ウクライナ・モルドバ国境が緊張している。
これについてモルドバはウクライナから銃撃されたとし、ウクライナはモルドバ駐留ロシア軍が越境攻撃していると、それぞれ主張しているが、いずれにしても国境付近で武力衝突したことは確かであるように思われる。
この事態は、専門家には想定していた推移であるかもしれないが、北方のベラルーシ国境のみ注視していた自分には更なる事変拡大で、ロシアのソ連時代の版図回復は留まるところを知らないもののように感じられる。
モルドバを知らないので、ウィキペディアの解説を年表的に整理してみた。
・14世紀 モルダヴィア公国の一部。
・16世紀 オスマン帝国の属国
・1812年 ロシア帝国・オスマン帝国戦争の結果、ブカレスト条約により帝政ロシアへ併合
・1856年 ロシア帝国からモルダビアに返還、ルーマニア公国の一部となる
・1878年 全土をロシア帝国が支配
・1917年 ロシア革命。一時モルダビア民主共和国と呼ばれるロシア共和国の自治州
・1918年 モルダビア民主共和国として独立を宣言したが、同年末には議会の議決によってルーマニア王国に統合
・1924年 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のモルドバ人居住地がモルダバア自治共和国建国を宣言
・1940年 モロトフ・リッベントロップ協定でルーマニアはモルドバ人居住地ソ連へ割譲。モルダビア・ソビエト社会主義共和国が建国
・1991年 ソ連の崩壊に伴い、モルダビア共和国として独立したが、領内のドニエステル川東岸一帯は、1990年以降モルドバから離脱したトランスニストリア政府の事実上の支配下にある。
と纏めたが、九州と同じくらいの国土であるモルドバは、常に大国の支配下にあった結果、今でもルーマニアやロシアへの統合を希求する勢力があり、プーチンの「ウクライナ国内のロシア人解放」の主張が及ぶ危険性があるように思える。
モルドバはウクライナと同様にソ連の穀倉地帯であったために、1945~6年にはソ連の食糧徴発によってウクライナのホロドモールと同様に20万人近い餓死者を出したともされている。
ソ連は食料の供給地としてしかモルドバを位置付けなかったために、工業は育たずに現在もサービス業がモルドバ経済の中心となっており、一人当たりGDPではヨーロッパで2番目(1番目はベラルーシ)に貧しい国とされている。
大航海時代~第二次世界大戦終結まで西側諸国の植民地経営は、搾取・簒奪が主であったとされるが、ソ連の計画経済においては支配地域別の生産形態が衛星諸国に割り振られていたために、ソ連崩壊までベラルーシ・モルドバが富国・繁栄の方策を模索することが許されなかったばかりかソ連の簒奪に曝された結果であろうと解釈している。
ロシアのウクライナ侵攻を受けて、本年2月にジョージアとともにEU加盟を申請したとされるが決定には長時日を要するのが常であり、親露勢力・地域を抱えるモルドバが、単独で狂国ロシアの要求には抗しきれないことが明白で、ウクライナ事変は新たな局面と拡大に発展するように思える。