もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

中国漁船の水産庁職員連れ去りとGPSを学ぶ

2018年12月29日 | 中国

 日本の排他的経済水域(EEZ)内で違法操業中の中国漁船が、立ち入り検査中の水産庁職員を乗せたまま、半日以上も違法操業を行いつつ逃走していたことが報じられた。

 産経新聞の記事は時系列・位置関係が正確に整理されていないため、水産庁職員を救出したのがEEZ外であることは分るものの、国際法上の公海まで及ぶ追跡権を持つ海上保安庁が介入した時点が不明確であり、拿捕または船長の逮捕に至らなかった理由が判然としない。それはさておき、中国の反応は公海における自国の自由操漁が侵されたとする、お決まりのものである。日中双方の主張が異なるのは「漁船の位置」に係っているので、双方の位置確認手段を勉強してみた。水産庁の調査船「白萩丸」はアメリカの民生用GPSを使用しているであろうことは疑いのないところと思う。過去には米国防総省が安全保障上の理由から民生用GPS信号の誤差精度を100m程度まで落としたことがあるが現在は数m以内であると思う。中国漁船が使用している艦位確認手段は、中国版GPSである北斗衛星導航システムと思われるが、同システムはアジア地域限定のシステムで精度は公称5mとされているが実際は50m程度の誤差があるとされてきた。しかしながら中国政府は、12月27日から全世界を対象に位置情報サービスを開始したと発表した。北斗衛星導航計画は1990年代に始まり、現在の北斗3号系統構築は2009年に着手2020年に全世界対応を目指す計画であったが、ここ1年余りの間に衛星19基を打ち上げて2年前倒しして運用サービスを開始したことになる。現在、同システムの地球規模での測位精度は誤差10mであるが2020年までに衛星を30基体制にして誤差5mを目指すという。現在、世界には3系統の測位システムがあり、米国のGPSは31基、ロシアの「グロナス(GLONASS)」は24基、EUの「ガリレオ」は30基前後の測位衛星でそれぞれ運用されている。これに中国の北斗衛星導航システムが加わることになり、サイバー空間には各国の測位電波が入り乱れていることになる。各国が大きな経済的な負担を強いられる自前の測位システムを構築・維持することは、民間の利便性追求と先行したアメリカのGPS依存払拭のためだけでは無く、民生用電波に併せ持つ軍事用電波が、近代戦に不可欠であることであると思う。部隊運用はもとより小火器による各個戦闘までもGPSの機能は不可欠の要素となっており、とりわけ誘導兵器の精密誘導にはGPSの優劣が致命的な要素であることである。アメリカの軍事用GPSの精度は数センチとも云われている。中国衛星の軍用波がアメリカの域に達した場合には、ファーウェイの盗用技術と顔認証システムを併用すれば各国要人の追跡など朝飯前のこととなるかも知れない。世界規模の測位システムをGPSと表現することが定着しているが、GPSはアメリカのシステムであり、「中米民用衛星ナビゲーションシステム(GNSS)連合協力声明」にも使用されているGNSS(グローバル・ナヴィゲーション・サテライト・システム)と呼ぶべきかとも思うものである。

 韓国は前言を翻してレーダー波の照射は無かったと云いだして日本の映像公開を非難し、中国は自国のGNSSの優秀さを誇示する傍らで公海上の操漁と強弁する。信頼できない隣国の困った言動のうちに、平成30年が暮れようとしている。両国の狂気は劇的には変化しないであろうが、来年には少しでもいいから沈静化して欲しいと、願うところである。

 拙い論を生硬な文章に乗せてのブログにも関わらず、1年間のご愛読ありがとうございました。諸事に備えて1週間のお休みを頂きます。皆様良いお年を。

 

 


