もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

慰安婦・徴用工問題と韓国識者の李元徳氏

2019年12月29日 | 韓国

 産経新聞で、韓国憲法裁判所の判決に対する日・中・韓3国有識者の談話を読んだ。

 3者ともに「慰安婦合意に違憲判断がなされなかったのは歓迎」とし、別に示された「政治的合意であるので義務は発生しない」との部分については論が分かれているが、韓国の国民大教授「李元徳」氏の言が韓国世論の平均値かと感じた。氏は、慰安婦合意に反して韓国が一方的に解散した「和解・いやし財団」の理事をされていたためか、慰安婦問題よりも徴用工問題の方が影響は大きいと述べている。徴用工問題に対しては、韓国司法は「日本企業に賠償を命じ」、行政は「慰安婦合意や昭和40(1965)年の日韓請求権協定を尊重する」とのみ主張するだけで具体的な対応を示さない」現状から立法府が動くことが現状打破のカギと述べ、具体的には国会議長が提出した「徴用問題法案」による解決が妥当としていると思われる。徴用問題法案」は、「1+1+1」方式と呼ばれているが、韓国内でも、誰が義務的に参加して誰が自発的または象徴的に参加するのかに対しては意見が分かれているそうで、ネット上の記事によると、氏は「韓国政府と韓国企業は義務的に参加し、日本企業は自発的に参加することが適当」と考えているとされている。自分としては1+1+1」そのものが不愉快で、文大統領が日韓請求権協定を尊重するならば、100%韓国政府が補償すべきであるが韓国企業が自発的に参加することは自由で、数式で書けば「1+0.x」が許容できるものと考える。氏は最後に「韓国は政権が代わればゴールポストを動かす国という先入観は捨てて欲しい。慰安婦合意や1965年の日韓請求権協定を破棄したことはなく、合意は守りつつ内容更新を求めるもので、明治維新以降に不平等条約改正に努めた日本と同じで、否定的な偏見なしに韓国内の議論を見守って欲しい」と韓国政府と韓国世相を擁護している。氏の年齢から推して、日韓請求権協定によって得た「漢江の奇跡」の恩恵を受けて成長し得た世代であり、光復説以後の貧困と朝鮮戦争の悲惨さを歴史でしか知らない世代である。氏の主張は「先輩が平身低頭して得た資金援助を、今回はやや姿勢を高くして再び」という心底を不平等条約改正という言い回しで正当化しようとする寒々しいものに感じるのは、果たして自分だけであろうか。ソウル大と東大大学院で学び、韓国世論形成に少なからぬ影響力を持つであろう指導層が、自国の自浄努力を放棄して外圧と援助に期待することは、長期的に見て韓国人が韓国人としての誇りを失う原因となるものと思う。加えて独善的で尊大な国民性が加われば、韓国の未来は決して明るいものではないだろうと考える。

 今年も余すところ僅かとなりました。経年劣化の身で3か月余の長期と複数回の休載を余儀なくされましたが、1年間のご愛読ありがとうございました。年末年始戦争のために年明けまでお休みを頂きますが再会できることを祈念しております。

 それでは皆様、良いお年を。



韓国の慰安婦合意判断に学ぶ

2019年12月28日 | 韓国

 韓国の憲法裁判所が、日韓の慰安婦合意が憲法違反とする申し立てを却下した。

 違憲却下と書けば韓国にも正常な司法判断があるとの印象であるが、却下の理由を「日韓合意は条約の手続きを踏んでいない政治的合意であるために、憲法裁判所が判断すべき事項ではない」とするものである。これは、所謂「門前払い」で、素人目には妥当な判断であると思うが、判決では更に「合意によって具体的な権利・義務が生じたとは認められない」として、慰安婦像の撤去も強制できないとしている。言い換えれば「国(政権)は、条約で無ければ他国とどのような約束を交わしてもよく、約束を履行する必要(義務)はない」と云うもので、とても法治国家の司法判断とは呼べないものであると思う。これは文政権の方針に沿ったもので、先の徴用工訴訟における大法院(以下「最高裁」)の判断と軌を一にする以上に、日韓合意そのものを否定するのに等しいと思うものである。韓国の憲法裁判所は、三審制の頂点にある最高裁と同等の位置に並立するものであるが、一審制でその判決が最終判断とされている。裁判官は9人で、大統領・国会・最高裁長官が3名ずつ選出して構成し、判決には6名以上の賛成が必要とされているので、韓国特有の大統領や与党有利の判断になるのは避けられないともされている。また、違憲立法審査権は、憲法委員会という別の機関が持っており、地方裁判所を含むすべての裁判所が持っている日本とはだいぶ様相が違うように思われる。今回の韓国憲法裁判所の判決に話を戻すと、条約や法律に暗い者の愚考であるが、日本が慰安婦問題日韓合意を昭和40(1965)年の日韓基本条約の議定書に追加(できるかどうか不明)しておけば、このような混乱は起きなかったのではなかろうかと考えるものである。ここまで書いて【日韓基本条約の付随協約とされる「日韓請求権並びに経済協力協定」締結時にも、外務省当局者は「完全かつ最終的に解決」とは外交保護権の放棄を意味するに過ぎず、個人の請求権は失なわれないから、朝鮮半島に資産を残してきた日本国民に対して日本国が補償する責任は負わないと説明していた。】との記事に遭遇した。外交保護権?こうなると最早お手上げとならざるを得ない。

