もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

徴用工判決に懲罰的対応を

2018年10月31日 | 韓国

 韓国最高裁は、徴用工に対する賠償を命じる判決を出した。

 被告である日本企業は政府の意見に従うとし、政府は日韓合意で解決済みとの従来の主張を総理大臣談話とする一方、外務大臣は在日韓国大使を呼び『遺憾と懸念』を伝えたとされている。しかしながら政府の対応としてはいかにも手緩いものであると思う。遺憾と懸念の伝達は日韓で問題が起こるたびに繰り返される恒例行事化しており、そのことで韓国が軟化したり両国の関係が変化したこともなく、政府間合意すら平然と無視する無法国家「韓国」にとっては”蛙の面に小便”程の効果もない。徴用工賠償訴訟の最高裁判断については、2審の原告敗訴を最高裁が差し戻した5年前から予測されていたもので、政府と外務省は何等の対応策を準備していなかったのだろうか。少なくとも駐韓大使を即日召還する程度の対応は採るべきであり、企業の在韓資産差し押さえ時には、韓国への送金停止、日本にある韓国資産の凍結、戦後韓国が接収した日本人の個人資産補償請求を行う程度は最高裁判断が出る前に政府の方針として公表しておくべきであったと思う。国際感覚とバランス感覚を兼ね備えた朴槿恵政権が、最高裁判断を先送りさせていた状態が未来永劫続くと外務省は判断していたのだろうか。幕僚(官僚)は、想定されるあらゆる事態に複数の対応策・選択肢を準備・提示し、指揮官(政府)は幕僚の提示した選択肢から最良と思われる計画を執行することで危機に対処するのが鉄則と思う。外務官僚が如何様な選択肢を提示し、指揮官がどのような思惑で決定を下したのかは不明であるが、準備期間が5年間もあったのに”駐日韓国大使に遺憾を伝達”することしか対応できないのは、弱腰外交の極致と考えるところである。

 外交には、使用される言葉の強弱で自国の意志の程度を相手国に知らせる不文律があると読んだことがある。自国で招待しながら非礼にも国際法無視を要請した自衛艦旗(旭日旗)問題で防衛大臣は韓国に「残念」と述べ、今回の政府間合意反故の暴挙に「遺憾」しか表明しない日本政府の姿勢を韓国はどのように理解しているのだろうか。戦争も辞さない懸念と覚悟については外交上『重大な決意』と表現するそうであるが、今回の事案は、まさに『重大な決意』を使用しても良い事態ではないだろうかと極論するものである。


安田純平氏とジャーナリスト像

2018年10月30日 | 報道

 トルコで解放されて4年ぶりに帰国できた安田純平氏の機内での談話が論議を呼んでいる。

 安田氏の真意については、メディカルチェック後に予定されている会見に俟つとして、予備的に「会見で知りたいこと」を纏めてみる。論議を呼んでいる談話は「解放が日本政府の力(働き掛け?)によるものとは思いたくない」という反権力的な点である。彼の人柄を知る人物は”安田氏は政治的に特定の信条は無い”と述べ、過去の取材に同行したカメラマンは”フリーランスの取材活動は全て自分(糊口の一環?)のため”と述べ、マスコミでの人物評は”人道的な使命感を持った取材者”と”している。このように並べられると安田氏のシリア潜入の真意はますます解り難いものになってくる。シリア政府と内戦に加担する米露を糾弾するためか、シリア市民の苦境を報道して人道支援の拡大を期すものか、立ち位置が良く分からない。それとも、単に現状を無色にレポートして後は受け手の判断・行動に俟つという典型的な傍観者的は姿勢なのだろうか。一般・軍事を問わず、現場で収集できる情報は事実の一場面・一端でしかなく、そのようにして集められた多数の一場面・一端を精査分析して、初めて「活用できる情報」となるものと考える。氏の過去の言動を読む限り、フリーランスの存在を極めて高く評価し情報社会では不可欠で、かつ不可侵であるべき存在と考えているようであるが、一つの事実を将棋に例えると、フリーランスは次の一手を指す棋士ではなく棋士が指す1手を決める情報の極めて微小な要素を棋士に提供しているに過ぎないという現実を知るべきであると考える。フリージャーナリストの記事や著作を読むと、現場の緊張感や悲惨さは伝わるものの、経緯や将来の展望に対しては考察が甘い若しくは為されていない場合が多いようにも思う。