日本帝国海軍潜水艦の慰霊碑建立に思う

2018年12月28日 | 軍事
 昨年の5月にオーストラリア北部ダーウィン近郊に、帝国海軍「伊124潜水艦」の慰霊碑がオーストラリア人の手により建立されていたことが報じられた。
 同艦は、米豪遮断を企図したダーウィン港封鎖作戦(1942年1月)に参加し米豪海軍の爆雷攻撃を受けて沈没したものであるが、ダーウィン攻撃の事実と潜水艦の武勇を顕彰するために建立されたと報じられている。米豪遮断作戦については、先に陸軍のポートモレスビー攻略作戦に触れたが、本日は海軍特殊潜航艇によるシドニー港攻撃と特殊潜航艇の乗員に対する豪海軍の葬送に関してである。1942(昭和17)年4月、米豪遮断のためのシドニー港攻撃は、4隻の潜水艦に搭載された特殊潜航艇(甲標的、後の蛟竜)によって敢行された。特殊潜航艇の行動と戦果等は割愛するとして、2隻は自爆(伊22搭載艇:松尾敬宇大尉、都竹正雄2等兵曹、伊27搭載艇:中馬兼四大尉、大森猛1等兵曹)し、1隻(伊24搭載艇:八巻悌次中尉、松本静1等兵曹)は爆雷攻撃を受けて沈没(1900年代に発見)、1隻(伊28搭載艇:伴勝久中尉、芦辺守1等兵曹)は行方不明となった。甲標的は生還を期待しない特攻兵器(大戦末期の海龍や回天)と同様に見られているが、あくまで生還を前提とした小型潜水艇であり、シドニー攻撃に潜航艇を発艦させた母艦は同年6月まで帰投・収容に備えて海域に留まっている。自爆した2隻の特殊潜航艇は1942年6月4日、5日に引き上げられ、9日にイギリス海軍から派遣されていたシドニー要港司令官グールド海軍少将は乗員4名(松尾大尉・中馬大尉・大森一曹・都竹二曹)の海軍葬を行った。戦時中に敵国である日本の軍人に海軍葬を行うことには、オーストラリア国民の一部から強い批判があったが、小型の特殊潜航艇で港内深くまで潜入し、敵に発見されるや投降することなく自沈した松尾大尉らの勇敢さに対し、グールド少将は海軍葬で礼を尽くしたものである。彼は云う「このような鋼鉄の棺桶で出撃するためには、最高度の勇気が必要であるに違いない。これらの人たちは最高の愛国者であった。我々のうちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の千分の一のそれを払う覚悟をしているだろうか」と。軍葬は通常、勲功や遺功のあった自国の海軍将兵に対して弔銃の礼を以て行われるもので、軍人としては国葬を賜った東郷元帥や山本元帥に次ぐ栄誉であることを思えば、敵将兵に海軍葬を贈ったオーストラリア海軍に改めて敬意を表するものである。
 中世の騎士道にも似た海軍葬が、以後の両国の親善に大きく寄与していることは間違いないところと思う。IWC脱退等で多少の波風はああるものの、TPPの取組や中国封じ込め等では、概ね良好な関係で推移している。泥沼と表現される戦争の中でも、一輪の蓮の花が咲き・以後も馥郁たる香りを漂わせるとともに、泥沼が清澄する要因ともなるのかと思う。それにしても、葬儀を執り行った要港司令官の言葉は、75年後の日本人にも向けられたものではないだろうかと考えるものである。今、日本人の何人が、シドニー攻撃の事実と海軍葬の顛末を知っているのだろうか。
 

