もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

勇敢なる水兵とコロナ禍

2021年06月30日 | 軍事

 梅雨空の巣ごもり下で、軍歌「勇敢なる水兵」を聴いた。

 軍歌「勇敢なる水兵」に謳われているのは、黄海海戦で戦死した三浦虎次郎3等水兵の逸話である。
 三浦水兵は、1875(明治8)年に佐賀県佐賀郡東与賀村(現在の佐賀市)に生まれ、明治25年(17歳)に佐世保海兵団に入隊(5等水兵)、1894(明治27)年7月に始まった日清戦争には3等水兵(19歳)として連合艦隊旗艦「松島」に乗り組み、戦闘配置は下甲板前部弾庫員であった。
 三浦水兵が戦死した黄海海戦は、明治27年9月17日、連合艦隊が鴨緑江河口付近の黄海で清国の北洋艦隊を捕捉、激戦の末にこれを撃破した戦闘であるが、彼我の主力艦は次の通りであった。
 北洋艦隊はアジア地域では最大の戦艦とされた「定遠」「鎮遠」(排水量7,220t、主砲30.5cm連装砲を2基4門、舷側装甲305mm)を基幹とする最強の艦隊と称されていたが、連合艦隊は定遠級戦艦に対抗するために32cm単装砲1門を装備した装甲巡洋艦「三景艦(松島、厳島、橋立):4300t」を主力としたものの、主砲の操作性等が著しく劣っていたために連合艦隊の劣勢は明らかで、全国民が両海軍の帰趨に固唾を飲んでいた。
 三浦水兵は「鎮遠」から発射されたとされる主砲弾が「松島」に命中した際に重傷を負ったが、通りかかった副長の向山慎吉少佐に『まだ定遠は沈みませんか』と訊ね『心配するな。「定遠」は戦闘不能に陥ったと』いう副長の答えを聞いて微笑んで息を引き取ったとされている。
 軍歌「勇敢なる水兵(佐々木信綱作詞、奥好義作曲)」は黄海海戦の翌年の1895(明治28)年に発表されたが、逸話を新聞報道で知った佐々木信綱は感動して10節(昭和4年に現在の8節に改詞)の詞を一夜で書き上げたとされている。なお、初めて知ったことであるが、新潟県立新発田高等学校では現在もこの曲を校歌として採用しており、栃木県立烏山高等学校、兵庫県立兵庫高等学校の旧校歌もこの曲であったそうである。

 コロナ感染者数は再び大きな波を迎えようとしているが、後期高齢者に対するワクチン接種が加速したこともあって感染者は40代以下が大半を占めるようになった。一般的には、感染増の原因は緊急事態宣言解除や助蔓延防止基準の不備等の行政の不手際とされるが、本当の所は国民の「堪え性の無さ」「自己犠牲の欠如」であると思う。
 些か牽強付会であろうが、死生の如何よりも国の行く末を案じ・重んじた三浦3等水兵の千分の一・万分の一の気概を国民が持っていれば、歓楽街や観光地に出没する人は激減するであろうし、飲食業者は歯を食いしばってでも掟破りに走ることを自戒するであろう。


尾身茂氏を取り巻く環境に思う

2021年06月29日 | コロナ

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長の置かれた環境について考えてみた。

 尾身会長は、地域医療、感染症、国際保健などを専門とする医学者で、WHOでは西太平洋地域での急性灰白髄炎の根絶に成功する等の実績を上げられ、2019年以降は一貫して政府の新型コロナウイルス対策に参画され「公衆衛生のスペシャリスト」として折々の発言が注目されている。
 政府のコロナ対策専門会議は、当初医学者のみで構成されていたために感染拡大防止の医学的な視点・要求についてのみ提言していたが、コロナ禍が長期戦・総力戦の様相を見せ始めたことから構成委員に社会科学者・経済学者も加わり、以後は感染防止・経済活動・国民生活のバランスを考慮した提言に変化したものと理解している。
 尾身氏や委員にとって不幸であったのは、一国の感染予防の他に日本の国際的評価を左右しかねない東京五輪について矢面に立たされたことである。五輪開催に対する対策会議内部での討議は不明であるが、5月末には開催反対としていた尾身会長が現在では観客の抑制のみに主張を変えたのは、この辺の事情によるものかと考えている。
 かねてから、尾身会長の会見・発言については疑問に思っていた。それは、尾身会長率いる分科会は指揮官(総理)が採るべき複数の選択肢を提示して分科会が最適と判断した一つの方策を提言できる組織であって、決定できる組織ではないことである。いわば尾身会長は分科会と云うスタッフ機構の長で、軍事組織にあっては幕僚長、民間企業にあっては企画部長と呼ばれるものであるように思う。それ故に、分科会(幕僚・企画部)の提言を採用するか却下するかは指揮官(総理・司令官・社長)の判断であり、当然のことながら責任の全ては指揮官が負うことになることを思えば、先日の参議院厚生労働委員会で「東京五輪は、パンデミックの中で開催するということが普通でない」と述べたこともスタンドプレイ・越権行為であるとともに、国会が単なる幕僚に過ぎない会長を委員会に呼んだことすら異常に思える。