 ここまでフリージャーナリストに対して極めて失礼な書き方をしたが、このような目で安田氏の会見を見たいと思う。今回の論議に対してアルピニストの野口健氏が「取材姿勢に対しては意見を述べないが、解放された事実についてはもっと謙虚であって欲しい」と述べているのが、大方の意見ではないだろうか。


原油と度量衡

2018年10月29日 | エネルギ

 昨日、原油のあれこれを勉強した過程で”バレル(樽)単位”に遭遇し、度量衡について改めて勉強した。

 田舎で育った自分は、幼児期には学校ではメートル法、実生活では周囲の大人社会に合わせた尺貫法を使用することに痛痒を感じることなく生活していた。大相撲のラジオ実況で「栃錦」は身長5尺9寸、体重30貫と紹介されていた。では、日本古来の尺貫法とメートル法はどのような経過を辿って現在の度量衡に行き着いたのだろうか。1867年に大政奉還、1875年(明治8年)メートル条約成立(日本未加入)、1886年(明治19年)メートル条約加盟、1891年(明治24年)度量衡法成立(メートル法と尺貫法の併用)、1951(昭和26年)年計量法成立(一部を除き尺貫法廃止)、1966年(昭和41年)メートル法が完全実施されて数年のうちに尺貫法は社会から姿を消してしまった。尤も宮大工や和裁の世界では現在も尺貫法が使用されているそうであるが、わずか数年で度量衡を一変したことは世界では稀有の例であるらしい。一方アメリカを例にとると、依然としてヤード・ポンドが幅を利かせており、メートル法の完全実施を法制化する試みも繰り返し為されているが、ヤード・ポンドで作られた基準が既に国際基準となっているものがあることに加えアングロサクソン絶対主義(?)の故か、メートル条約加盟国でありながら完全実施には至っていないようである。冒頭の”バレル”単位もその一つで、かってアメリカで原油を運ぶ際に樽詰めで運搬したことが由来とされている。ちなみに石油用のバレルは42米液量ガロン・約159リットルであり、石油用のバレルとされているのは、バレルには石油用の他、ワイン用、ウイスキー用等、多くのバレルがあることによるらしい。バレルは商取引の標準として定着しているために今後とも変更されることは無いものと思われるので、報道記事は頭の中で換算しながら読むしかないと観念した。以下Wikipediaの引用であるが『(アメリカでは)異なる2つの単位系の使用が、1998年の火星探査機マーズ・クライメイト・オービターの喪失の原因となった。NASAは、契約の際にメートル法の使用を指示した。 NASAや他の組織では、作業においてメートル法の単位を適用したが、下請け業者の1つのであるロッキード・マーティンは、開発チームに対してスラスターの動作データをニュートン秒ではなくポンド重秒で提供した。探査機は高度約150キロで火星を周回することを意図していたが、間違ったデータにより高度約57キロメートルまで降下してしまい、火星の大気中で燃焼した』。この様にアメリカも度量衡が重複して使用されることには危機感を持っており、統一の方向にあることは間違いのないところと思う。

 台風の中心気圧をミリバール(mb)でなくヘクトパスカル(hPa)、周波数をサイクル(C/s)ではなくヘルツ(Hz)と呼ばれることでも身近に感じられるように、現在ではメートル法より一歩進んだSI単位が統一使用されている。しかしながら「0.2グラムのダイヤモンド」というよりも、「1カラットのダイヤ」の方がイメージし易く、定着しているので、全ての度量衡を統一することは中々に難しい問題と思われるが、小林一茶の名句『正月は 冥土の旅の 一里塚』が理解されない時代は確実に来ると思う。