徴用工訴訟「B」群訴訟を知る

2018年12月27日 | 韓国

先日、韓国で約1100人の徴用工が韓国政府に対して補償を要求する訴訟が出されたことがあった。

報道を読んだとき、自分は「韓国内にも日韓合意の正当性を認識する法曹界と原告が存在する」と安心していたが、本日付産経新聞の正論欄で、西岡力氏(モラロジー研究所教授)の主張を読んで、自分の認識が間違いであることを知った。韓国政府の委員会(対日抗争期動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会)が、戦時に内地(日本国内)で韓国人労働者を徴用(雇用)したとする企業として1257社を認定したが、現存企業は約300社であるために、補償を求める企業が消滅した者が止む無く韓国政府に補償を求めたとするのが真相らしい。自分の頭を整理するために、現在も存続している企業に対する訴訟を「A」群とし、韓国政府に対して補償を求める訴訟を「B」群としたものである。さらに訴訟を主導する「アジア太平洋戦争犠牲者韓国遺族会」の真意・目標は、日本企業と韓国政府の両方から補償を勝ち取り、補償金を以て基金を設立して訴訟の対象を失っている遺族等にも分配しようとすることを目指しているそうである。韓国を含めて日本全体が貧しく、家族のために苦界に身を沈めることなど珍しくなかった時代、より良い生活を求めて内地企業の求人募集に応じて運良く採用されたが現在は徴用されたと主張する労働者の全てが、当時は周囲からは羨望の対象であったことは想像に難くない。朝鮮人と中国人の傲慢な個人主張に嫌悪感を感じる自分を顧みれば、戦時の朝鮮人に対しても何等かの迫害・蔑視・差別はあったであろうが、異文化の下で生活する以上は覚悟して来日(正しくは国内移動または渡航であるが)したものと思う。ホンジュラス発のキャラバンのように無法に越境してでも、より良い生活を実現しようと経済難民化する者が引きも切らない現状に、更に暗かった時代背景を加味すれば、徴用工と称する人々が現在の倫理観を盾に、かつ虚偽の根拠から主張することに限りない違和感を感じるものである。

 西岡教授は、かねてから「徴用工」という言葉を使用することに反対され「朝鮮人戦時労働者」と呼称すべきことを提唱されている。政府の統一見解では「旧朝鮮半島労働者」との表現を使用している。日本側の企業や研究者の間では、壮丁の出征に基づく労働力確保のために国家総動員法に基づいて朝鮮半島でも労務動員を行ったが、内地企業への動員は無く、殆んどは自由意志による渡航であったことが立証・確認されている。自分も”キーボード操作が増えるなァ”と感じているが、安易に徴用工という言葉を使用しないことにしようと思う。


補給艦「ときわ」艦内での幹部自殺を考える

2018年12月26日 | 自衛隊

 今年9月に補給艦「ときわ」艦内で、3等海尉(32歳)が自殺した件の調査が行われていることが報じられた。

 報道では自殺の原因は、艦長・上司・上級者のパワハラの可能性が高いことが示唆されている。自殺の背景等の詳細は発表されていないため、ネット上で見る限り艦艇勤務経験者から見れば考えられない憶測も混じっているので、本日は一般の人(恥ずかしながら自分の妻も含まれている。)が知る機会がない母港停泊中の艦内生活について紹介する。しかしながら自分の経験は20年以上前のことであるために、現状とは幾分相違しているかもしれないので、100%は信用しないで欲しいたことを最初にお断りしておく。自殺した隊員の階級と年齢から推測すると、防大や一般大学からの採用者ではなく、一般隊員から選抜された幹部自衛官であることが推測される。海自では2・3尉の幹部は初級幹部と呼ばれ、中級幹部と呼ばれる1尉~2佐の監督を受けて一般企業の係長的な立場に置かれる。初級幹部が要求されるのは、人事管理のノウハウと術科能力の体得である。特に部内から選抜された初級幹部は、過去の艦船勤務を通じて大卒幹部以上の術科能力を有している即戦力と周囲から見られるために、大卒幹部では許容されるであろう些細なミスも叱責の対象となり、本人の感じるプレッシャーは相当なものになる。初級幹部は、隊員が勤務する時間中(課業時間中と呼称)は、艦に習熟するために士官室で勉強するか、部下隊員の勤務状態を把握するために隊員の勤務場所で作業の実務を体験または学習することが求められる。私室に戻って書類業務等をするのは夕食後(1700頃)から巡検(1930)頃までの時間であり、作業の進捗によっては9時10時になることも珍しくない。勿論、制服自衛官に残業手当は無い。妻帯しておれば帰宅は22時頃で、上陸した隊員が帰艦(0700前後)する前には、艦にいることが不文律的に求められるために自宅を出るのは6時前後となる。なぜこのようにハードな仕事を耐えるかと云えば、陳腐な言葉ではあるが自己研鑽と愛艦精神の故としか説明できない。自分の初級幹部の経験でも、実務の現場でベテランから指導を受けることで簿外の手法を齧ることができたし、作業に潜む危険性排除の方法を体得でき、以後の勤務に対するベースを確立できたと思っている。初級幹部に対する教育は、独り立ちできる幹部を育てるための助走期間であり、必要な期間と思う。指揮官になれば誰の助けを得られない状態で、部下の生死に関わる決断をしなければならないし、判断の間違いは「やり直せばいい」では済まされない結果に結びつく。

