もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

広島の厳粛条例を知る

2021年06月25日 | 社会・政治問題

 広島市議会で厳粛条例が制定されることを知った。

 条例案は「平和推進基本条例」で、主として原爆の日に行われる平和記念式典を厳粛に行うため近隣の騒擾・騒音の局限を求める精神規定であり可決されると観られている。
 制定に至る背景は、記念式典にあわせて反戦・反核を標榜する「8.6ヒロシマ大行動実行委員会」を主体とするデモ隊のシュプレヒコールが年々激しさを増していることが挙げられている。同委員会の委員には中核派メンバーも含まれる極めて政治的な行動で、デモ参加者のシュプレヒコールは「核武装を狙う安倍は帰れ」や「憲法改悪絶対反対」、掲げる幟には「天皇制粉砕」もあると報じられていることは大きな疑問とするものである。
 平和記念式典にはサブタイトルとして(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)とされているように、被爆死者の慰霊を第一義とするものであることを思えば、原爆投下のアメリカ糾弾デモならばまだしも共感できるが、デモ参加者の主張は「アメリカの原爆投下は糾弾に値しないが、原爆投下を招く戦争を始めた日本が悪い」と云うもので、アメリカ至上を唱えるアメリカ極右者の主張に他ならないように思える。従来から平和公園内の碑文に投下者アメリカへの非難は無く「我々は戦争をしません」とあることの不条理さは指摘されていたが、デモ参加者の主張も同様であることを見れば、両者ともに東京裁判史観に裏打ちされた浅薄・安易な思想・思考であるように思えるし、特に、中核派の看板は泣いているのではないだろうか。
 本土決戦によるアメリカ軍人の被害予防としたアメリカの原爆投下は戦術的には既に必要でなく、トルーマン大統領が戦後における対ソ連優位誇示のための政戦略的使用であったことは定説となっており、糾弾されるべきは大量破壊兵器を弄んだアメリカであり、トルーマンでなければならないと思う。

 原爆が投下された1945年当時には大量破壊兵器と云う概念は無く、日本・ドイツに対しては軍事拠点攻撃を超えて絨毯爆撃という都市の無差別爆撃すら「戦意を挫くため」に行うという無制限戦争の様相を呈していたが、広島大本営と云う軍事目標があったにせよ、核実験で非戦闘員の危害程度を知った上で原爆投下を命じたトルーマンには東京裁判で使用された人道上の罪と同等若しくはそれ以上の罪に問われるべきである。
 広島市議会が反戦・反核よりも、日本的風習に添って「恩讐を超えて静謐に原爆死没者を追悼」したいとする条例を作ろうとするのは、原爆の日を意義あるものにする努力の現れであろうかと考える。


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