 今回の判決に対して勉強したところでは、法律的には日韓のいずれが正しいのか分からなくなったというのが本音であるが、韓国に対する根強い不信感が薄らぐことはない。今回の判決に力を得た韓国の反日行動は、今後も鎮静化することは期待できないと思うので、輸出管理の強化に次ぐ第2・第3の矢を準備しておく必要があると思うものである。


靖国神社拝殿の垂れ幕汚損犯の判決に考える

2019年12月27日 | 韓国

 靖国神社拝殿の垂れ幕に墨汁を掛けた男に対する地裁判決が報道された。

 事件は、今年8月19日、中国籍の作家を自称する胡大平被告(53歳)が靖国神社の垂れ幕に墨汁を掛け、建造物侵入と器物損壊で現行犯逮捕されたものである。判決では懲役1年2か月・執行猶予3年(求刑は懲役1年2か月)であるが、保護観察が付かない執行猶予では何等の制約・制限がないために被告が大手を振って中国に帰ることも可能であるので、実質的な無罪判決に等しいものと観れば、それはそれで残念に思う。更に、この実質的な無罪判決に対して、弁護側が即日控訴したことも解せないものである。控訴理由は、被告の犯行は「靖国神社への抗議が目的で、憲法が保障する表現行為であり無罪」としており、何らかの意図(本件では抗議)を表現するための犯罪(本件では建造物侵入と器物損壊)は許されるとするに他ならない。確かに、憲法21条では何等の制限を受けることなく表現の自由は保障されるとしており、基本的人権の尊重を定めた憲法13条が「公共の福祉に反しない限り(中略)尊重」との縛りを入れていることに比べれば、表現の自由は、より強固に保障されているとみるべきかも知れないが、表現の自由のための犯罪は許されるとするのは暴論ではないだろうか。弁護人に聞きたいのは、何を・どの程度表現するために、どの犯罪が許されると考えているのかということである。極論であろうが「当該弁護人が許せない」という怒りを表現するためには、弁護人に対する傷害や殺人までも許されるべきと考えているのであれば、将にテロの容認であり、とても法治国家における法曹関係者の弁とは呼べないもので、文明社会では受け入れられないものと思う。法曹人の弁(論)と書いたが、控訴理由は訴因とは別の次元に話をすり替える便(手段・使い分け)で、さらなる弁護費用を得るためのものかと観れば、ハイエナ弁護士の品性無き悪行かとも思えるものである。

 常識的には疑問符を付けざるを得ない判決と控訴はさておき、神社に掲げられた幕を何と書くべきかとネットで調べてみた。ブログ冒頭では「垂れ幕」とし、新聞では「天幕」とされているが、関係者の間では「神前幕・拝殿幕」と呼ばれているらしく、「神社の中でも祭事に使われるより神聖な空間を区切るために飾るのが主な目的」であるらしい。拝殿幕の意匠については、神社の「神紋」が描かれているのが一般的で、靖国神社の神紋を確認することはできなかったが、拝殿の映像から見る限り、皇室の菊花紋(十六葉八重表菊)と同じではないだろうかと思っている。靖国神社の由来や格式(勅祭社:10年に1度天皇の勅使が遣わされる)から言っても、ほぼ間違いないと思っているが、ご教示を頂きたい。また、神前幕・拝殿幕と同様に一般の民家や旅館・料亭においても儀式的な性格を強めるために幕を使用するが、これは玄関幕・門幕と呼ばれるそうである。


