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百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

ためしてガッテン 腰痛の巻

2011-11-16 17:48:34 | 健康

11月16日(水) 平成17年1月1日より 2,520日目

         歩いた歩数          その距離

本日      1 5,302歩        10,711m

総計 35,132,516歩  24,592,761

墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後85,653m

        
                   山に雪がやってきた

 

夜、ためしてガッテンで腰痛の原因はヘルニアではない、という説に惹かれてのめり込んだ。

 

 腰痛は椎間板ヘルニアが神経を圧迫するために起こるものと信じていたので、手術さえすれば直るものと思って居たが、手術をしても直らない者やヘルニアが神経を圧迫して居ても痛みを感じない者も居ることから、腰痛の犯人はヘルニアとは限らない。その割合は85%もあるということが判ったという。

 

ならば、何が原因なのか?最近、脳に【側座核」というのがあって、痛みの信号を受けて鎮痛物質をだして痛みを和らげるのだが、慢性的にストレスを感じると、その作用が低下するために抑えきれずに激痛を感じるのだということが判った。

 側座核はまた快楽と関連する場所なので、自分の好きな食べ物や音楽などを取り入れることで、鎮痛作用が高まることもわかってきた、と例を挙げて腰痛患者の減少を見た、と。

 ストレスを減らし、快楽を増やそうと、患者の夫が子犬を与えたところ、痛みが和らぎ、楽しい生活に戻った例などを挙げたが、腰痛を劇的に改善する回復技は取材中との事で終わってしまった。いずれにしても「ためしてガッテン」を今後も注目したい。


「チーム的」の日

2011-11-14 22:53:35 | 健康

11月14日(月) 平成17年1月1日より 2,518日目
              歩いた歩数          その距離
本日      1 5,631歩        10,942m
総計 35,101,559歩  24,571,091
墺・伊国境ブレンナー峠を越えてミュンヘンに向かう。後107,323m

  吹き矢の練習は第2・第4の月曜日に行われるのだが、第2月曜日には中嶋先生の「健康講話」がある。博学の先生の講義を聞く度、いつも目からウロコの落ちる思いを感じるので、第2月曜日は万障繰り合わせて参加することにしている。にもかかわらず、今晩の出席者は女性2名と私の3人のみ。なんとも恥ずかしい。

 今晩の先生は「高血圧の話だが、正面から取り組むのも良いが今日は裏話から入ることにする」と仰って、調べて来られた資料を配布された。

 1992年 70歳未満の人で「180~100」の高血圧の患者は推計で7~800万人だったが、降圧剤を必要とする基準が次第に厳しくなり、1999年には「160~95」の患者は1800万人。2000年には【140~90】の患者は5000万人。65歳未満で「130~85」の者は7~8000万人と推定されるまでになって居る、と高血圧の基準を低くして来たので降圧剤を必要とする者は20年間で10倍にもなった、と話された。

その原因はなにか?先生は ①消費者の薬ばなれで試薬会社の収入源。それを補うためにガイドラインを引き上げた患者増。 ②更に大学改革で研究費が削減された大学が製薬会社との共同研究で、新薬の開発で薬価は10~20倍にもなった、と。

 その結果はどうかというと ①降圧剤を服用したものの方が服用しなかった者よりも癌の発生率が上昇したという。またプラシーボ検査では服用した者としなかった者は3年後には同率であった、という実験結果もあると統計で示された。

 先生は何を言いたかったのか?

「薬を飲まずに【け・つ・あ・つ・て・い・か】の7か条を示された。

 け=決してタバコは喫いません。
 つ=強い血管作りましょう
 あ=熱いお湯には入りません。
 つ=常に気分をリラックス。
 て=適当な塩分と、たっぷりな野菜。
  い=いつでも深呼吸を心掛けましょう。
  か=快眠・快便・腹八分。
※番外 酒=お酒は適量にしましょう。

 項目毎に、科学的に、医学的に分析解明されて、降圧剤に頼るより、日常の健康生活の大切さを強調された。この後3人は先生の模範演技の吹き矢を見、練習に汗を流した。

 


皮膚癌ではありません

2011-09-14 20:46:04 | 健康

   9月14日(水)   平成17年1月1日より 2,357日目
              歩いた歩数          その距離
本日
        12,183 歩         8,528 m
総計 34,180,538 歩 23,926,377m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 144,462 m
 

 私の額の右端に大きな痣がある。これは私のシンボルだ。昔の話だが、近くの開業医のO先生から「額の痣は若しかすると皮膚癌かも知れない。一度診察を受けて見られたら…」と忠告されたことがある。その一言は深く心に刻まれた。しかし改めて診察を受ける勇気にはなれなかった。

