もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

相撲協会理事選と貴乃花親方

2018年01月31日 | カープ・スポーツ

 相撲協会の理事選が迫って、貴乃花親方と一門の動向が注視されている。

 貴乃花一門からは、貴乃花・阿武松親方の2名が立候補するのではと取り沙汰されている。一般的には、不祥事等で解任された人物が表舞台に復帰するためには、顕著な実績または或る程度の時間を必要とするものであるが、解任後1か月での復帰を目指すのは貴乃花親方の人気と人望によるものであろうか。相撲はいうまでもなく神事を源流とするを国技で、徒弟教育を基本とする相撲界は一般社会からは隔絶された閉鎖社会であるために、その実態が見えにくいものである。かって協会は、旧態依然とした体質改善のために種々の改革を行った。記憶にあるだけでも、星の貸し借りを防止するための部屋別総当たり制、相撲茶屋経営の明朗化、親方名跡の売買禁止等、既得権益がもたらす弊害からの脱却が図られている。貴乃花親方も相撲界の改革を標榜している(今日の報道ではHPに改革ではなく回帰と表明)そうであるが、具体的に"何を""どうしたい"のかについては一切語られていない。時代遅れと言われても仕方ないが、他人に倍する体躯を持つ力士が瞬発力を競う相撲と相撲界が、ある程度の神秘性を持つことは必要悪として容認されるべきであり、ガラス張りの相撲はSUMOUでしかないと思う。神事という概念、力士としての品格を捨て去ってスポーツとなってしまえば次に来るのは、体重別でポイントを競う競技となってしまうのではないだろうか。

 自分にとって相撲界は門外漢というべき世界であり、対立する協会と貴乃花一門のいずれが正しいのか、いずれが相撲の維持・発展に寄与できるのか判断できないが、理事選は対岸の火事ではなく日本の伝統・国技を維持するための選択と捉えて注目したいと思う。

 


電力と少子化

2018年01月30日 | エネルギ

 国際環境経済研究所理事の竹内純子氏の論を読んだ。

 原発と再生可能エネルギーの相関に関して、今まで自分は現在の電力需要を基に推論を重ねてきたが、少子化という要素を考えていなかったことを竹内氏は教えてくれた。氏は「全国6割の地域で2050年には人口が半分になり水道・道路等のあらゆるインフラが維持困難になり」、「送電網も例外ではない」と述べている。昨年の人口移動報告に依れが東京圏への転入者が転出者を11万人上回っており、政府が努力する地方創生が思ったほど効果を発揮していないことと併せて考えれば、地方の人口減少は更に加速度的に進行することと思われる。65歳以上の住人が50%を超える限界集落以上に区分される地区にあっては電力を含む公共料金収入がライフラインの維持費をはるかに下回っているものの、都市部の住民が差額を補填している現在の構図すら立ち行かない状況に陥ることは想像に難くない。インフラ維持が頓挫してしまえば、電気がない集落が現れることすら想像される。救済策は限界集落の住民を意に反してでも都市部に移住させるか、住民がインフラ維持を自己負担するか、再生可能電力を利用した自給自足に頼ることとなるのだろう。エネルギーの需給を小さなコミュニティに完結すればインフラも小規模なものとなりインフラ整備の破綻から逃れられるかもしれないが、短期間で限界集落が廃集落となった場合はすべての投資と努力が無に帰してしまう。都市部の電力需要は高い水準を維持する傍ら、人口減少の地域では需要が減少し続ける状態は少子化が解消されるまで続くのだろう。

 電力を含むライフラインの維持について、公共という概念を捨てて経済原則に任せるのか、高負担に耐えてでも互助を目的とする公共精神を持ち続けるのか。究極の選択を迫られる日も、そう遠くない将来にありそうである。自分も、原発問題に少子化の要素を投影させた上で、改めて考えてみたい。