 幕僚の資質や提示案の巧拙は当然に論じられ、検証されるべきであろうが、それは作戦終結後が適当であるように思う。勿論、極めて危うい幕僚や組織は直ちに是正することは必要であるとは思うが、それは民意それも声の大きさに依るべきではないように思える。東京五輪に対する尾身会長の主張の変化に対して一部には“変節漢”なる言葉を使用する向きもあるようであるが、攻撃者は五輪とコロナ防御に関する諸要因の全てを客観的に分析した上での誹謗ではなく、単に自分の主張と相容れないことに怒りを発しているに過ぎないと思っている。
 幕僚組織が確立された近代の戦闘については、指揮官の判断のために多くの幕僚案が提示されたであろうが、毀誉褒貶は指揮官に対してのみ語られることが多い。
 栗田中将は何故レイテで反転したのか、南雲中将は何故ミッドウェイで雷爆換装に拘ったのか、それらの判断に至る幕僚の提案・判断の詳細は知られていない。


G7における韓国の副反応

2021年06月27日 | 軍事

 今回のG7における韓国の新たな副反応を知った。

 新たに報じられた副反応は、国旗の取り違えである。文大統領はG7後にオーストリアを訪問したが、訪問を紹介する政府のネット広報で韓国国旗と並んでオーストリア国旗とすべきところをドイツ国旗を使用したとされる。
 オーストリアは、第二次大戦に先立つ1938年にはドイツに併合されていたために、大戦中はナチスドイツのユダヤ人迫害の片棒を担いだ歴史を持っているので、国旗の取り違えは揶揄若しくは侮蔑とも捉えられかねないものとされている。さらには、オーストリアは戦後に米英仏ソに分割占領され、ウィーンはソ連占領地域であったもののベルリンと同様に4国に分割されたという朝鮮半島と同様の歴史を持っている。しかしながら、朝鮮半島ではイデオロギー闘争に名を借りた朝鮮戦争という主導権争いによって分断はほぼ固定化されているのに対し、オーストリアでは分断占領下にも拘らず社会党、国民党、共産党が連立して挙国一致の臨時政府を組織し、ドイツとの合邦解消を宣言することで占領4ヵ国から統一政府としての承認を得、更には、東西陣営の狭間と云う地勢的弱点を永世中立宣言という荒業を使用して1955年5月に漸くに統一国家としての主権を回復できた苦難をも経験している。
 また、李承晩韓国初代大統領の夫人はオーストリア人であり、因縁浅からぬ訪問も国旗の取り違えで些かに水を差さされた結末となったようである。
 国旗写真の間違いは単純ミス(あってはならないが)であったとしても、以前に発覚したG7参加首脳の集合写真で、菅総理を端に・文大統領を中央付近に置くために南ア大統領をトリミングして公式発表した行為は確信犯的のもので、流石の韓国メディアも批判したとされている。

 日韓二国間条約・国際法・国際慣例・国際儀礼などに頓着なく、偉大な韓国・反日を主張・演出する韓国の常套的手法は、在韓日本大使館前の慰安婦像や国際観艦式での自衛艦旗掲揚反対や李舜臣旗掲揚などでおなじみであるが、G7関連の副反応を見る限り国際的な評価を高めるよりも大統領権限に阿ることを優先する政治家・官僚の存在があるようにも思える。
 その行き過ぎの半作用であるのだろうか、次期大統領選候補には現政権の閣僚経験者が野党候補として名乗りを上げているとも報じられているが、金太郎飴的反日と積弊清算は引き継がれるであろうことから「同じ穴の狢」に匂いに満ちている。それにしても、国連事務総長でありながら中国の対日戦勝記念パレードに参列し、批判に対して「事務総長は公正ではあっても中立である必要は無い」とまで発言して韓国大統領を目指したはずの潘基文氏の名前が候補者に見当たらないのは良いことに思われる。