 先日iphoneで「痣と皮膚癌の違い」を見て「痣は平滑だが、皮膚癌の皮膚は盛り上がっている」とあった。手で触れてみるとその皮膚は盛り上がっていてしかもザラザラしている。それからは毎日触って見ては気にし出した。

 ママが、皮膚科の先生が診断結果をプリントまでして丁寧に説明して呉れた、と絶賛するのを聞いて私の心は動いた。

 わたしの説明を聞いた先生は拡大鏡で慎重に診ていたが、「これは油漏性角化症です。皮膚癌ではありませんょ」と言われた。今まで永い間、悩んでいた疑問が一遍に晴れた。【門を叩け!さらば開かれん!】

 ついでに、水虫の薬を処方してもらい、暑く礼を述べて辞去した。

 

 


活性酸素

2011-09-12 21:56:15 | 健康

 9月12日(月)   平成17年1月1日より 2,355 日目
              歩いた歩数           その距離
       本日 15,589 歩       10,912 m
総計 34,152,376 歩 23,906,663m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 164,176 m

今日は「チーム的」吹き矢の日。私は暫く家での試射をサボったので成果はでなかったが、講師先生から佐藤女史が4段、山崎さんが2段正式合格と認定され全員から祝福の拍手で沸いた。

 学習では【活性酸素】が取り上げられた。活性酸素と云う言葉はよく聞くが、健常者の日常の生活には直接関係ないものと考えて居たが、先生から「動物は酸素なしでは生きて行けないが、ピカピカに輝く鉄が酸素によって赤く錆び、やがてボロボロに朽ちて行くように、人間も例外なく活性酸素によって酸化されていくのだ。」と聞かされて、聞耳を立てた。

 活性酸素の仲間には一重項酸素・三重項酸素から始まってオゾンなどカタカナの名前の付くものが沢山あるとの話だったが、よく覚えて居ない。問題はその発生源だが、日常生活の中でのアルコールの過多・タバコ・過食からも、食品添加物・水道水・酸化した油からも、不安・怒り・恐怖の感情やストレスからも、また大気汚染・水質汚染・工場や車からの排気ガス・紫外線・放射線や農薬からも影響を受けると聞き、活性酸素による酸化の危険に常にさらされていることを認識した。

 健康体であれば、生体が効率よく防御機構を果たしているが、加齢とともに防御機能が低下し、また何らかの障害で本来の機能が果たせなくなると、DNAが酸化されて癌が発症したり、細胞膜が酸化して動脈硬化になり、脳卒中や心筋梗塞につながると聞いて総べての病気は活性酸素からかと驚いた。

さて、活性酸素から身を守るにはという話になって、「抗酸化酵素」の内容になった。酵素の名前は沢山出たがカタカナ文字で覚えて居ないが、補充の物質としてそれぞれの活性酸素に対応する名前が出て来た。

 ビタミンE・ビタミンC・カテキン・リコピン・ルチンなど聞いたことのあるもの、薬とは思って居なかったゲルマニュムセレニュウムそのうちにグルコサミン・コンドロイチンの名前が出て一斉に賑やかになった。健康食品と言われるものが効いた、効かなかった、効いたので止めた、止めたらまた痛みが戻ったのでまた飲みだした等々・・・

活性酸素の本題は何処に行ってしまったやら・・・ 

 


妻の快気祝い

2011-08-18 18:30:48 | 健康

 8月18日 (木)  平成17年1月1日より 2,421日目                                      歩いた歩数       その距離 m
本日       15,815歩
    11,071 m
総計 33,782,081歩 23,647、457

地中海シシリー島からイタリヤ半島ナポリを経て首都ローマに向かう。後212,083 m

 妻は「お盆には家に帰りたい。真ちゃんのマンション購入の祝金を渡したい。快気祝いは暑いからビールがいい。」と言っていたが12日願いが叶って退院できた。ビールの大びん20本入りは重くて私には荷が重すぎた。積み下ろしもままならぬのに、一人で玄関まで届けるのはきついので、パパの手を借りることにしたところ、快気祝いの挨拶は今日になってしまった。

 妻にも同行を求めたが、寝たり起きたりの静養中で無理も言えず、パパと二人で出掛けた。酒屋には快気祝いの用紙は用意されていたが、贈主の名前はこちらで書かねばならない。妻の名前を書いている間に重いビールはパパと店員さんが車に積み込んでくれた。

 快気祝いを持ち込んで妻の退院とお礼の言葉を述べると、お祝いの言葉と共に退院後の容態などを気遣って何くれと言葉を頂いた。お見舞いを頂いた皆さんの気持ちを汲みながらも先を急いで失礼したが、それでも全部は一日では配り切れなかった。

 暇乞いの挨拶をすると、キュウリはあるか、ナスは要らないか、などと声を掛けられ、馬鈴薯や夕顔やトウモロコシ・ズッキーニなどを頂いてきた。有り難いことだ。