程、敗戦の中、軍紀も乱れ、娑婆の不安も増大している折から、これは適切な処理と合点した。我が中隊の兵隊からは北信出身のK君と南信出身のM君が手を挙げた。K君は郵便局勤務でM君は農協の技術員だ。知識の点では十分だろうと思ったが、日頃の勤務状態からは想像も出来なかった。順番を待って逐次復員して前職に着くべきだと思ったが、「即刻帰れる」という魅力には勝てなかったようだ。それよりあんな勤務態度の者が警察官になって日本の治安維持が全うできるのかと思った。

 それでも良くしたもので、K君は立派に職責を果たして定年まで勤めた。最後は地元に戻って駐在所に勤めていた。もっとも平巡査だったようだが、退職後は安全協会の職員もしていた。M君の消息は知らない。要領のイイ男だからきっと出世した事だろう。人生の転機なんてこんなもんなのかも知れない。