 強い戦闘集団の中核となるべき幹部を育てるためには初級幹部に対する厳しい指導は、必要であると思う。しかしながら、今回の事象を見ると初級幹部に対する指導が、艦長から直接初級幹部に向けられていることが最大の問題点であると思う。前段にも書いたように、初級幹部は中級幹部の指揮下に置かれているので、彼の過誤や失敗に関する責任は初級幹部の教育者・監督者である中級幹部が負うべきであり彼等を庇護しなければならない。ある程度「甲羅に苔をはやした」中級幹部であれば、怖いものはそう無いのではと思う。階級社会の権化と目される旧海軍でも「不関旗を揚げる」との言葉が残されているように、指揮官の理不尽な命令に対して中級幹部が面従腹背の抵抗をしたことが語り継がれている。今回の事案の調査に関しては、艦長の指導の暴力性の有無とともに、指導が監督者を飛び越えて直截的に初級幹部に向けられた経緯にも目を向けて欲しいと願うところである。

(参考)「不関旗」とは:船舶は機関や舵の故障によって正常な運航ができない場合は、国際信号に定まられている「M」旗を掲揚して周囲に自分が運転不自由の状態であることを示すことが義務付けられている。この「M」旗を「不関旗」といい、「M」旗を掲げた船舶に遭遇した行き会い船は、航法規定に関わらず避航することが求められる。



岡田克也議員と枝野代表

2018年12月25日 | 野党

 元民主党・民進党代表、副総理経験者で現在無所属である岡田克也議員の立憲民主党入りが確実とされている。

 岡田氏は、無所属である旧民進党員の動向が落ち着いてからとしているが、枝野政権誕生に尽力すると語っていることから立民入りは確実で、民進党を解党して希望の党が設立された際の「踏み絵・排除騒動」の顛末も最終局面を迎えた感がある。騒動に関連する主な無所属議員は野田佳彦・玄葉光一郎議員位になると思われる。立憲民主党に合流するためには、「憲法改正反対」「原発0」「消費税増税反対」「辺野古移設を含む安保関連法廃止」という踏み絵を求められているが、諸費税増税を決めた野田政権、辺野古移設を最終決定した鳩山政権下にあって閣議に連なった重鎮、両政策の推進に邁進した陣笠が、自分の過去の政治活動を否定して、挙って踏み絵を踏むことに限りない嫌悪感を抱くものである。彼等の常套句は「当時とは状況が変わった」であるが、当時と激変した国際関係・エネルギー事情・経済摩擦等の環境変化には無頓着であり、変わった状況と云えば国会の勢力地図だけである。自分の政治生命にかかわる状況の変化には敏感に反応して保身を図るが、日本全体を取り巻く状況変化には敢て目をつぶろうとするもので、とても国家の経綸を考えているようには思えない。閑話休題。「史記・李広伝」に「桃李もの言わざれども、下おのずから蹊(みち)を成す」という言葉がある。云うまでもなく、花や実の好ましい桃やスモモの木の下には、人が寄ってきて自然に小道ができるとの意味から、徳行のある人の下には、黙っていても人が集まってくることの例えで、成蹊大学の元となった私塾の名称にも使用された言葉である。かっての上司・同僚が自分の過去の政治活動すら否定してまで膝下に馳せ参じる枝野代表には、成蹊と称された漢代の名称「李広」にも匹敵する人徳が備わっているのだろうか。枝野代表が議員を引き付ける匂いの元は「政党交付金の臭い」や「連合票の臭い」であり、いわば腐臭と呼ぶにふさわしい臭いではなかろうかと考える。更に危険なのは「親中韓・嫌米の臭い」であり、現下の国際情勢では国の行く末すら案じられる「致死性の青酸ガスの放つアーモンド臭」をすら想起させる。

 野党の節操の無い離合集散は見慣れた光景であるが、政治家であるからには、自身の政治信条と過去の政治活動に関しては忠実であって欲しいと願うともに、将来、自分の政治活動の結果に対しては責任を持つ覚悟を持って欲しいと願うものである。