もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

膝丸と頼光四天王を学ぶ

2021年06月07日 | 社会・政治問題

 NHKBSの番組で、膝丸なる銘刀の存在を知った。(番組を見た方は、以下を斜め読みされたい)

 番組では、京都大覚寺所蔵の寺宝「薄緑(重要文化財)」を膝丸とし、源頼光の土蜘蛛退治に使用されたとされていたことに興味が湧いて勉強することにした。膝丸は大覚寺所蔵品の他にも数振存在するとされているが、大覚寺の寺宝に絞ることとした。
 銘刀「膝丸」は頼光の父満仲が「筑前在住の渡来人鍛冶」に作刀させたもので、同時に「髭切」と呼ばれる刀と揃いで作られたとされている。伝承では罪人を試し切りした際に膝まで切れたというのが刀名の由来とされている。その後、刀は所有者の武勲等に応じて呼び名が変わり、源頼光の土蜘蛛退治後は「蜘蛛切」に更に酒呑童子征伐後は「鬼切り」とも呼ばれ、源為義の代には夜に蛇の泣くような声で吠えたことから「吠丸」と、為義から譲り受けた娘婿の行範は「源氏重代の刀を自分が持つべきではない」として熊野権現に奉納、後に熊野別当から贈られた源義経は「薄緑」と名を改めて現在に伝えられているとされている。平家討伐後に源頼朝と仲違いした義経は兄との関係修復を祈願して「薄緑」を箱根権現に奉納、その後、箱根別当から曾我五郎に渡されて曾我兄弟の仇討ちを経て源頼朝の手に渡り、そこで「髭切」と再び対に戻ったとされている。
 これ以後の「膝丸」所有者や大覚寺の寺宝となった経緯、清和天皇の6男貞純親王の孫にあたる源満仲の嫡子である源頼光の家系が清和源氏の正統であるように思うが、満仲の6代後で大和源氏系統と思われる為義(女婿行範)が「源氏重代の秘刀・宝刀」を所有していた経緯にも勉強が及んでいない。
 自分は、源頼光を土蜘蛛退治や大江山酒呑童子退治の講談で聞き知っていたが、公団は一様に頼光を「らいこう」と呼んでいたので、自分も「らいこう」の方がしっくりする。特に、四天王は講談では主君頼光よりも輝いていたように記憶している。改めて四天王を調べると、
〇渡辺綱
 頼光四天王の筆頭。剣術の名手で京都を騒がせていた鬼・茨城童子を一条戻り橋で征伐。絶世の美男で「光源氏」のモデルともされる。
 茨城童子を討った刀は「鬼切安綱」として現在も北野天満宮に奉納されているらしい。
〇坂田金時
 足柄山の金太郎の成長後。怪力をもって多くの要解体時に活躍。
〇卜部季武
 身長2メートルを超す大男で、糸で吊るした針を正確に射貫くほどの弓の名手。
〇碓井貞光
 得意の大鎌で、碓氷峠に巣食う大蛇を退治するとともに「四万温泉」発見者とされている。

 番組では、特別公開された「膝丸」に妙齢の女性の一団が食い入るような眼差しをを向けていた。「刀女」と呼ぶのだろうか、彼女等の知識と思い入れは尋常ではなく、とても八十の手習いでは肩を並べることは不可能と思った。今後は、前述した「勉強の至らぬ箇所」を学ぶことで終わりにしようと思う。