もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

尾身茂氏を取り巻く環境に思う

2021年06月29日 | コロナ

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長の置かれた環境について考えてみた。

 尾身会長は、地域医療、感染症、国際保健などを専門とする医学者で、WHOでは西太平洋地域での急性灰白髄炎の根絶に成功する等の実績を上げられ、2019年以降は一貫して政府の新型コロナウイルス対策に参画され「公衆衛生のスペシャリスト」として折々の発言が注目されている。
 政府のコロナ対策専門会議は、当初医学者のみで構成されていたために感染拡大防止の医学的な視点・要求についてのみ提言していたが、コロナ禍が長期戦・総力戦の様相を見せ始めたことから構成委員に社会科学者・経済学者も加わり、以後は感染防止・経済活動・国民生活のバランスを考慮した提言に変化したものと理解している。
 尾身氏や委員にとって不幸であったのは、一国の感染予防の他に日本の国際的評価を左右しかねない東京五輪について矢面に立たされたことである。五輪開催に対する対策会議内部での討議は不明であるが、5月末には開催反対としていた尾身会長が現在では観客の抑制のみに主張を変えたのは、この辺の事情によるものかと考えている。
 かねてから、尾身会長の会見・発言については疑問に思っていた。それは、尾身会長率いる分科会は指揮官(総理)が採るべき複数の選択肢を提示して分科会が最適と判断した一つの方策を提言できる組織であって、決定できる組織ではないことである。いわば尾身会長は分科会と云うスタッフ機構の長で、軍事組織にあっては幕僚長、民間企業にあっては企画部長と呼ばれるものであるように思う。それ故に、分科会(幕僚・企画部)の提言を採用するか却下するかは指揮官(総理・司令官・社長)の判断であり、当然のことながら責任の全ては指揮官が負うことになることを思えば、先日の参議院厚生労働委員会で「東京五輪は、パンデミックの中で開催するということが普通でない」と述べたこともスタンドプレイ・越権行為であるとともに、国会が単なる幕僚に過ぎない会長を委員会に呼んだことすら異常に思える。

 幕僚の資質や提示案の巧拙は当然に論じられ、検証されるべきであろうが、それは作戦終結後が適当であるように思う。勿論、極めて危うい幕僚や組織は直ちに是正することは必要であるとは思うが、それは民意それも声の大きさに依るべきではないように思える。東京五輪に対する尾身会長の主張の変化に対して一部には“変節漢”なる言葉を使用する向きもあるようであるが、攻撃者は五輪とコロナ防御に関する諸要因の全てを客観的に分析した上での誹謗ではなく、単に自分の主張と相容れないことに怒りを発しているに過ぎないと思っている。
 幕僚組織が確立された近代の戦闘については、指揮官の判断のために多くの幕僚案が提示されたであろうが、毀誉褒貶は指揮官に対してのみ語られることが多い。
 栗田中将は何故レイテで反転したのか、南雲中将は何故ミッドウェイで雷爆換装に拘ったのか、それらの判断に至る幕僚の提案・判断の詳細は知られていない。


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