春日野親方の報告について

2018年01月29日 | カープ・スポーツ

 春日野部屋での暴行事件が明るみになった。

 報道では春日野親方の協会に対する報告の有無と協会内部での処理の適否が論じられている。また、芸能人の不倫や離婚関係でも、当事者が冒頭「〇〇について報告します」との発言を良く耳にする。自分が育った海上自衛隊で報告とは「職務上の権限を有する者に自分の権限内で行った処置を知らせる場合に使用する」と定められており、事実を知らせる相手が例え上級者であっても職務上の権限を有しない場合にあっては報告ではなく通知という言葉を使用する。また、報告を受けた側は報告内容が正しければ容認し、不適正な場合は命令または指示という形式で是正させることとなる。主として電信のみで作戦に関する意思を共有しなければならない艦艇部隊にあって言葉は重要な意味を持っており、言葉は指揮管制と密接に結びついている。そんな事情と経験から、主権が国民にあるとして公僕たるべき公務員(議員を含む)が会見で報告という言葉を使用することは理解できるが、芸能人や企業主が会見で報告という言葉を乱発することに違和感を感じている。一国民として不倫の事実や企業の不祥事について報告される謂れもなく、報告されても何ら対応することがなく対応する必要を持たないと常々思っているからである。併せてマスコミは報告義務という言葉も多用するが、その殆どがマスコミ対応(発表)がなされないことに対する不満であるように思える。マスコミが国民の耳目の代理者であるとの主張は理解できるが、すべての事象についてマスコミに対する報告(?)義務を課すことは思い上がりというべきではないだろうか。

 以上の論から、内閣に属さない国会議員が各省庁の官僚に報告を求めることは間違いで、官僚は大臣・総理への報告義務はあっても、立法府に対する報告義務がないことを我々は知らなければならないと考える。


CIAの通信手法崩壊に思う

2018年01月28日 | 軍事

 CIA協力者(情報提供者)の通信手法が中露によって解明され、CIAのスパイ網が大打撃を受けているらしい。

 解明の発端はCIAの現・元職員による漏洩であり、その結果、中露国内のCIA協力者が相次いで拘束または行方不明となっているそうである。通信手法(情報の受け渡し法)は映画等では巧緻かつ複雑なものと描かれているが、今回解明された手法は極めて初歩的かつ幼稚なものであったとも報じられている。そのことはさておき、今回の事案は、防諜の根幹は諜報に関わる人の防諜意識や使命感であることを改めて教えてくれる出来事である。利によって誘った敵中枢の内報者によって内部崩壊を図ることは昔から存在し、内通者の裏切りや離反で強力な軍団や有意な改革が自滅・自壊・頓挫した例は数知れない。武田信玄は自領に強固な城郭を築くことなく信濃を統治・防衛したが、いみじくも「人は石垣・人は城」と喝破して、組織を守るためには堅牢な城(ハード)よりも家臣の忠誠・団結(ソフト)こそが重要としている。しかしながら、裏切りの主因が「利」であった中世、「資本主義・共産主義」であった20世紀はまだ防諜が比較的容易であったが、現在ではウィキリークスによる内部告発や前川喜平氏の行動に代表されるように「独りよがりの価値観・正義感」が主因であるように思えるので、完全な防諜は極めて困難であると思う。

 日本にも特定秘密保護法や公務員の倫理規定により情報漏洩の罰則が定められているが、罰則だけでは十分ではないように思える。諜報に関わる人のみならず全ての国民に対して、国家/国民の保全と安寧を保つ思考と行動を学校教育に盛り込む時期に来ているのではないだろうか。


トランプ大統領の変質

2018年01月27日 | アメリカ

 トランプ政権が、TPP交渉復帰を示唆した。

 トランプ大統領は、大統領選前から一貫してTPPのような集団的な枠組みを嫌って、経済・外交・軍事を含むすべてを2国間協議で行うことを明言してきた。そこには彼のビジネスマンとしての成功体験が背景にあるものと思う。ビジネスの世界ではあらゆる手段を駆使してでも勝利することが全てであり、競合他社とWin Winの関係を築くことなどトランプの辞書にはなく、トランプ王国を形成する会社には日本のゼネコンのように、競合他社との共生を目指す仕組みはないのではないかと推測される。2国間協議では交渉術と恫喝等の手段によって、相手国には不利な条件で解決を図ることが可能であり、自動車をアメリカが輸入する場合を例にするならば、ドイツからは2%の関税で、日本からは20%の関税で、というように相手国との力関係によって二重・三重の基準で決定されることすら予想されるものである。これは、大航海時代以降に先進国が砲艦外交によって後進国に不平等条約を押し付けた手法に等しく、現代社会では容認できないものと思う。今回のTPP交渉復帰示唆の背景には、トランプ政権内部でウオール街出身の国際派が台頭したことにより、集団的な枠組みに参加して各国と平等な関係を築かなければ、アメリカが国際的な信義と指導力を失うであろうことを大統領自身が自覚した結果であるならば幸いと思う。

 トランプ政権が経済的な枠組みでは集団的な協調関係に復帰したとしても、中国・北朝鮮問題ではいまだに2国間協議での解決を捨てていないものと思う。頭越しの解決で日本がバスに乗り遅れないためにも外務省の奮起を期待するところである。