秋元司容疑者(衆院議員)に盗泉の世相を考える

2019年12月26日 | 与党

 恐れていたことであるが、自民党の秋元司議員が収賄容疑で逮捕された。

 同時に贈賄容疑で中国企業の日本法人の3名も逮捕されているが、日本法人の親会社である中国企業の最大株主が中国国営企業であることや、秋元容疑者の他にも自民党の議員・元議員の事務所が家宅捜索を受けていることから、一連の動きは中国共産党の大規模な対日工作の様相を呈してきた。与党議員であるので一帯一路構想や孔子学園を以ってする中国のハイブリット覇権戦略の危険性は十分に理解していたであろうと思えば、彼(彼等?)の収賄行為は中国の先兵として日本を売る走狗確信の所業であろうと観る。旅の途次に喉の渇いた際に示した孔子の故事を基に晋の陸機は「渇すれど盗泉の水を飲まず、熱すれども悪木の陰に息わず」と詠み、日本では生活に困窮したり、困難な状況に置かれた人間が安易な援助や解決を断って清廉に生きる「後家の踏ん張り」なる言葉があるが、秋元容疑者を含む国会議員諸子の辞書には載っていないのかと暗澹たる思いに襲われる。防衛拠点・原発・水源地の周辺地域を、中国企業がリゾート開発の名目で取得していることが問題視されて久しいが、法規制する動きは緩慢であることを考え合わせると、今回明らかとなった秋元議員の収賄に近いことが永田町では一般化しているのではないだろうかとも危惧するものである。今回の逮捕劇に続く一連の捜査で、永田町における中国のロビー活動が明らかにされるとともに、永田町の大掃除にまで発展することを願っている。ここは一番、ロッキード事件で「巨悪を許さない」と名を売ったものの、調書改ざん等で存在すらも取り沙汰される東京地検特捜部の活躍を期待したい。

 おりしも中国で開催中の日中韓サミットで1年3か月ぶりに日韓首脳会談が行われたが、喫緊の徴用工・貿易管理問題で何等の進展・合意を見ることは無かった。文大統領は相も変わらず「反日」「司法判断」という盗泉の水を飲み、更には北制裁に対する経済制裁や非核化に対しては「中国という悪木」の下に一層もぐりこんだ感が深い。特に北朝鮮の非核化については、朝鮮半島の非核化と表現を改める等、経済のみならず軍事的にも中国依存に転舵する意思を隠そうともしなくなった。次に予想されるのは米軍駐留経費の負担増拒否であろうことは明白で、そうなれば必然的に駐韓米軍の縮小・撤退にまで進展する危険性も考えられる。我々は、退嬰的で狂信的な指導者が国を危うくする過程を、リアルタイムで見ているのかもしれない。思えば鳩山民主党政権が同様の隘路に踏み込もうとした時には、総選挙で指導者を更迭できるという制度のおかげで3年間で脱出することができたが、大統領制である韓国の自浄は、あと2年間待たねばならない。


除夜の鐘考

2019年12月23日 | 社会・政治問題

 除夜の鐘に対する近隣住民の苦情が、ますます増えているそうである。

 苦情に対して寺院は、除夜の鐘を止めたり、「除夕の鐘」と称して夕方に撞く等、対応に苦慮しているらしい。然らば除夜の鐘の騒音レベルは如何ほどかと調べたら次の記事を見つけた。曰く「東京・武蔵野市の安養寺で測定したら、鐘から5メートル地点で86.3db(カラオケ店の店内レベル)、100メートルの地点で76.7db(地下鉄の車内や布団を叩くレベル)だった。勿論、梵鐘の大きさ、設置場所、周囲の建物の状況によって数値は異なるだろうが、通常の生活で経験する程度で、かつ、年に1回の限られた時間に行われるものであることから、声高に苦情を申し立てることが理解できない。除夜の鐘は風物詩であると考えるならば苦情を喚きたてるのもある程度理解したいが、1年間に抱いた煩悩を清算する宗教行事の一つと捉えるならば寺院と敬虔な信者に対する「ヘイト」であるとも云える。1時間程度で終わる除夜の鐘を「うるさい」と苦情する人の主張は何だろうかと思い報道等に気を付けているが、赤ん坊の夜泣きや寝たきり老人のための静寂を求めるものが殆どであるように感じた。近年はサッシュ窓の普及で近隣の騒音も室内では大幅に減衰しているだろうにと思うのだが、聴覚過敏な現代人は聞きたくない音に対しては我慢できないようである。毒舌(単なる直言と思うのだが)キャスターとされる立川志らく師匠が「除夜の鐘がうるさいなら日本から出て行け」とネットで主張したら炎上したそうであるが、全く同感で日本の風情と他人の心情(信条)に配慮できない「さもしい日本人」は日本には要らないと思う。昭和40年代にベトナム戦争への徴兵忌避を契機として既成社会の伝統、制度などを否定するアメリカ発祥のヒッピーをまねる集団が日本でも現れたが、ベトナム戦争を対岸の火事とする日本で根付くこともなくいつしか消えていった。当時の彼等の主張は、アナーキスト(無政府主義者)のように政府の統治を完全に否定するものでなく、バガヴォンド(Vagabond:放浪者、無宿人、やくざ者、ごろつき)として社会が与えてくれる恩恵・権利は享受するが、気に食わない義務には従わないという、極めて都合の良いものであったように記憶している。除夜の鐘報道に接して、苦情を申し立てる人間と独りよがりの主張に酔ったかってのヒッピーが重なって見えた。

 EU諸国に見られるように、日本でも在留外国人の増加に伴って日本古来の伝統・文化が破壊される危険性があるため、日本人としてのアイデンティティを保ち続ける必要性を度々述べてきたが、豈に図らんや”敵は本能寺”にいることを教えられた。四半世紀前の昭和の日本人は、もっと他人や隣人に寛容であったように思うのだが。