もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

予算委員会の怪

2018年02月28日 | 野党

 本日、来年度予算案が衆院で可決される見通しで、来年度予算の年度内成立が確定的である。

 国会は予算委員会を中心に、厚労省の裁量労働データの不備に関する質疑・攻防に明け暮れているが、肝心の予算に関する質疑は「何処で・どのように行われているのか」一向に聞こえてこない。いろいろ調べてみたが、政府提出の予算案の金額が国会の議論で修正されたことは新憲法下では1度も無いようである。向こう1年間の事業と将来への投資をいかにすべきかは国民大方の関心事と思うが、予算が政府原案作成過程の密室作業ですべて決定されることに不満を感じるのは自分だけだろうか。行政府(大統領)提出の予算案が立法府で大ナタを振るわれるアメリカの例を引くまでもなく、行政府への強力な監視機能である予算審議が予算委員会で行われないことを不思議に思うものである。この手順が民主党政権下でも踏襲されたことを考えれば、国会議員の常識であるのかもしれない。戦雲漂う時代の帝国議会において、陸軍予算を減額するとともに焦眉の急であった海軍建設予算が大幅に増額されたことがあるなど、現在の国会が失った「時局の動向に応じて予算額を変更させる識見」を帝国議会は有していたと思われる。民進党の増子幹事長は厚労省の不手際を追求した結果「予算案の衆院通過を1日遅らせた」と勝利宣言にも似た発言をしているが、野党の勝利とは《1円でもよいから予算案(額)を修正して公約の達成を目指す。》ことであると思うのだが。

 予算委員会は、国政に関する総ての質疑が許され、主要閣僚が出席し、テレビ中継されることから、低次元であるが国民の目を引くであろう問題のみが繰り返し質疑され、外交・防衛等の喫緊の課題については専門委員会に委ねる傾向がある。予算を審議しない予算委員会、ネーミングを考える必要があるのでは。


厚労省のデータ処理に思う

2018年02月27日 | 与党

 厚労省の裁量労働制に関する調査データが不適切であるとの指摘が連日報道されている。

 法案提出時の説明では、裁量労働の方が残業時間の短縮等に繋がり労働環境を改善し得るとのデータであったが、データ処理が不適切で説明資料の体をなしていないことが指摘されているものである。加えて、生データの存在を隠すという体たらくも暴露され、公務員の信頼を一挙に失墜させてしまった。おそらく労働環境の調査と分析は民間業者が行ったものであろうが、厚労省が事前審査すべき設問項目選定と期待成果を得るための設問の相関関係の設定という調査の準備段階、調査の設計に誤りがあったもので、誤った設計下に行った調査では満足な分析ができなかったものと思う。厚労省が真剣に労働環境の改善を目指すならば、虚心を持って調査に当たり、もし法案が現状の改善に寄与しないとの調査結果が出れば法案提出を見送ることを進言すべきであり、それこそが行政の王道、官僚の矜持であると思う。労働環境の現状と現場労働者の意見を改竄することは、役人として絶対にやってはいけないことではないだろうか。データの改竄問題はさておき、個人的には裁量労働制の方が労働意欲の向上と収入の向上(長期的に見て)が期待できるのでは無いだろうか。確かに裁量労働の方が成果の質を高める努力がより必要となるために就業時間(残業時間)は増加するだろうが、自分の労力が目に見えて評価されることの達成感、成果が以後の昇給や昇進に結び付く期待感は計り知れないと思う。今は無職の自分が裁量性労働の是非について云々するのは不遜であるかもしれないが、現役時代を顧みての繰り言とご容赦頂きたい。

 裁量労働の業種や裁量範囲等の選択肢を多くする方が、労働者には労働意欲の向上となり、企業としては生産性の向上となり、少子化による若年労働力減少にも寄与し得ると思うのだが、楽観的過ぎるだろうか。

 


中国の改憲案に思う

2018年02月26日 | 中国

 中国の改憲案が全人代に提示されたことが報じられた。

 改憲の骨子は、国家主席の任期が2期10年を上限と定めた条項の削除、習近平主席の政治理念を憲法前文への記述、更には政府と同格の「国家監察委員会」設立の条項が追加されたことであり、改憲によって習近平の終身主席体制さえも視野に入ったとみられる。特に、国家監察委員会は全公職者の汚職を監視する機関とされているが、恣意的な運用により政敵の排除に利用されるであろうことは明白である。長期政権に最も必要な要素は反対意見の監視・封殺であり、ナチスドイツのヒットラーに始まり、ソ連のスターリン、ルーマニアのチャウシェスク、ジンバブエのムガベ、等々のいずれもがそのために運用できる私兵的な警察機関を持っていた。中国の国家監視委員会も政府機関と同格であるために共産党の指導のみ受けることとなるので、習王朝存続のためだけの機関であると思う。改憲案の提示を受けた全人代は便宜的に国会に同列視されるが、共産党指導部の方針や報告を全会一致で賛同・承認して国内外にその正当性を喧伝するための機関であり、討議や反対意見の陳述などが行われることはない。習近平の野望は、モンゴル人が建てた元帝国以上の版図・帝国を漢民族が構築することであろうことは疑いもなく、一帯一路構想で東欧までを経済的な傘下に収め、内陸民である元帝国が成し得なかった西太平洋とインド洋を勢力下に収めようとする野望を隠そうともしない。帝国存続のために核兵器で恫喝を続ける金王朝に加え、横柄で傍若無人な習王朝が隣国に出現することとなり、日本を覆う暗雲は更に密度を増すことになると思う。

