もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

歳時記の今昔(党首討論)

2021年06月10日 | 社会・政治問題

 本日は「時の記念日」である。

 購読している産経新聞のコラムと漫画が「時の記念日」を扱っているが、他のメディアはどうなのだろうか。少なくとも、漫然と眺めているテレビのニュースショウでは触れられていないようである。
 「時の記念日」は昭和60年代頃までは新聞・テレビで確実に報じられたものであったが、次第に報じられることもなくなって自分の歳時記では影の薄い存在となっていた。時の記念日の他にも「虫歯予防デー」「読書週間」「二百十日」「二百二十日」「八十八夜」「全国植樹デー」のように、一世を風靡したものの何時しかメディアから姿を消したものも少なくない。
 聞くところでは、1年365日何らかの「〇〇の日」があり、協会や組合を持つ業界には必ず記念日が設定されているようである。では、一部の歳時記が何故に世間から忘れられてしまったのだろうかを考えると、歯科医師が溢れて歯科治療は何時でもできるために虫歯予防デーは意義を失い、林業が衰退するとともに植樹した針葉樹が土砂災害や花粉症の原因とされることから植樹自体が根拠を失い、ということの他に、建国記念の日は歴史学会が懐疑的であり、台風は1年中発生していることが知れ渡り、気象庁が宣言して初めて梅雨を認めるというように、権威が認めたものしか信用しないという国民の意識変化も関係しているように思える。
 産経抄では、《「時の記念日」は大正9年に政・財・教の重鎮が立ち上げた「生活改善同盟会」が制定した》とされているので、欧米に倣って時間単位を基にした規則正しい生活普及が趣旨であったように思える。また6月10日としたのは《天智天皇10年4月25日に漏刻(水時計)が設置され時鐘が鳴らされたという日本書紀の記述を太陽暦に換算して》となっている。「時の記念日」が意義を薄れさせた理由は、列車ダイヤに見られるように日本社会における時間の観念は世界標準を遥かに超えている現状から、その使命を終えたためと云う方が適切であるように思える。

 薄れゆく歳時記について書いたが、新たな歳時記となるかも知れない事柄も存在し、その筆頭は「内閣不信任案」である。今や通常国会会期末の定番で重要法案の先送りを目的とする野党戦術であるが、既に重要法案の去就・処理が定まった今国会でも野党は恒例行事に拘って提出を模索している。もはや何の意義も見出せない不信任案提出は、桜には花見酒がつきものとする歳時記感覚であるように感じられる。
 一方、昨日2年ぶりに行われた党首討論こそ歳時記と捉えて代表質問に次ぐ高みとして通常国会の冒頭に置くことを期待するものであるが、政権交代の準備が整ったと豪語する最大野党の立民党首が開催に尻込みし、漸く開かれた昨日の状況は討論とは呼べない委員会質疑の延長的体たらくでは、歳時記昇格は絶望的であるように思える。