自律型致死兵器システムの使用

2021年06月26日 | 軍事

 リビア内戦で自律型致死兵器システム(LAWS)が使用された疑いが報じられた。

 疑惑は、リビア内戦を監視する国連安全保障理事会の専門家パネルが報告したもので、昨(2020)年3月頃に暫定政府軍が使用したとされている。諸情報を総合すると使用されたLAWSはトルコ製の無人小型ドローンであったようであるが、事実とすれば世界で初めてLAWSが戦闘に投入されたことになる。
 LAWSについては、世界各国で研究開発が行われているとされているが、未だ国際的には明確な定義や規制がないものの、地雷等と同様な非人道的兵器の範疇と考える人がいる一方で、兵士の死傷が局限されるために用法によっては人道的な兵器とする主張もあり、さらには、機雷のように100年以上も前から自動的に作動・爆発する機構を持っている兵器もあり、LAWSはそれらの発展形に過ぎないという見方も存在する。
 現在研究されているLAWSには、動く物体は何でも攻撃する物、顔認証を搭載して特定の人間のみ攻撃する物、敵味方識別システムで敵の兵器や兵士のみ攻撃する物と様々であるが、既に中国では無人戦闘機や無人潜水艦を完成させたとも報じられている。
 日本学術会議の軍事技術研究禁止を考えれば、LAWS研究は軍需企業以外では行われていないと思えるが、離島防衛には極めて有効な兵器システムにも思える。例えば、尖閣諸島の魚釣島にLAWS機銃を設置すれば不法上陸は阻止できるし、LAWSミサイルでは中国軍の着上陸を遅らせることが期待できるので、中国の直接行動への対抗措置である防衛出動の発令に時間を要するであろう現状から考えると、日本にとって極めて有効な兵器システムに思えるので、秘密裏であっても研究・開発を加速させて欲しいと思う。

 リビア暫定政府軍が使用したLAWSはトルコ製とされているが、トルコ以外の関与もあるように思える。国連から「正統なリビア政府」と承認されているトリポリの統一政府に対して、ベンガジを拠点とするリビア暫定政府は、エジプト等の中東諸国は公然と、ロシア・フランスは密かに武器等の支援をしているとされている。このことから考えるとトルコ製LAWSというのも、いささか眉唾に思える。武器先進国が、代理の勢力に開発中の先端武器を提供して実用実験の場とすることは、これまでにも数多く知られており、そのことから考えれば、今回使用したとされるLAWSについてもトルコの商標を付けたロシア若しくはフランス製であることも十分に考えられる。


広島の厳粛条例を知る

2021年06月25日 | 社会・政治問題

 広島市議会で厳粛条例が制定されることを知った。

 条例案は「平和推進基本条例」で、主として原爆の日に行われる平和記念式典を厳粛に行うため近隣の騒擾・騒音の局限を求める精神規定であり可決されると観られている。
 制定に至る背景は、記念式典にあわせて反戦・反核を標榜する「8.6ヒロシマ大行動実行委員会」を主体とするデモ隊のシュプレヒコールが年々激しさを増していることが挙げられている。同委員会の委員には中核派メンバーも含まれる極めて政治的な行動で、デモ参加者のシュプレヒコールは「核武装を狙う安倍は帰れ」や「憲法改悪絶対反対」、掲げる幟には「天皇制粉砕」もあると報じられていることは大きな疑問とするものである。
 平和記念式典にはサブタイトルとして(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)とされているように、被爆死者の慰霊を第一義とするものであることを思えば、原爆投下のアメリカ糾弾デモならばまだしも共感できるが、デモ参加者の主張は「アメリカの原爆投下は糾弾に値しないが、原爆投下を招く戦争を始めた日本が悪い」と云うもので、アメリカ至上を唱えるアメリカ極右者の主張に他ならないように思える。従来から平和公園内の碑文に投下者アメリカへの非難は無く「我々は戦争をしません」とあることの不条理さは指摘されていたが、デモ参加者の主張も同様であることを見れば、両者ともに東京裁判史観に裏打ちされた浅薄・安易な思想・思考であるように思えるし、特に、中核派の看板は泣いているのではないだろうか。
 本土決戦によるアメリカ軍人の被害予防としたアメリカの原爆投下は戦術的には既に必要でなく、トルーマン大統領が戦後における対ソ連優位誇示のための政戦略的使用であったことは定説となっており、糾弾されるべきは大量破壊兵器を弄んだアメリカであり、トルーマンでなければならないと思う。

 原爆が投下された1945年当時には大量破壊兵器と云う概念は無く、日本・ドイツに対しては軍事拠点攻撃を超えて絨毯爆撃という都市の無差別爆撃すら「戦意を挫くため」に行うという無制限戦争の様相を呈していたが、広島大本営と云う軍事目標があったにせよ、核実験で非戦闘員の危害程度を知った上で原爆投下を命じたトルーマンには東京裁判で使用された人道上の罪と同等若しくはそれ以上の罪に問われるべきである。
 広島市議会が反戦・反核よりも、日本的風習に添って「恩讐を超えて静謐に原爆死没者を追悼」したいとする条例を作ろうとするのは、原爆の日を意義あるものにする努力の現れであろうかと考える。