ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

80年代論と90年代論(1)

2005年07月31日 | 読書
 この本は、2ちゃんねらーたちが偏狭なナショナリズムをまき散らしアイロニカルに政治問題にコミットしながら、一方で「電車男」のようなベタな話に涙するのはなぜか、という「現代若者気質」を分析したものだ。ものすごくおもしろかった。おもしろかったにも関わらず、なんだかなーという読後感が残る本でもある。

 では本書の課題を著者に語ってもらおう。

現代(の若者)文化における二つのアンチノミー、つまり、「アイロニー(嗤い)と感動指向の共存」(『電車男』)、「世界指向と実存主義の共存」(窪塚的なもの)というアンチノミーがいかにして生成したのか、その両者はどのような関係を持ち、いかなる政治的状況を作り出しているのか、という問題系である。「序章」より


 現代若者気質を分析するために、著者はまず60年代論から始める。

 60年代の思想とは連合赤軍事件に端的に結果した「反省」の思想だった。60年代的な「自己批判」総括は、反省そのものが準拠枠を持たないシステムの中で循環し、それは最初から終わることがない「反省」だった。「なにをどう反省したら反省したことになるのか」という準拠枠を持たない悲劇。連赤事件は森恒夫や永田洋子の個人的資質を超えて、彼ら自身の外部にある「反省システム」によって駆動された事件だった。

 ※この「反省」という行為様式の分析についてはギデンズの「再帰的近代」の理論を参照すべし。


 連赤事件の総括を「反省」「再帰的近代」をキータームに行うのはものすごくわかりやすい。わたしは連赤事件関係者の手記はかなり読んだが、どれを読んでもなにかすっきりしなかったのだが(特に永田洋子の『16の墓標』は臨場感はあっても事件の分析には役立たない)、本書を読んで納得してしまった。再帰的近代が彼らの過ちの原因なら、ことはマルクス主義に固有の事件ではないということだ。近代が孕む宿痾なら、これからも繰り返される可能性はある。そういう意味では戦慄を覚える。
 
 ただ、その69年的「反省」を「反省」することによって80年代の糸井重里的「消費社会的アイロニズム」戦略が生まれたとするなら、それは結局のところ、60年代への一つの闘いに過ぎないし、それもまた近代の枠の中で近代を延命させるものとして働いている。

 さらにまた80年代も半ば以降は消費社会的シニシズムへと時代精神は移行し、いっそう「無反省」が進むというのが北田さんの分析で、そこへの反動として90年代以降のロマン主義的シニシズムが生まれたという。内容詳細はもうメモしている時間がないので、割愛。 

 終章に手っ取り早く結論が書いてあるので、ここだけ読んでもよさそう。

 本書に対しては梶ピエールさんがたいへん興味深い批判を二度にわたって書いておられる。わたしもその批判には首肯した。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050331
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050410
これはぜひお読みいただきたい。
 梶谷さんも指摘されているように、2ちゃんらーたちの振る舞いについて、北田さんの分析は必ずしても正鵠を射ていないと思う。北田さんは2ちゃんねるをちゃんと読んでいないのではないか。もしくは、かなりの距離感をもって2ちゃんねるを観察しているため、その「深部」に分け入ることができていないのではないか。

 東浩紀のオタク分析がおもしろいのは、彼自身がオタクだからだ。彼は自分の好きなことを研究対象にしている。北田氏はそうではない。 

 思うに、北田さんの論というのは一読して感じられる<頭のよさ>が長所でもあり短所でもあるのだ。ものすごくスパスパと分析対象を切っていくさまは爽快だが、なんだか後にモヤモヤしたものが残ってしまう。「ほんとうか? ほんとうにそうなのか? なにかそこに残余のものがあるのではないのか?」と感じさせてしまう。

 1971年生まれの北田さんは、<政治的悩める青年時代>、「僕って何?」と悩む69年世代のような青春の蹉跌を経験していないのだろうな、と思う。だからこそ、クールに切っていけるものをもっているし、徹頭徹尾、自己の立ち位置を不問に付したまま論が進むのもそれゆえだろう。

 東浩紀の『動物化するポストモダン』がとてもおもしろいにもかかわらず何か物足りないものを感じるのと同じように、本書にもどこかボタンがきちっとはまっていないような妙なもぞもぞ感がある。
 世代論というのはいつもわたし不満を抱かせる。オタクと新人類を分析すれば80年代は言い尽くせるのか? 連合赤軍事件を分析すれば60年代はわかったことになるのか? 2ちゃんねらーが現代の若者を代表しているのか? 

 不満はあってもこの本はおもしろいには違いない。北田氏の次の仕事に注目したい。

 この本はかなり宮台真司のこれまでの仕事と、大塚英志『「おたく」の精神史』を下敷きにしている。そこで、刊行年を遡って大塚の『「おたく」の精神史』を読んでみた。長くなるので別エントリーで。

<書誌情報>

嗤う日本の「ナショナリズム」 北田暁大著. 日本放送出版協会, 2005.(NHKブックス ; 1024)

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