ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「生命学をひらく」

2005年07月26日 | 読書
 これは森岡さんのはじめての講演集だ。内容は『無痛文明論』や『宗教なき時代を生きるために』、『生命学になにができるか』などとかぶるのだが、読んだ印象がかなり異なる。特に『無痛文明論』のような読みにくさがないから、お奨めと言える。無痛文明論は「自分をぬきにした議論はしない」というスタンスなので、読者に対しても倫理的にギリギリと迫ってくるため、読んでいてだんだん息が苦しくなってくるのだ。

 その点、本書はじっくり胸にしみてくるので、心穏やかに読むことができる(笑)。←あ、笑っていいのだろうか?

 目次を抜粋しておく。

第1章 いのちのとらえかた
第2章 「条件付きの愛」をどう考えるか
第3章 共感的管理からの脱出
第4章 無痛化する社会のゆくえ
第5章 無痛文明と「ひきこもり」
第6章 生命学はなぜ必要か
第7章 「死者」のいのちとの対話
第8章 「無力化」と戦うために

第3章の「共感的管理」とは、この場合「母性による管理」を指している。森岡さん自身が母親によって真綿で首を絞めるように管理訓育された生育歴があるようで、そこからの脱出が容易ではなかったと述べている。
 
 母親というのは「あなたを愛している」という言葉や「こんなにあなたを思っているのに」と涙を流すことによって息子を束縛する。母の涙というのは息子から反抗心を削ぎ脱力させる威力を持つのだ。と同時に息子を発奮させてしまう。この母のために、と。

 息子を持つ母としては自戒するところ多なり。でもうちの息子に泣き落としの手を使ったことはまだない。

  第4章と第5章は「無痛文明とはなにか」がわかりやすく述べられているので、手っ取り早く無痛文明論を知りたければここだけ読んでもいいかもしれない。

 「無痛化」とは、痛みのない方向へ苦しみを避ける方向へと文明が向かうことを意味するのだが、単に「快適な文明生活をエンジョイしよう」という物質的なことだけを指すのではない。
 悩み・苦しみに向き合わずそこから目をそらす装置がこの社会にはいくらでもある。娯楽や恋愛もそうなのだ、と森岡さんは言う。恋愛まで無痛化装置の一つだと言われるとちょっとどうかという気はするのだが、ものすごく卑近な例でいうと、子どもたちがすぐにキレたり忍耐力がないのも、やっぱりふだんから「痛み」に耐えられない体質を作ってしまう無痛文明のせいなんだろうなと感じる。


 『無痛文明論』のエッセンスを手短に知りたければ本書がお薦め。でもやっぱりあの大部な本を読んで苦痛にもだえたほうがいいかもしれない(^^)。


<書誌情報>

 生命学をひらく : 自分と向きあう「いのち」の思想
   森岡正博著. トランスビュー, 2005

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