ガソリン価格上昇に学ぶ

2018年10月28日 | エネルギ

 ガソリンの小売価格が上昇している。

 価格上昇の原因は、世界屈指の産油国サウジアラビアが起こしたジャーナリスト殺害事件やアメリカの対イラン経済政策等による中東不安が大きいと解説されている。中東情勢の変化がなぜ自分の懐に直結するのかと思い、世界の産油国と日本の原油輸入先についてのランキングを調べてみた。産油国では、1/ロシア,2/サウジアラビア,3/アメリカ,4/中国,5/イラク,6/カナダ,7/イランであり、以下、バラマキ・放漫経営で経済危機に陥っているベネズエラが10位、安田純平氏の解放に尽力してくれたカタールが17位にランク付けされていた。一方、日本が輸入する原油の国別ランキングでは、1/サウジアラビア、2/EAU、3/クウェート、4/カタール、5/ロシア、6/イランとなっていた。二つを並べてみると今更ながら日本の経済活動の根幹が中東にあることが実感できるとともに、産油国と輸入元の政情不安や事件は、一月も経たないうちに我々の懐に影響してくることが実感できた。更に原油輸入量の国別ランキングでは、1/中国,2/米国,3/インド,4/日本となっており、産油国ランキングで上位にあるアメリカと中国が輸入量ランキングでも上位にあるのは、将来の石油資源枯渇の事態に備えて、自国の採油を抑制しているためともされている。1960年代までは石油資源は間もなく(2000年頃までと記憶している)枯渇するとされ、朝野を挙げて代替エネルギーとしての原子力平和利用が叫ばれていたものである。その後、海底油田の存在や、原油採掘技術の進歩、サンドオイルやシェールオイルの登場により、少なくとも21世紀中に石油資源が枯渇することは無いとされている。アラブ社会が1枚岩であった1960年に設立された石油輸出国機構(OPEC)は原油価格の統制や生産調整によって世界経済を混乱させて数度のオイルショックを引き起こし、原油とイスラム教を共有するアラブ連邦設立の動きさえあったことは記憶に新しい。しかしながらイスラムの教条対立によりアラブ社会の結束とOPECの統制力が弱まり、原油は市場価格で推移するようになったと理解しているが、原油が現代社会の死命を制する最強の武器であることに変わりはなく、アラブ社会が対西側で大同団結する様な事態になったら世界の混乱は過去のオイルショックなどとは比べ物にならない規模となるものと思われる。

 日本も、来るべき石油資源の枯渇に備えての研究開発と代替エネルギーの整備に真剣に取り組まなければならないと感じた一瞬であった。。


安田純平氏の解放と自己責任

2018年10月27日 | 報道

 2015年6月にシリア国内で拘束されたフリージャーナリスト安田純平氏が、カタールで解放され帰国できた。

 同氏の解放に当たって日本と関係国が果たした役割と解放交渉の詳細、特に身代金の授受が明らかにされることはないだろうが、多くの労力と金銭が消費されたものと思う。安田氏は健康チェックのために入院中であり、自分の体験したことは後日の会見で明らかにするとしている。当時シリアに対しては、内戦激化の状況から外務省が邦人の渡航自粛を求めていたものであるが、安田氏は徒歩で入国した翌日から消息を絶ったとされている。マスメディアに所属(雇用)する記者やカメラマンが拘束・或いは殺害された場合には企業が大きな責任を負わされるため、危険な地域の情報についてはフリーランスに取材を委託またはフリーランスが取材した情報を使用すると企業も認めている。同氏が外務省の自粛要請を無視してまで渡航した背景も今後明らかとなるのだろうが、渡航前に記事の独占契約的なものをマスメディアと結んでいた可能性は充分に考えられると思う。自分の見聞・体験記事がマスメディアを通して世論を動かし得るかもしれないと考えて行動するフリージャーナリストの心情には敬意を表すものであり、企業の庇護なしに行う取材行動の全ては”自己責任”に帰するのはやむを得ないものであろう、しかしながら、今回の拘束~帰国の一連の全てを安田氏が”自己責任”として背負いきれるのだろうか。解放に尽力したカタールは、現在サウジアラビアなど4か国の経済制裁を受けており、国際関係や中東原油を考えれば日本がカタールに謝意を表し・解放費用を負担することすら微妙な状況であると思う。国の意志と離れて行われる行動が国際関係や2国間の関係を危殆に陥れる事態は過去にもあり、第一次世界大戦の勃発は、反オーストリア運動のメンバーだったセルビア人がオーストリアの皇位継承者をサラエヴォで暗殺したことが発端とされており、日本でも明治24年に起きたロシア皇太子襲撃事件(大津事件)、幕末に薩摩藩が起こした生麦事件等が有名である。これらは、国の意志を離れているので全て個人責任で処理される事案であろうが、政権は自国民保護の建前からこれらの行動を擁護しなければならないという困難に直面する。安田氏の事案が被害者であったとしても対応によっては同様の事態を招く危険性をはらんでいる。また、同氏の解放に身代金が払われたことが明らかとなった場合は、日本はテロに屈した国として国際的な信用を一挙に失うであろうし、誘拐ビジネスにとって日本人は格好の標的とされるかもしれない。繰り返しになるが安田氏はこれらの諸々を自己責任として背負いきれるのだろうか。