 日本に対する元の野望は神風(台風)によって守られたが、習・金王朝の野望を挫くためには米国の戦術核再配備という神風にのみ期待してよいのだろうか。


渡部暁斗と北方謙三

2018年02月25日 | カープ・スポーツ

 北方謙三作品を読み返し(現在は水滸伝)ながら、ピョンチャン五輪を見続けた。

 男子複合NHで銀メダルを得たものの、LHや団体ではメダルに届かなかった渡部暁斗選手に北方作品の鮮烈な脇役の姿を見た思いがする。渡部選手は、LH後半のノルディックではワックスの失敗ともいわれ、団体ノルディックでは前走者の失速が影響したが、それ以前に肋骨を骨折していた事実がコーチから明かされた。渡部選手は選手仲間からシルバーコレクター、Mr.№2とも呼ばれているものの、敗因を転化することなく恬淡と力不足と認め、さらなる努力をのみ口にするストイックな姿勢で勝者以上に尊敬される№2であるらしい。北方作品には強力な個性に彩られた主人公が存在する一方、主人公に劣らぬ力量を持ちながらも、主人公に忠節・隷属を尽くす魅力的な№2も並立している。フィクションの世界ではない歴史上にも、ある時は主君を盛り立て、ある時はフィクサーとして陰に陽に活躍した№2の存在が際立っているケースが多い。上杉景勝を補佐した直江兼続、長州藩を討幕勢力に導いた福原豊後(元僴)、尼子家再興に生涯を捧げた山中鹿之助(幸盛)、組織の№2ではないが北方先生の南北朝作品に光芒を放っている赤松円心や楠木正成、いずれもが戦略家であり稀代の戦術家でもある。こうしてみると、組織を勝利させ偉業を達成するためには、偉大な№2の存在が欠かせないのではないかと考えられる。そんな視点で現在を見て真の№2と言えるのは安倍政権を支える菅義偉官房長官ぐらいしか見当たらない。特に野党に関していえば、№2の座を党首の座を窺うライバルへの懐柔策としてのみ利用しているとしか思えない人事構成で、党首・代表の意志を遂行するチーム編成とは程遠いものであると思う。

 野党が政権を担当し得る政党に脱皮するには、指揮系統を一本化して党首・代表の意志が末端まで浸透する組織に生まれ変わることから始めなければならないと思う。そのためには、論功行賞的な懐柔策としての共同代表や副代表のポストを廃止して、党首・代表と一体化した№2を置くことを勧めるものである。


細野氏・松沢氏、決断を

2018年02月24日 | 野党

 希望の党の分党が、一向に進展しない。

 分党の構図は、結党の理念を捨てて、当初の民進党との統一会派結成から民進党との合流構想にまで発展した玉木執行部に対して、あくまで中道左派の理念を貫こうとして分党を主張するグループのせめぎ合いと理解しているが、両者が自派勢力の拡大と支持母体である連合の去就に顧慮するあまり分党案浮上後1か月以上経過するにも拘らず一向に進展しない。一時は政党交付金の分配にも話が及んで分党は時間の問題とみられていたのに、現状を下世話に例えれば「離婚の意志を固めながら、夫の退職金を目当てに離婚を引き延ばしている仮面夫婦」に似ていると思う。両グループの政治主張は明らかに水と油で呉越同舟と容認される域を超えていると思うのに、最初に分党の意志を明らかにした松沢成文議員の腰砕けと、細野豪志・長島昭久議員の日和見のみが際立つ結果となっている。組織のリーダーに求められる最大の要素が決断力であることは大方の認めることであると思うが、松沢・細野・長島議員にはその決断力が決定的に不足していると思う。決断力とは時間を克服すること、後世の審判を受ける覚悟、自説を堅持する精神力の発揮であると思う。”小田原評定””証文の出し遅れ”と、決断の遅れを揶揄する言葉は多い。古来《兵は拙速を貴ぶ》とされるが、闇雲に行動しろという意味ではなく、骨幹の戦略が正しい場合にあって戦術の選択に時間を浪費することの愚を戒めた言葉である。松沢氏・細野氏が揺らぎ続ける執行部と袂を分かつことは、政治戦略としては正しいものと思う。最良の戦術では無いかもしれないが、早期に分党して大向こうを唸ならせる方が有権者の共感を得られると思うのだが。

 近い将来に分党が拙速であったとの評価が下される場合にあっても、分党を決断した議員には主義に殉じた政治家との栄誉が与えられると思うのだが。そんな意味と期待を込めて、松沢・細野・長島議員の早期の決断を俟つものである。